monologue
夜明けに向けて
 



 わたしが宮下文夫の家を初めて訪れた頃、アルバム「天空人」でドラムスを担当した原田裕臣(Yujin Harada)が日本に帰国するのを見送ったことがある。原田裕臣は「ミッキーカーチス&サムライ」でドラムスを担当し、1971年にグループサウンズ時代の終焉を飾って「ザ・スパイダース」の井上堯之、大野克夫、「ザ・テンプターズ」の萩原健一、大口広司、「ザ・タイガース」岸部一徳、沢田研二で結成されたバンド、PYG(ピッグ)に大口広司と交代して参加したドラマーであった。かれは帰国にあたって音楽機材などを入れる丈夫なジュラルミンのトランクを記念として中島茂男に与えた。中島は重宝してそれからそのトランクにエコーマシン、フェイズ・シフター、ファズ、ギターコードなど一式つめて運ぶようになった。

 わたしはアルバムで原田裕臣がドラムを叩いているのだからなんとなく宮下は叩かないように感じていたのだ。そして宮下はその頃、腰を痛めていると言っていた。かれが腰をかがめ気味に歩いたりしているのを目にしていた。わたしはわたしが日本でやっていたブルース・バンドのドラマーが椎間板ヘルニアになって椎間板を削る手術をしたので見舞いに行ったことがあった。ドラムは腰に負担がかかって大変そうで心配だった。

 しかし、中島茂男は宮下のドラムの腕を高く評価していた。シンセより、ヴォーカルよりなによりも宮下はドラムが一番素晴らしい、というのだ。それで腰は大丈夫かと一抹の不安を感じながらも宮下にクラブ「インペリアル・ドラゴン」のディスコパーティのセッションドラマーを頼むことに決めたのだった。
fumio

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