毎年恒例の走り初め。
「本庄元旦マラソン」を新春マラソンと位置付け、その後の1月の2レースをエントリー。
その3レースを”新春マラソン3部作”と勝手に銘打ちました。
その第二段でもある「白岡新春マラソン5kmの部」を走ってきました。
前日の夕刻、真っ黒い雲が垂れ込め、何やら白いものがチラホラと。
わずかな時間で止んだ、その白いものが埼玉県白岡市では地面を真っ白に染め上げたようです。
会場、スタート位置になる運動公園芝陸上トラック内の生広場は積もった雪で真っ白。
着替えや荷物置き場となるトラック回りも降雪で使えず、寒い中をウロウロと。
仕方なく、少し離れた駐車場の車の中で着替え、スタート時間まで待機することに。

いやあ、考えてみればこの大会、何年ぶりだろう。
そもそも、コロナの影響で4年ぶりの開催ということですがね。
”復活しました”とのお誘いのお手紙をいただきまして、それでは参加しましょうかと、この日に至った訳です。
まだ私が走り始めた頃、とにかくレースが走りたくって、なりふり構わず片っ端からレースに参加していた頃。
10㎞の部で初めて40分を切った思い出の大会でもあるのです。
もう20年近い昔の思い出ですが、その時も寒かったことを今でも忘れることができないでおります。

さて、それ以上に5kmを走るのも何年、十何年ぶりでしょうか。
そもそも練習嫌いな自分が、練習もせずに心肺を強烈に酷使するスピードレース。
あまりにも無茶だなと自分でも思いましたわ。
ただ最近、ハーフを走っても心肺や足に余力があっても、どうしてもスピードが出ない。
これはただ単にスピード練習の欠如じゃないかと勝手に解釈。
それなら一発短い距離のレースを本気で走ってみようと決意したのです。
エントリーしちゃえばいくら練習嫌いな自分でもその気になるだろうと、、、自分で自分を追い詰めてみた。
が、結果は同じ。
大した練習もせず、高を括ってスタート。
まあ、これが苦しいのなんのって!
”孫かよ”と思えるような中学生と競うも最後の1kmでおいて行かれ、ヘロヘロのゴール。
タイムは衝撃的な22分07秒。
完走書による公式記録は22分11秒。
愕然としましたわ。
いくら遅くとも21分ぐらいで走れるだろうと、、、あわよくば20分前半と目論んでいたのに、、、ここまで老いぼれましたか(笑)
それでも順位となると10位。
老人60歳以上には順位、優しくしてくれますな、、、総合では97位なのに。
そう言えば、かなり高齢だろうと思われるランナーさん、十数メートル前に数名いましたわ。
あのひとたちの前にいたなら入賞だったのかもね。
この根性無しめが!と、、、情けない思いをした訳ですよ。

まあ、言い訳をするのならその週の前半、仕事でわき腹を痛め、その上に前から感じていた坐骨神経痛。
レース前々日には殆ど痛みで動けず、参加どころか絶対安静状態。
土曜日の午後にやっと動けるようになり、当日は湿布を腰周辺に4枚張りまくり、ロキソニンでドーピング。
こんなことまでやって走る意味あるのかと思ったのは言うまでもありません。
でも、長年培った走るんだという習性は、痛みによって止められることはありません。
性と言うか、性格と言うか、バカと言うか、まったく困ったものです。
そのくせ、もっと頑張ったらご褒美がたんまりもらえたのにと、後悔する。
後悔するのならそもそもエントリーしちゃった事を悔やみなさいと(笑)
で、三部作の最終レースは来週末の「杉戸新春マラソン」
まだ腰の状態が・・・酷いです。
むしろ、そっちの方のエントリーをものすごく後悔しているんですがね。
きっと走るんでしょう、、、バカですねえ~。
「本庄元旦マラソン」を新春マラソンと位置付け、その後の1月の2レースをエントリー。
その3レースを”新春マラソン3部作”と勝手に銘打ちました。
その第二段でもある「白岡新春マラソン5kmの部」を走ってきました。
前日の夕刻、真っ黒い雲が垂れ込め、何やら白いものがチラホラと。
わずかな時間で止んだ、その白いものが埼玉県白岡市では地面を真っ白に染め上げたようです。
会場、スタート位置になる運動公園芝陸上トラック内の生広場は積もった雪で真っ白。
着替えや荷物置き場となるトラック回りも降雪で使えず、寒い中をウロウロと。
仕方なく、少し離れた駐車場の車の中で着替え、スタート時間まで待機することに。

いやあ、考えてみればこの大会、何年ぶりだろう。
そもそも、コロナの影響で4年ぶりの開催ということですがね。
”復活しました”とのお誘いのお手紙をいただきまして、それでは参加しましょうかと、この日に至った訳です。
まだ私が走り始めた頃、とにかくレースが走りたくって、なりふり構わず片っ端からレースに参加していた頃。
10㎞の部で初めて40分を切った思い出の大会でもあるのです。
もう20年近い昔の思い出ですが、その時も寒かったことを今でも忘れることができないでおります。

さて、それ以上に5kmを走るのも何年、十何年ぶりでしょうか。
そもそも練習嫌いな自分が、練習もせずに心肺を強烈に酷使するスピードレース。
あまりにも無茶だなと自分でも思いましたわ。
ただ最近、ハーフを走っても心肺や足に余力があっても、どうしてもスピードが出ない。
これはただ単にスピード練習の欠如じゃないかと勝手に解釈。
それなら一発短い距離のレースを本気で走ってみようと決意したのです。
エントリーしちゃえばいくら練習嫌いな自分でもその気になるだろうと、、、自分で自分を追い詰めてみた。
が、結果は同じ。
大した練習もせず、高を括ってスタート。
まあ、これが苦しいのなんのって!
”孫かよ”と思えるような中学生と競うも最後の1kmでおいて行かれ、ヘロヘロのゴール。
タイムは衝撃的な22分07秒。
完走書による公式記録は22分11秒。
愕然としましたわ。
いくら遅くとも21分ぐらいで走れるだろうと、、、あわよくば20分前半と目論んでいたのに、、、ここまで老いぼれましたか(笑)
それでも順位となると10位。
老人60歳以上には順位、優しくしてくれますな、、、総合では97位なのに。
そう言えば、かなり高齢だろうと思われるランナーさん、十数メートル前に数名いましたわ。
あのひとたちの前にいたなら入賞だったのかもね。
この根性無しめが!と、、、情けない思いをした訳ですよ。

まあ、言い訳をするのならその週の前半、仕事でわき腹を痛め、その上に前から感じていた坐骨神経痛。
レース前々日には殆ど痛みで動けず、参加どころか絶対安静状態。
土曜日の午後にやっと動けるようになり、当日は湿布を腰周辺に4枚張りまくり、ロキソニンでドーピング。
こんなことまでやって走る意味あるのかと思ったのは言うまでもありません。
でも、長年培った走るんだという習性は、痛みによって止められることはありません。
性と言うか、性格と言うか、バカと言うか、まったく困ったものです。
そのくせ、もっと頑張ったらご褒美がたんまりもらえたのにと、後悔する。
後悔するのならそもそもエントリーしちゃった事を悔やみなさいと(笑)
で、三部作の最終レースは来週末の「杉戸新春マラソン」
まだ腰の状態が・・・酷いです。
むしろ、そっちの方のエントリーをものすごく後悔しているんですがね。
きっと走るんでしょう、、、バカですねえ~。