monologue
夜明けに向けて
 



<18>

映し絵の闇の世照らす この愛もて
人の心をも照らせよ
まことの愛とは 気の巡りよ
気の巡りを行なうとき 生じるものを
他の者に移す時 留意することあり
そは 血で血を計ること
血の合わぬ者に 合わぬ気を巡らせてはならぬ
そは 己が血で計ること

まことの愛に 山も川も無し
まことの愛は 神の息吹で生き返る
まことの愛は 神の裡 神の腕(カイナ)でに抱かれること
まことの愛は 肉との別離(ワカレ) 神との出会い

己が血を汚すな 汚すな 汚すな

血の性は魔であり聖である
その巡りで 魔にも聖にも変化(ヘンゲ)する


1986-3-3

「光の黙示録」より

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愛について思考してきて「まことの愛とは…」と思う。
その答えらしき詩句がある。

「まことの愛とは 気の巡りよ」という。
そして「まことの愛は 肉との別離(ワカレ) 神との出会い」ともいう。
「気の巡りであり、肉との別離(ワカレ)であり、神との出会い」がまことの愛ならば肉とわかれず肉とともにあればそれは欲と化すのだろう。
死んで肉とわかれた時。神と出会うらしいが生きているうちにできることは魔であり聖である血を汚さないことのようだ。
血の合わぬ者に 合わぬ気を巡らせずその愛を他の者に移す。それが映し絵の闇の世を照らす光となるのだ。
fumio

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