monologue
夜明けに向けて
 



1988年9月14日午後9時過ぎ、反原子力関係の劇の舞台稽古中、窓からJRを臨む渋谷の稽古場で、原発ジプシーと呼ばれる役の若者たちが原子力博士役のわたしを何度も胴上げから放り投げた。わたしは額から落ちて頸椎を損傷した。すぐ運び込まれた北品川第三病院で緊急手術が行われそれから転院した武蔵村山病院リハビリ病棟にある日、劇団のスター、Myukiが見舞いにやってきた。わたしがアメリカでロックミュージシャンとして活動してレコードやカセットテープを製作していた、と話すとMyukiは「わたしにもオリジナルソングを作ってください」と言い出した。それでまず初めにミッドナイトブルー」を作った。しかし、Myukiはその曲を歌うのを嫌がった。彼女の視線は日本国内に向いていたらしい。わたしの視野はユニヴァーサルでグローバル言語としての英語でサビのコーラスパートを作りセリフをラテン語にしたので歌う気にならなかったのだろう。現在わたしの歌った「ミッドナイトブルー」は多くのアクセスを集めている。もしMyukiが歌っていればわたしのバージョンより多くの人に支持されていたのに…、と思う。
fumio

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