風をうけて vol.3

お引越ししてまいりました。
拙いブログですがよろしくお願いします。

回想「惨敗、夏の作物事情」

2010-10-31 09:17:44 | 日記・エッセイ・コラム

2010_10240079 とにかく酷かった。

記録的な猛暑。

日中はおろか、

深夜になっても下がらぬ気温。

全く降らない雨。

砂漠の様相と化した畑には

それでも雑草だけが生息している。

が、それでもその勢いは高温により、

たとえ雑草であっても随分抑制されていたような気がした。

所要の為、訪れた農協職員によれば、あの川の土手の雑草さえ枯れ始めたと。

そういえば隣家の山茶花の葉は茶色く変色し、我が家の芽白ヒバは

完全に枯れてしまった。

2010_07250004 そんな時にである。

冬用の野菜の播種をする時期になっていた。

しかし、まさかそんなにこの猛暑が続くとは

誰しも思っていなかったのだろう。

こぞって、農家の人々は畑を耕し、種をまく。

当然、私もである。

ただ、我が家の自家食用だけに、その規模は小さく、

手間もさほどではないのだが、時間的に余裕のない私にとっては

一大事な作業でもあった。

そして私の場合、育苗ポットに種をまく。

なぜかといえば、畑での潅水はあまりに効率が悪く、手間もかかる。

しかしその点、ポットの場合管理は容易なのだ。

何せそれは自宅に置いてあるのだから。

その代わり、小さなその中のでの成長であるから

苗が根を張る事を制限され、ひ弱な苗となり

定植後の生育に多少のリスクを負うのだが、ここは致し方ない。

それでも、そこまでの作業は順調だった。

発芽率もよく、かなりの勢いで成長を続ける苗に喜びさえ感じていた。

それはそうである。

毎日毎晩下がらぬ気温。

乾きに気を使い、潅水はたっぷりと行っている。

ならば成長しない訳がない。

2010_10240077 そこに大きな落とし穴があったのだ。

慢心こそが命取りである農業に

改めてその怖さを思い知らされた。

成長のスピードを落とそうとしない苗。

そのスピードは、昨年のそれから比べると

約10日~2週間程

早くなってしまったと思えた。

しかも、温度はいつまでたっても

下がる事はなく、そんな悪条件に輪をかけるように雨が全く降らなかった。

夏の終わりにはよく来る雷雨さえない。

砂漠と化した畑には、何処の農家も苗を定植していない。

それでも、待ちきれず植え込んでいた農家の畑には潅水用のチューブが

張り巡らされ、虹色に輝く噴水の霧が輝いていた。

が、である。

日中の高温で、湿ったはずの土壌はあっという間に乾燥。

それどころか、熱気となった水分が苗を痛めつけている。

それを目の当たりにすれば、定植をためらう事は当然だ。

こうして、成長を続ける苗と、天気と、温度にやきもきした日々が続いていた。

しかし、成長しすぎた苗は定植後の活着が非常に悪く、

いつまでもそのまま待っている訳にもいかない。

2010_10240076 仕方なく、雨を期待し、

気温が下がる事を願って

思い切って定植を遂行した。

9月初旬の事だった。

しかし、いつまで待っても

雨は降らなかった。

気温も当然下がらず、

毎朝勤務前に

ポリ容器で100Lあまりの水を運び、潅水を続けた。

白菜、ブロッコリー、カリフラワー、キャベツ。

それでも白菜はあっという間に全滅。

その他もどうも生育が思わしくない。

白菜がないと言う事は、我が家の冬の食卓に大打撃を与えかねない。

それでも幸運な事に、白菜に関しては早生、中生、晩生と種類があるため、

この時期ならばまだこの時期から播種しても間に合う品種がある。

思わしくない定植した苗を早々に諦め、再び播種、育成。

そして二度目の定植を行った。

その時期、9月中旬だと記憶している。

しかし、この苗もどうも順調には生育してくれない。

原因は良く分からないが、生き残った苗は半分ぐらいか。。。

もうこの時点で、情けなく、悲しく、戦意を失った。

キャベツやブロッコリーなどは何とかなりそうだったので、白菜は諦めかけていた。

しかし、今なら、そして温度をかけ成長を促せばまだ何とかなるかもしれない。

で、残っていた種を諦め気分の中で蒔く。

実にこれで3度目の挑戦だった。

苗は何とか生長した10月上旬に定植。

あとはその後の成長を見守るだけである。

2010_10290006_2 2010_10290007_2

今のところは

何とかなりそうな

気配だ。

しかし、

時期を逸した

白菜はまとまる事はない。

そう、丸くなることがなく、葉が開いたままの白菜など、白菜ではない。

さあ、この3度の挑戦、どうなる事やら・・・。

しかも、今年の冬は厳しくなるらしい。

そうなれば余計に心配でもある。

こうした物に対して霜は大敵なのだから。

2010_10290008 2010_10290009_2

また直播の大根も、

暑さに強いと言われるねぎさえも、

大変な不作だ。

私が経験する記憶の中でも

最悪に近い

この夏の戦いであった。

苦労が全く報われずに2度枯れてしまった白菜。

異常な伸びで、不自然な形に成長したブロッコリーやキャベツ。

畑に様子を見に行くたびに溜息の連続である。

この数年、どうも季節がおかしい。

おかしいと言うか、ずれている感がする。

2010_10290011_3 これに合わせていかなければ、

植物を手がける事はできない。

「直感」、農家にとっては

これこそが命であると感じられずには

いられない。

事実、よその畑には

そんな事情があったのかと

疑いたくなるような

立派なものが作られているお宅もあるのだ。

流石である。

生活をかけた仕事であるのだから当然であるのだろうだが、

その技術力は、やはり相当なものであると思い知らされた。

まだまだ、ひよっこな私の夏の経験であった。

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レースの前の戦い! 「上州太田スバルマラソン」を走ってきました。

2010-10-25 08:56:50 | マラソン

2010_10240001 朝、玄関を出ると

これでもか!と言うほどの朝焼け。

昔から朝焼けの日は天気が崩れると。

しかし、この日は天気の事よりも

もっと何か嫌な事が起こるような

そんな予感を感じさせていた。

今日は「上州太田スバルマラソン」の

開催日。

この大会は市街地や

その周辺道路を規制して行われる大会の為スタート時間が極端に早い。

今年はハーフの部が新設され、あろうことに今までの8時スタートの

最長距離であった10kmの部よりも、更に15分早い7時45分のスタートだ。

当然、そのハーフの部に参加の私は、幾ら勝手知ったる太田市の大会とはいえ

それ相応の時間に出発しなければならないのだが、

母親を一通り見てからの出発となると自宅を出発できるのは6時近く。

それでも急いで行けば、早朝である事から20分ぐらいで会場まで着ける算段だ。

2010_10240005 しかし、いざ会場近くまで来ると

今までにない程の大渋滞に

巻き込まれた。

まだ薄暗い6時過ぎの事だ。

それでもまだ時間的には

余裕があり、何とかなるだろうと

高をくくっていた。

しかし、ホントに動かない。

指定された駐車場までは1kmもない距離だと言うのに

既に30分は過ぎている。

やっと動き始めたと思った渋滞の先に、数名の交通整備員の姿が。

何やら、一台一台のドライバーに話しかけている。

対抗車線の車は駐車場へと吸い込まれていくと言うのに

こちら側はそこから直進していき、どうやらここには置かせないようである。

そんな事って・・・。既に受付終了7時の10分前。

ここから他の駐車場では間に合わない事は明白。

なんと理不尽な事を・・・。

それでもダメなものはダメなのだから、他の駐車場へ急ぐ。

当然、この辺りの地理的に詳しい私は、遠隔であっても確実に

駐車できるであろうその場所に急ぐ。

後ろの車は、そんなところへいけるか、と思ったのだろう。

一台もついてはこなかった。

2010_10240007 会場からは2kmぐらいの距離だろうか。

そこも満車の立て札。

ならば、隣接した小学校へと急ぐ。

ここも満車寸前であったが

何とか駐車する事が叶った。

この時点で7時を廻っていた。

会場にアップがてらのラン。

すると、車中に受付表を忘れた事に気付く。

痛恨のミスであった。

もう、だ・め・だ~。間に・合・わ・な・い~!

この時点で殆ど諦めた。

だが、この状態である。

コース上であるこの路さえもいまだに渋滞しており、まったく車の動きがない。

もしかしたらスタートの時間に変更があるかも知れない。

そう思うと、がむしゃらに急げるものである。

2010_10240013_2 会場に到着。その時7時20分位か。

もう、トラックでは大勢の方が

アップのランの渦を作っていた。

急いで、この事情で延長されたのだろう

受付と着替えを済ませ・・・。

しかし、こんな時に限って

さっき頂いた記録計測用のチップが行方不明。

焦っていた。

何処を見つけてもない。

リュックをひっくり返し、着ていたジャージを降っても落ちてこない。

落ち着け、落ち行くんだ。

そうだ、脱いだシューズの上に置いたじゃないか。

と、シューズの中にチップを発見。いったい何をやっているのだと、情けなくなる。

ようやく落ち着き、何とか選手召集位置に着こうとするがトイレを忘れていた。

急いで向かうも何処も長蛇の列。この時、既に7時30分。再び焦りに焦る。

そうだ、競技場の二階なら空いているはず。

雪崩のように押し寄せる下ってくる参加者を掻き分け、トイレに向かう。

2010_10240016 すると偶然同じ地元チームの方と遭遇。

ここでやっと我に帰る。

談笑をかわしながら

スタート位置へ移動。

すると、甘党で参加のねぎさん、

応援の春日部さんとも遭遇。

ほぼ最後尾に並び、

他にも居られた知り合いの方たちとも

談笑しながらスタートの合図を待つ。

こうして何とかスタートには間に合った私であるが、あの状態からでは

ここに着かぬうちにスタートの時間を車の中で迎えてしまった人達も

いるのだろうと思うと、なんともやるせない。

また、この日参加のy-horiさんや羽生さん(ゴール後にお会いできたのだが)

とスタート前にお会いできなかった事が心残りで仕方なかった。

こうして徐々にいつもの通りの平常心に近づいていく

レースとなっていったのである。

そのレースの結果としては、最後尾から前行くランナーを次々に抜き去り

2010_10240030 40歳以上の部120位、

タイムは1時間35分16秒であった。

下り基調ではあったが、

ラスト6km程は4分10秒前後の

ペースで走れていた。

前週のフルマラソンの後としては好走、

快走であったと思う。

(詳細はジョグノートにて)

その後のお楽しみ、この大会の最大の魅力である

車の抽選会は、見事(?)高校生がゲット。

もちろん私は何も手にすることなくこの会場を後にするのだが

2010_10240026 2010_10240028 2010_10240034

他の方の

嬉しそうな

顔を

見ているのは

決して不快な事ではない。

走れただけで見っけ物の私には、これ以上のお土産をもらって帰ることは

むしろあつかましすぎる欲望だと、かえって清々しささえ感じる(強がり)

この日の抽選会でもあった。

その後、会場となりで行われているスポーツフェスタの催し物会場をうろつき

この日を終えた。

2010_10240046 2010_10240051 2010_10240053 2010_10240056 2010_10240064 2010_10240066_2 2010_10240058 2010_10240059 2010_10240070 2010_10240072

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快感!「大町アルプスマラソン」を走ってきました。

2010-10-19 18:50:28 | インポート

2010_10170021 「いったい、何処まで続くんだ~!」

そんな言葉がぴったりな

「大町アルプスマラソン」を

今年も走ってきた。

昨年、命からがらやっと完走できたと言う

曰く付きのこの大会である。

この長野県大町市は北アルプスの麓、

立山黒部アルペンルートの玄関口として

有名な土地柄で、そんな観光地らしく

博物館や温泉施設などが充実しているのは言うまでもなく、

特産の信州そばやりんごなど「食」に関しても私の好物が揃っていると言う

とても魅力的な場所でもあるのだが、マラソンに関しては

昨年の嫌な思い出しかない、そんな土地でもあるのだ。

しかも、自宅から約200kmも離れた場所であるため、

到底日帰りで走ってこられる大会ではないことから、

できれば前後泊でもして、ゆっくり観光がてら走ってこられれば良いのにと

思う大会でもある。

だが当然そんな時間的に余裕が今の私にある訳もなく、

この日もやらなければならない事を全てこなし、出かけられる用意が

やっと整ったのが夜の9時。

2010_10170001 そこから関越道、上信道、長野道を

走り繋いで、やっと会場までの残りの距離

約40km地点の「姨捨SA」にて車中泊。

車の中で寝るのは慣れているとはいえ、

さすがに疲れる。

それでも11時頃から5時頃までの

6時間寝られた事は、

2時間しか寝られなかった

昨年に比べれば、雲泥の差。

まだ薄暗い早朝に洗面を済ませ、途中のコンビニで購入したパンやらおにぎりを

起き抜けのお腹に詰め込んで、残りの会場までの距離を急ぐ。

午前7時、会場に到着すると、今年も「鹿島槍ヶ岳」の雄大な姿が

2010_10170016 お出迎えだ。

3000m級の山々は

遠くから見ているだけでも

迫力を感じる。

この大会のスローガンでもある

「日本の屋根を走ろう!」の

言葉がぴったりな景色だ。

実は、ここまでの道中、

眠い目をこすり、長い時間の運転に

嫌気が差しており、何故にこんな遠くに来てまで走らなければならんのかと

本気で考えていた。

走るだけならば、もっと近くの大会で良いのではないかと・・・。

しかし、この景色を見ていたらそんな考えも、あっという間に吹っ飛んだ!

「良かった~。また今年もこの景色を見られた~。幸せだ~。」と。

体中に詰まっていたガスが一瞬にして全て抜け出たような気がした。

2010_10170040 何となく走る前から嬉しくって

昨年、あれほどまでに苦しんだ

この大会が、何故か好きで好きで

たまらなく感じていたのだ。

先ずは、車椅子の部のランナーさん達の

スタートを拍手で見送り、

ハーフの部と混走であるにもかかわらず

それ程込み合ってもいない

スタート位置につく。

もう気持ちは昨年の失敗の事など、片隅にもなかった。

全ては、このスタートからの10kmで決まると言っても過言ではない

下りのこの走り方に集中していた。

抑えて抑えてちょうど良い。

最初から突っ込んだ走りで足を使ってしまっては、

そこから延々と10km以上も続く上りを走りきる事はできない。

しかも、標高は700m~800mもあることから呼吸系にも負担がかかるのだ。

昨年はそれでやられた。

確かに不調であった喘息の影響もあったのだが、

それ以上に、その事を全く意識していなかった自分の落ち度でもあった。

2010_10170070 今年はここだけを気をつけよう。

そうすれば、あとは何とかなる。

そう確信していた。

キロ5分20秒前後で

何とか抑え切り、上りへと進む。

やはり長い。

ここの上りは極端に足を奪う。

ここも我慢の走り。

頑張ればスピードを上げられない坂でもないのだが、勝負は27km付近の

木崎湖という湖に面した折り返し地点を過ぎてから。

昨年は、ここで止まった。

苦しくって苦しくって、息ができなかった。

もうここで止めなければ、救急搬送の恐れもあると・・・。

しかしゆっくり歩き通して奇跡的な完走。

そんな苦い思い出が頭をよぎる。

大丈夫、走れる。

今年も呼吸はきついが、足は生きているし、我慢できないほどの呼吸ではない。

そこからの再び約4km程ある上りに向かう。

キロ5分40秒程にペースは落ちるが、昨年の思い出を

ひとつひとつ拾い集めながら走り続けた。

楽しかった。苦しい坂が楽しくって仕方なかった。

2010_10170078 雲に隠れてしまった鹿島槍ヶ岳は

残念だったが、全ての山々が

私を後押ししてくれていた。

ここが過ぎれば後は力の限り

下りを走りきろう。

ギヤを変え、ここまで残しておいた

全ての力を残り7kmに注入した。

キロ4分50秒を切るスピードだ。

周りを走っているランナーは私に付く事はできない。

それでも、やはり35kmを走ってきた足には相当な負担だ。

だが、決してスピードは落とさない。

まだいける!まだいけるのだ!と言い聞かせ、40kmを過ぎてからは

2010_10170054 キロ4分20秒を切っていた。

そして、ゴール。

3時間43分23秒のゴールだった。

終った~。と、言うより終ってしまった、

と言う感じだった。

何故かこんな時に限って、

42kmの距離は凄く短く感じる。

楽しいと感じる時は、いつもそんな感じなのだ。

昨年、あれほど長く辛く感じたこのコースが、今日は一瞬で終ってしまった

ように感じられてならなかった。

既にこの時点で来年も走りたいと、いや走れる状態ならば

毎年でも走りたいと思っていた。

2010_10170055 ゴール後のサービスで

りんごやお漬物やお茶などをいただき、

そして着替えをしようとしていると

お隣のご夫人が話しかけてきた。

「早かったですね~。」

「いや、そんな事はないですよ~。」

「うちの主人なんか、まだ全然見えないんですよ。」

「きっと何処かで頑張っていらっしゃいますよ。」

「そうだと良いんですが、きっと歩いてますね、ふふ。」

「無事ゴールできる事を祈ってますよ。もう少しお待ちになってあげてくださいね。」

2010_10170049 2010_10170052

なんと、羨ましいご夫婦なのだろうと。

スタートから4時間あまり、

ご主人の無事のゴールを

待ち続けている奥様。

あまりに羨ましくって。

きっと優しいご主人なのだろうなと思いながら

ゴールをめがけて走ってくるランナーの姿に首を長くして見入っている

ご婦人に別れを告げ会場を後にした。

なんと最後まで感動を与えてくれたこの大会。

まさに「快感!」であった。

来年こそは、もうひとつの望みである観光を夢見て

再びこの地を訪れる事を誓い、帰宅の途に着いた。

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創作 「移住計画」 完結編

2010-10-13 08:42:46 | インポート

Topkirousan しまなみ海道を眼下に見下ろす

ここ四国は伊予の国。

瀬戸内海に沈む夕日は

かつて色々な海辺の景色を

見てきた私にとっても

尚もここまでの絶景があるのかと

驚かせてくれた場所でもある。

温暖な土地柄で、

特産のみかんの味は絶賛に値する。

瀬戸内海の豊富な海の幸といい、食に関して全く不満のない土地柄でもある。

しかし今回の移住地は、そんな環境に魅了され選んだのではなく

ある事件がきっかけで、この土地にお世話になる事となったのだった。

数年前、念願だった四国八十八箇所巡り、お遍路の旅に出た。

会社在職中、そして子育て中には絶対に無理なこの旅である。

800pxjikuwasan_ryozenji_01 今になってようやくその念願がかない、

約1200kmの行程をゆっくりと、

自然を味わい、人とふれあい、

かつて弘法大師が歩んだとされる苦行、

難行の道を「同行二人」で歩く。

白衣に包まれ金剛杖を突きながら

山中の細道を、石段を、

海辺の国道を、と歩みを進めるのだ。

札所に着けば慣れない般若心経を唱え、

そして納経の朱印をいただき次の札所を目指す。

これを八十八箇所をもめぐる旅である。

自分探しの旅、癒しの為の旅、と言えば聞こえはいいのだが

実は私には人には言えぬ深い心の傷があり、ここまでの長い時間、

重くのしかかる荷物となって私の心を痛めつけられていた。

どうにもならない後悔の念、詫びたくとも叶わぬ過去の記憶。

その荷物を降ろすことはできぬとも、せめてそれを一生背負っていく覚悟を

今の自分に身につけさせるためにと、この四国の巡礼の旅を選んだ。

この白衣は、実はこの道中で何処で命を落としてもいいようにとの

「死装束」であり、金剛杖はその墓標代わりする為だと言う説もあるらしい。

昔は、それだけの覚悟の上の旅だったらしいのだ。

私にはそれ程の覚悟はないが、それでも何かにすがりたい一念であったことは

間違いのないことで、しかしそれは信仰とは少し違う意味合いでもあった。

88map こうした旅であるから

同じような境遇で、

いやそれ以上に

大きな悩みを抱えた方や

難病を抱え、

それでもこの旅に

願いを叶えられるとのわずかな希望を持ち

「命の旅路」を歩いている方達にも出合った。

それを信仰と言うにはあまりに過酷で

思わず手を差し伸べたくなる感情になるのも分かる気がするのだ。

それをこの地方では「お接待」と言うらしい。

また、お遍路さんに対しておもてなしをする、それは自分の代わりに

代参をしていただける御礼だという、実に特殊な文化が根付いている。

何処の土地にもそれなりの人の温かさを知る事はある。

Img01

しかしここは特別であった。

私もこのそんな優しさに

救われた一人でもある。

巡礼も中盤に差し掛かった時であった。

ある古びた納屋から

私を呼び止める声がした。

ここまでの間、何度か私も

その「お接待」を受けていた経験から

そのことである事は直感的に分かった。

決して茶堂とは言えないような、

納屋から出てきた老夫婦は、

いかにもにこやかな優しさ溢れるお顔で

お茶を勧めてくださる。

甘い和菓子と温かいお茶は歩き疲れた心身に染み渡る気がして

なんとも嬉しさに包まれ、ついつい長居をしてしまった。

ご夫婦はここで長年暮らしていて、そしてお遍路さんを見つけるたびに

ここに呼び止め、そしてお茶を勧めてきたのだそうだ。

が、寄る年波には勝てず、近々遠く離れた子供の住む家に同居を決めたらしい。

すると、この家は空き家となってしまい、今までこの納屋の軒先で

お接待をする事もできなくなり、それだけが心残りだと・・・。

こんなボロ家だから他に住んでくれる人も居らず、それが悲しくって

仕方ないと涙ながらに言う。

800pxhenromichishirubeもし、よろしかったら、私に

この家をお貸ししてくれませんか」

自分でも予期していなかった言葉が

不意に出てしまった。

しかし、それは本心でもあった。

この遍路の旅を結願した先のことを

薄々ながらここまで考えてもいたのだ。

人の優しさに触れ、暖かさを知り、

残りの人生をいかに過ごしていくのか。

ここで受けた恩は、ここで返さなければいけない。

自分の背負った荷物は、ここでなら背負いきれる。

傷ついた心の痛みも、ここでなら耐え切れるだろうと・・・。

ご夫婦はきょとんとしていた。

が、あまりにも私が真剣な顔をして言うものだから、

やっとその言葉の真意が理解できたようだ。

何故かご夫婦と三人、目に涙を浮かべながら手を取り合って喜びをかみ締めた。

こうして私は十数日後に八十八箇所すべてを廻りきり、結願となった。

と、同時にご夫婦の待つ家へと逆打ちの旅へと再び歩みを進めたのだった。

800pxokuboji_04

今、こうしてこの地の夕日を眺めている。

逆打ちの結願とは成らなかった代わりに

私はここを安住の地として

暮らし始めることができた。

これがひとつの願い事が

叶ったということなのだろう。

今日の朝、届いたご夫婦からの手紙。

優しいご子息夫婦と共に

楽しく暮らしているとの内容であった。

そのご夫婦とのたったひとつの約束、それは私が頂いた暖かいお接待を

これからもここで続けていく事。

今日も実にたくさんの荷物を背負ったお遍路さんが

あの納屋の軒先で歩みを止めていった。

色々なお話をしているうちに、そしてほんのわずかだが、

荷物をそこに降ろしていくような気がした。

そうして少し伸びたお遍路さんの背中を見送るたびに、

どうぞ無事結願できるようにと心の中で手を合わせる。

かつて、私もそうして見送られたように・・・。

今日も瀬戸内海に沈む夕日は、心に染み入る優しさを放っていた。

(写真はネットよりお借りしたものです。)

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忘れていた感覚 「浅間山登山マラソン」を走ってきました。

2010-10-04 11:18:36 | マラソン

2010_10030073 「これだ、これなんだよな~」

昨日、天候の危ぶまれる中

長野県小諸市で行われた

「浅間山登山マラソン」に

参加してきた。

しかしここ最近、とてつもなく忙しい日々が続き

殆ど練習らしい練習は行えてなかったのだが

ぶっつけ本番に近い状態で臨んだこの大会は

今回で10回目の記念大会となっていた。

それが良い事なのかどうかは別として、記念大会にふさわしく

今回はゲストランナーとして、またこの大会を毎回プロディュースしている

ニッポンランナーズ理事長である金哲彦氏を向かえ、

少人数(500人弱)ではあるけど、和気藹々としたなかでありながら盛大に

2010_10030017 そして、地元開催の

ふーど祭りという骨董市の会場の

応援の人並みの中から

スタートが切られた。

この大会、実は参加は今回で

2回目なのだが

今回は記念大会ということで

大幅にコースが変更されていた。

名前のとおりの浅間山ではないのだが、その裏側の山を走る大会で

「チェリーパークライン」と言う道路の頂上までの17kmを

ひた走ると言ったレース。

ゴール地点のアサマ2000スキー場は標高1880mにも達し、

平均斜度が8%、標高差1300mといった実に過酷な大会なのだ。

2010_10030012 以前はその道路の途中にある

浅間山荘までの12kmを

折り返すと言った大会だったのだが

今年は折り返し無しの上りっ放し。

一旦は参加を躊躇したのだが

あの景色を見たいがために

相当な困難なコースとなろうとも

もう一度走りたいと、

参加を決めてしまったのだ。

ましてや、事前の天気予報では相当な荒天も予想され、

山の上ではかなり低温になるとの注意書きもあり、この日の苦難な道を

想像せずにはいられなかった。

スタート前の小諸市は冷たい風が吹くようなうす曇の天気で、

気温15℃だと言うのが信じられないくらいの肌寒さを感じられていた。

しかし、いざスタートすると山の裏側になる為か、冷たい風は感じられず

むしろ暑さを感じるくらいの好天となっていた。

2010_10030048 青い空に澄んだ空気。

そして綺麗に見える雲と

信州の山々が

今までの時間がなく

忙しい毎日に終始していた

自分の心に染み渡り

どんどん浄化されていくのが

手を取るように分かった。

しかしそんな気分とは裏腹に、このコースの厳しさが練習不足の

その足にダメージを与えていく。

いや、足にと言うよりも標高が上がるにつれ、やはり呼吸系に

不都合が感じられてくるのだ。

2010_10030063 この頃では

喘息の症状も全くでていなかった

私ではあるが

こうした標高の高い場所で

激しく呼吸をすると

やはり左の肺に違和感を感じる。

右側に比べて明らかに機能が低いと

感じてしまうのだ。

普通の人ならそんな事など、思うことも感じる事もないのだろうが

そこをそうして感じ取れると言う事は、やはりどこかに不具合があるのだろうなと、

改めて感じてしまった。

2010_10030065 そうした中でも10km地点を越え

ひたすらかなりの斜度のある

坂を上って行くのだが

この頃は遅いなりにも

前を行くランナーをひとりひとり

拾っていく事ができた。

皆、苦しそうな息遣いであり

私よりも明らかに呼吸が荒い。

そうなれば、かわしたランナーは私に付く事はできず、目で確認する事もなく

簡単に離れていくのが容易に感じられた。

絶対スピードはかなり遅く、この辺でのラップはキロ7分ぐらいか。

それでも苦しさにあえぐ。

滴り落ちる汗が道路をぬらし、それは前を行くランナーも同じ事らしく

雨粒が道路を濡らすかのように、こぼれた汗がその苦しさを物語っていた。

最後の給水所、ここでスポーツドリンクを戴いたのだが

その時に足を止めてから、再び走りだす足がなくなっていることに気付く。

2010_10030079 しかし前に行かなければ、ゴールはない。

苦しくとも、例え歩きであっても、

その一歩は確実にゴールを近づける。

周りのランナーも皆、歩きに入っていた。

が、一人が走り出すと

皆も順次走り出すと言った根性比べ。

そこで私が皆からの遅れを黙って

容認する事はできない。

力でもなく、技術でもなく、そこには意地と根性しか存在しない世界。

それはたぶん私だけが感じていたのではなく、歩く事しかできないランナーも

走ってはいても歩くスピードと変わらぬランナーも、

猛然と後ろから追い上げてくるランナーも、皆同じ気持ちだったろう。

まさしく「闘志のぶつかり合い」、これこそがレースの

醍醐味なんだろうなと考えていた。

そうしているうちに予想もしていなかった、まさかの下りに突入した。

2010_10030087 それは、もうここまでだなと諦め

死にかけていた私の闘志の炎に、

再び油を注ぐが如く再点火。

前を行くランナーまで数十メートル、

ここで追いつき追い抜いたとしても

何が変わるでもないのだが、走る走る。

そう、「これだ、これなんだよな~」、

そう思った瞬間だ。

なんともいえぬ快感や感動、そして爽快感が忘れかけていた心の中に、

霧雨が降り注いだかのように覆いかぶされ、思わず身震いした。

コメント (9)
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