日ごろの忙しさに疲れ気味の皆さん、ストレスを抱え爆発寸前の皆さんの為に、くだらない、本当にくだらない
物語を作りました。皆さんの「暇つぶし」や「ストレス解消」に役立てれば幸いです。尚、更に不満やストレスを
感じたなら、直ちに読むのをやめ専門医の指示に従い適切な処置を受けてください。また、その際に、当方は
一切の責任を負いかねますのでご了承ください。
誕生! テニスのおっさん
「ああ、とうとうやったんだあ~!優賞したんだ!!!」
かなり痛んではいるが、やはり芝生の上は気持ちがいい。それもここは
ウインブルドンのセンターコートである。全てのテニスプレーヤーの
憧れ、全英選手権のファィナルリストになったのである。
何度も何度もガッツポーズ、頬には熱いものが流れる・・・。
すると、観客席からひと際大きな声援、そう婚約者の
”くすり・恵婆子”のどすの利いた声である。
「あなた、あなた!」
何故か何時もその声を聞くと条件反射的に全身が硬直してしまい
多少の息苦しさも伴う発作的症状を引き起こすのであった。
その息苦しさのあまりそっと目を開けるとそこには若かりし日の
恵婆子とは想像も付かぬ体格に成長したその人が・・・。
「あなた、いい加減起きなさいよ!今日は布団干すの!邪魔よ!」
「あ~、夢だったのか~。」
私、善辺 手仁三郎(ぜんべ てにさぶろう)62歳、中小企業
である会社を42年間ひたすら真面目に勤め上げ一昨年退職し、今は
殆んど何をすることも無く一日中、飼い猫の”ボルク”と縁側でお昼寝の毎日。
妻、善辺 恵婆子、旧姓 蛇真田 恵婆子(じゃまだ えばこ)、
実家は町の小さな薬局を経営、その看板娘(?)の恵婆子は
近所の人たちから、”くすり・恵婆子”と呼ばれていたのである。
その手仁三郎と恵婆子が初めて出合ったのが今から30数年前、
時代は1970年代、そう猫も杓子もテニス、テニスの一大ブームの
時代であった。手仁三郎もご他聞に漏れずそのテニスのとりこになった
一人であった。が、しかし、極度の運動音痴の手仁三郎、フォームは
子供の羽根突き状態、直ぐに手首、肘を痛め薬局へ湿布を求め、
この町唯一の”蛇真田薬局”へ向かう・・・。
「すみません、テニス肘に良く効く湿布ほしいのですが」。
「・・・」 無言でひと箱の湿布を差し出す恵婆子。
「おお、まるでアイス・ドール、クリス・エバートそのものではないか。」
その当時、人気も実力もナンバーワンのクリス・エバートの大ファンの
手仁三郎の身体に電気が走った。「この人しか、いない!」
その日から、恵婆子に対する手仁三郎の強烈なアタックが始まったのだった。
次回につづく