わたしの10年間の在米生活中、L.A.(ロサンジェルス)のボイルハイツ地区に「ひのもと文庫」という日本書籍図書館があり海外の日本書籍図書館で最大の蔵書量を誇ることで有名だった。そこでありとあらゆる本を借りて読んでいるとそのうち司書の欅という女性に「これから新たに読書会を始めるのでリーダーになってほしい」と頼まれた。それで文集を作ったり色々な企画を手伝った。そのうちに月に1度ほどの講演会が始まり、ある時UCLAの教授がパーソナルコンピューターの将来についての講演をされた。当時はコンピューターというとIBMの大型機種のことでまだアップルがマックを出していない頃でパーソナルコンピューターといっても聴衆のわたしたちにはピンとこなかった。その教授は将来パーソナルコンピューターが電話でつながり世界が情報を共有することになるという。わけがわからないまま、はあそんなものか、そんな時代がくるのかと疑心暗鬼のような中途半端な気持ちで聴いていた。今思えば先見性がなかった。現在ネットがない世の中なんて考えられない。ふとなにかの機会に振り返ると時代はものすごい速度で回転している。わたしが留学した英語学校の名前は「スピークイージー」といい禁酒法時代の酒の密売を意味した。先生は女性で名前は姓がコーエンだった。わたしがクラブで歌っていた頃の一番のファンはL.A.市警の女性職員たちだった。「ひのもと文庫」の階下には柔道場があって警察官たちが練習に来ていた。
帰国の日程が決まるとわたしたちはこの地で縁を結んだ多くの人に別れの挨拶にまわった。妻と仲が良かった日本語学校、羅府第二学園の先生、ゴーマン美智子 さんはマラソンで何度も優勝してスポーツ用品メーカーが特別に作ってくれたマラソンシューズを妻にプレゼントしてくれた。 「ひのもと文庫」の女性司書、欅さんはお別れ会としてわたしたち一家を白龍飯店「インペリアルドラゴン」に台湾系中華料理を食べに連れていってくれた。「インペリアルドラゴン」はわたしたちのバンドがエンターテイナーとしてよくデイスコパーテイ大会の音楽を担当して仲が良かった。
fumio
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