![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/92/21dc50ac861f003d7409a8cb44770ac7.jpg)
雁木 福本渡船の横(1円ぽっぽ)
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村長の住んでいる尾道市や向島には、もう稼働していないのでは?と感じてしまう紡績
工場や え!これどうゆう意味と考えてしまう看板がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/7a/635b59afad01c45cf54d1cf51e5ccd1b.jpg)
尾道帆布工場
紡績工場とは向東町の尾道帆布株式会社、チョット外見からみると倒産(失礼な)?し
ているのかと思ってしまうほどだ、しかしレッキとして紡織機は動いており今や市内で
ただ一軒の帆布屋さんだ。
この工場そのものは昭和9年の創業だそうだが、北前船の寄港地として発展した1600年
台から帆・錨や畳表、塩等と共栄たのでしょうが、戦後化繊におされ急速に衰退したので
しょう。
それが今、帆やテント以外の活用方法が見いだされ息を吹き返しつつある。手提げ袋や
ランドセルはもちろん、百花の祭りにお餅を背負わす背負い袋まである、尾道郵便局のす
ぐ横にNPO法人 工房尾道帆布があるので寄ってみては。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/81/519e2f9a299a3db6a82a837b05496708.jpg)
「ろ」
変わった看板は、尾道渡船を向島に向けて渡ると右手の二階の壁面に「ろ」なる文字が
一つ、他の文字が取れているわけではなくこれは船の魯のことだ、現在も作っているかどう
か確認してないがその看板。
舟というか北前船の関連でいえば、尾道市内にある福善寺や常弥寺等の古いお墓は「舟
」の形したものが沢山、北前船で賑わった名残でしょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/2d/c6c913a63313bc65b92698fe4ee86f85.jpg)
舟形のお墓
更に港といえば雁木、今のように浮き桟橋も10万トンバースも無い時代、古き時代は皆
雁木で階段状に船着き場が作ってあった、村長の記憶では住吉神社の前の浜も、今の尾道
渡船の左手の浜も、駅前桟橋から500メートルほどの通称1円ぽっぽの横の浜も雁木だった。
今はコンクリートの雁木でかろうじてその面影を保っているが、その昔は字のとおり木
だった。
余談ですが1円ぽっぽのぽっぽはポンポン船つまり焼玉エンジンの名残だ、そして雁木の
あるところ昭和40年代の始めまで多くが青果市場だった、近郊の島々から野菜やミカンが
市場に降ろされ、帰り船で日用品を島に持って帰る。
横道にそれたが、打ちながら思ったのは港街・寺の街尾道として有名ではあるが、村長
の無知識・無勉強ではかなりキツイ、少し勉強しながら紹介します。
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