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「夢神楽」から「夜明けの鐘が鳴る」
音楽 芸術 文化
/
2012年05月22日
インストルメンタル曲シリーズ「夢神楽」の一曲
「夜明けの鐘が鳴る」
は以前このブログ上に「アンドロギュノスの夢」と題して以下の文章を書いた時作った曲。夜明けの鐘は今鳴っているはず…。
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うしろの正面だあれ、と問われるとなぜかうすうす感じるシュール・リアリスティックな思いがある。
自分のうしろの正面には自分自身がいるのではないかと何とはなしに思ってしまう。
それは最初の人類として生まれた頃の記憶のせいだろうか。
地球上にポツンとひとり生まれたアダムはなにもない球上の世界でかれの視界をさえぎるものはなにもなく、地球を一周した光に反射する自分の姿しか見えなかったことだろう。たったひとりの世界では振り向けば後ろには自分自身がいるだけだった。アダムが自己増殖できる存在、アンドロギュノス(最初の人間で頭が二つに手足が四本づつあって、男女両性が背中合わせにくっついたような丸いからだをしていた)であったとき、かれの中心、おなかに神は宿っていた。
やがてアンドロギュノスの身体を二つに分けたときに神の居場所の印がヘソとして残った。二つに分けられた身体を前後でみると大切な部分はほとんど前部に集められた。
人体をミクロコスモスとしてとらえると左目が太陽であり、右目が月として前面に向かって光を放っている。
われわれは光の反射によってしかものが見えないので前面にあるものしか認識できない。
われわれにとっては前面だけが光の世界なのである。
それに反して人の『後ろ』である背面には光を放つものがない。ということは背面は人にとって光の射さない暗闇の世界なのである。それゆえ、人は背後を畏れ何度も振り返る。
目の光を闇に照射して浮かび上がるものを見ようとするのだ。後ろの正面のだれかを探すことは暗闇の住人を特定することにほかならない。
お腹と書いて『おなか』と読むのは中ということばが神の居場所を指しているからである。腹(はら)は高天原の原(はら)と通じる。それは身体の上下左右前後の中心で臍下丹田と呼ばれる位置である。
そのおなか(高天原)に集われていた神々があるとき、隠退されて背の側に移ってしまわれた。それが天の岩戸伝説である。
そのことを示すのが前面のおなかに対する背中ということばなのだ。 光の射さない暗闇の世界である背に中をつけて背中と呼ぶのも、そこに神々がおられるからである。
『背』とは北の月、北とは基田で基の神の居場所。人の畏れる背中の闇には元の神々が集われている。 天の岩戸は人の背で閉ざされたのである。その岩戸を背戸と呼ぶ。
エジプトではオシリスを殺したイシスの弟Seth(セト)日本では出雲に封印をかけたアマテラスの弟、狭門(セト)として知られる。それは人の背の戸のことなのだ。
『一二三四五六七八九十』を『人フタ見よ、いつ無に為すやここの戸を』と解くとき、
ここの戸』の示す戸それは『背の戸』であるのだ。それはそこから向こうを見えない闇と捉えて畏怖するわれわれの心を閉ざす戸である。天の岩戸閉め以来、この世の実権を奪ったセトが構築した人の前面の光の世界は実は日仮(ヒカリ)の世であった。背中の暗闇に隠退していた真の光が射す時、夜明けの鐘が鳴る。
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fumio
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