monologue
夜明けに向けて
 

退院  


その頃、家族で少し前に観た映画「レナードの朝」で主人公のロバート・デニーロが脳の機能がうまくはたらかない人を好演していたので息子にはその姿が焼き付いていてわたしの脳の手術中、「お父さん、レナードみたいになるの?」と不安そうに妻に尋ねたりしたものだった。それからひと月ほど経っていよいよその脳の中身が治った頃を見計らって、クリスマスの日に右脳にかぶせる頭の骨の嵌めこみ手術が行われた。
まず右太腿を切開して保存してあった骨を取り出す。麻酔が効いているので痛みは全く感じない。
頭を切り開かれて患部に骨を嵌めこまれても深い麻酔状態でなにもわからなかった。
手術後の回復期、わたしは大暴れして人々に迷惑をかけたという。点滴に鎮静剤を入れられておとなしくさせられた。翌年1992年一月に退院して家に帰ったわたしがほっと一息つくと、まるでそのときを測っていたように電話が鳴った。それは『第一回川口市ボランティア・フェスティバル』への出演依頼だった。川口市でもボランティアの新しい風を起こす、ムーブメントをスタートするために企画されたという。その電話の熱い口調から意気込みが伝わってきた。入院さえ親以外には報らせていないはずなのにどうしてわたしの退院を知ったのか驚いた。そのタイミングの良さに妻と顔を見合わせた。妻はわたしの不在中、一度も電話の呼び出し音が鳴ったことがないというのに…。
fumio

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