monologue
夜明けに向けて
 



 そんなわけでわたしは蓄音機というものは体操の伴奏のためにある機械だと思っていた。その箱で好きな歌を聴いて楽しむということを知らなかったのだ。わたしたち子供が音楽を聴くのはラジオや映画館だった。1954年に春日八郎の「 お富さん」 が大ヒットして町内の盆踊りの時、何度も何度も流れる「お富さん」に合わせて櫓の周りを延々と廻り踊り続けた。その歌詞は小学校低学年のわたしには意味不明で呪文のようだった。その時、音楽を流す道具としてあの蓄音機が大活躍していたことは知らなかった。近所のオバサンが窓口にいてタダで入れてくれた映画館で見た1955年の東千代之介主演の東映映画「侍ニッポン 新納鶴千代」の主題歌「侍ニッポン」 という歌が好きでよく口ずさんだものだった。主人公の名前は新納鶴千代(にいのうつるちよ)だったが歌では(しんのうつるちよ)と発音されていた。まだみんな生活に追われて友達の家で蓄音機のある家はなく流行歌の録音されているレコードを見たことがなかった。衣食足りて礼節を知る、というが音楽を聴くことに人々が金を使うようになるにはそれなりの生活基盤が必要なのだろう。子供が日に五円や十円の小遣いで買うものは駄菓子かメンコやビー玉くらいだった。それでも十分楽しく幸せだった。
fumio

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