あれは確かまだギリギリコロナ感染が広がる前だった気がする。
「越後湯沢秋桜マラソン」
上越新幹線、その終着駅の越後湯沢駅。
初めて新幹線で向かった大会だ。
普通電車で向かった大会はいくつもあったが、高額な料金の新幹線でなんて贅沢過ぎるだろと敬遠していた。
その料金分を他の大会のエントリーフィーに回せたら、もう一回や二回走れると。
しかし、走るだけを目的とするのはもう飽きたし、走った後にビールをゴクゴクと飲んでいるランナーさんが羨ましくって、その横を何度恨めしそうに見つめながら帰った事か。
初めての”新幹線通ラン”はその乗り心地の良さと速さに驚き、どうして今まで新幹線を利用しなかったのかと逆に後悔したくらい。
もちろん、走り終えてから飲んだビールは最高だったし、会場で販売されていた新米のコシヒカリのおにぎりの美味しさに感動もした。
コースは坂ばかりで苦しかったし、その結果はともかくとして、とても楽しめた大会だった。
あれから3年、まるでゼンマイのキレた時計のようにぴたりとその動きを止めたマラソン大会。
ご多聞に漏れず「越後湯沢秋桜マラソン」も中止、中止の数年を経て今年。
再び動き出した時計の針は生まれ変わった大会を提供してくれた。
「ゆざわコスモスRUNフェスタ 越後湯沢コスモスマラソン」

今回は家庭の事情もあり、新幹線で向かうことはできなかったが、またあの雰囲気を楽しんで来ようと胸いっぱいに期待を込め、関越道をひた走り会場に向かった。
やや早めに到着した会場近くの駐車場。
いつも見られるような渋滞やひとの波が見られない。
ハーフのスタート2時間前。
きっとこの町の気質なのか、地元参加者さんものんびりとしているのだろうと思っていた。
ところがどうだろう。
以前の様な活気も見られない。
参加者さんの絶対数が以前とは比べようもないほど減っているのではないかと思われた。
スタートの白線、その後ろに並ぶ人たちのその間隔がやたらと広い。
コロナ前の様な押し合いへし合いの並びとは明らかに違う。
コースも厳しくひとをかき分け、前に出ようとする強引なランナーさんの姿もあまり見られない。
空間のあるランはストレスをもかき消してくれるのだろうか。
それに比べて山間を走るこのコースの厳しさにはさすがに苦しんだ。
前半の11㎞は山を上って下りる。
そして会場まで戻り、後半の10㎞弱を湯沢温泉街に向かって走り、折り返して会場に戻る設定。
前半の山で力を使うと、後半のアップダウンの激しい温泉街で地獄を見る。
分かっていても、今回もそうだった。
ここを走る度に坂に対する適応力や持久力のなさに苛まされる。
暑い夏を経てやっと走れるようになる”開幕戦”で思いっきり凹まされるのだ。

それでも、ゴール後にビールが待ってると思えば自然に口角が上がるものを、今回はそのネタがない。
ただただ苦しい思いをしに、遠路はるばる越後の地にまでやってきたことになってしまった。
おまけに走る前からどうにも体がだるく、本当に走らなけりゃいけないのかとうつむいてばかりいた。
どうも調子が上がらない前半の上りを終え、下りになってスピードに乗って、お調子にも乗って半分を過ぎた頃にもう一度現実にひこずり戻された、そんな感覚だった。
それより何より、年々衰えていく体力、走力、気力。
それがシニアの誰もが抱える悩みどころ、じゃないだろうか。
年間10本走ってきたとする。
それを20数年重ねてきた。
単純に計算しても200レースを走ってきた勘定だ。
今や緊張することもなければ、ワクワク感もない。
どこを走っても、初めて参加する大会と言えども、新鮮さなど一切感じられない。
”走ってはいるけれどもレースを走りたい気持ちがない”
と、打ち明ける知人のランナーさんもいる。
きっと自分は惰性や習性でレースを走っているだけかもしれない。
あの越後湯沢の楽しさって、いったいどこに消えてしまったのだろうか。
自分の心の中にある消しゴムで消してしまったのは走ることではなく、レースを楽しむ思う高揚感なのだろうか。
冷めた気持ち、消してしまった高揚感、せめて今はその心の中のメモ用紙に筆圧で残ったあとをなどっていくしかないのだろうか。
時期がくれば思いだす各大会。
その要項を見ているとついエントリーに手を出してしまう癖。
もうそろそろその癖も見直す頃なのだろうか。
向上心、目標を失ったランナー程、惨めなものはない。
「越後湯沢秋桜マラソン」
上越新幹線、その終着駅の越後湯沢駅。
初めて新幹線で向かった大会だ。
普通電車で向かった大会はいくつもあったが、高額な料金の新幹線でなんて贅沢過ぎるだろと敬遠していた。
その料金分を他の大会のエントリーフィーに回せたら、もう一回や二回走れると。
しかし、走るだけを目的とするのはもう飽きたし、走った後にビールをゴクゴクと飲んでいるランナーさんが羨ましくって、その横を何度恨めしそうに見つめながら帰った事か。
初めての”新幹線通ラン”はその乗り心地の良さと速さに驚き、どうして今まで新幹線を利用しなかったのかと逆に後悔したくらい。
もちろん、走り終えてから飲んだビールは最高だったし、会場で販売されていた新米のコシヒカリのおにぎりの美味しさに感動もした。
コースは坂ばかりで苦しかったし、その結果はともかくとして、とても楽しめた大会だった。
あれから3年、まるでゼンマイのキレた時計のようにぴたりとその動きを止めたマラソン大会。
ご多聞に漏れず「越後湯沢秋桜マラソン」も中止、中止の数年を経て今年。
再び動き出した時計の針は生まれ変わった大会を提供してくれた。
「ゆざわコスモスRUNフェスタ 越後湯沢コスモスマラソン」

今回は家庭の事情もあり、新幹線で向かうことはできなかったが、またあの雰囲気を楽しんで来ようと胸いっぱいに期待を込め、関越道をひた走り会場に向かった。
やや早めに到着した会場近くの駐車場。
いつも見られるような渋滞やひとの波が見られない。
ハーフのスタート2時間前。
きっとこの町の気質なのか、地元参加者さんものんびりとしているのだろうと思っていた。
ところがどうだろう。
以前の様な活気も見られない。
参加者さんの絶対数が以前とは比べようもないほど減っているのではないかと思われた。
スタートの白線、その後ろに並ぶ人たちのその間隔がやたらと広い。
コロナ前の様な押し合いへし合いの並びとは明らかに違う。
コースも厳しくひとをかき分け、前に出ようとする強引なランナーさんの姿もあまり見られない。
空間のあるランはストレスをもかき消してくれるのだろうか。
それに比べて山間を走るこのコースの厳しさにはさすがに苦しんだ。
前半の11㎞は山を上って下りる。
そして会場まで戻り、後半の10㎞弱を湯沢温泉街に向かって走り、折り返して会場に戻る設定。
前半の山で力を使うと、後半のアップダウンの激しい温泉街で地獄を見る。
分かっていても、今回もそうだった。
ここを走る度に坂に対する適応力や持久力のなさに苛まされる。
暑い夏を経てやっと走れるようになる”開幕戦”で思いっきり凹まされるのだ。

それでも、ゴール後にビールが待ってると思えば自然に口角が上がるものを、今回はそのネタがない。
ただただ苦しい思いをしに、遠路はるばる越後の地にまでやってきたことになってしまった。
おまけに走る前からどうにも体がだるく、本当に走らなけりゃいけないのかとうつむいてばかりいた。
どうも調子が上がらない前半の上りを終え、下りになってスピードに乗って、お調子にも乗って半分を過ぎた頃にもう一度現実にひこずり戻された、そんな感覚だった。
それより何より、年々衰えていく体力、走力、気力。
それがシニアの誰もが抱える悩みどころ、じゃないだろうか。
年間10本走ってきたとする。
それを20数年重ねてきた。
単純に計算しても200レースを走ってきた勘定だ。
今や緊張することもなければ、ワクワク感もない。
どこを走っても、初めて参加する大会と言えども、新鮮さなど一切感じられない。
”走ってはいるけれどもレースを走りたい気持ちがない”
と、打ち明ける知人のランナーさんもいる。
きっと自分は惰性や習性でレースを走っているだけかもしれない。
あの越後湯沢の楽しさって、いったいどこに消えてしまったのだろうか。
自分の心の中にある消しゴムで消してしまったのは走ることではなく、レースを楽しむ思う高揚感なのだろうか。
冷めた気持ち、消してしまった高揚感、せめて今はその心の中のメモ用紙に筆圧で残ったあとをなどっていくしかないのだろうか。
時期がくれば思いだす各大会。
その要項を見ているとついエントリーに手を出してしまう癖。
もうそろそろその癖も見直す頃なのだろうか。
向上心、目標を失ったランナー程、惨めなものはない。