記録的な猛暑。
日中はおろか、
深夜になっても下がらぬ気温。
全く降らない雨。
砂漠の様相と化した畑には
それでも雑草だけが生息している。
が、それでもその勢いは高温により、
たとえ雑草であっても随分抑制されていたような気がした。
所要の為、訪れた農協職員によれば、あの川の土手の雑草さえ枯れ始めたと。
そういえば隣家の山茶花の葉は茶色く変色し、我が家の芽白ヒバは
完全に枯れてしまった。
冬用の野菜の播種をする時期になっていた。
しかし、まさかそんなにこの猛暑が続くとは
誰しも思っていなかったのだろう。
こぞって、農家の人々は畑を耕し、種をまく。
当然、私もである。
ただ、我が家の自家食用だけに、その規模は小さく、
手間もさほどではないのだが、時間的に余裕のない私にとっては
一大事な作業でもあった。
そして私の場合、育苗ポットに種をまく。
なぜかといえば、畑での潅水はあまりに効率が悪く、手間もかかる。
しかしその点、ポットの場合管理は容易なのだ。
何せそれは自宅に置いてあるのだから。
その代わり、小さなその中のでの成長であるから
苗が根を張る事を制限され、ひ弱な苗となり
定植後の生育に多少のリスクを負うのだが、ここは致し方ない。
それでも、そこまでの作業は順調だった。
発芽率もよく、かなりの勢いで成長を続ける苗に喜びさえ感じていた。
それはそうである。
毎日毎晩下がらぬ気温。
乾きに気を使い、潅水はたっぷりと行っている。
ならば成長しない訳がない。
慢心こそが命取りである農業に
改めてその怖さを思い知らされた。
成長のスピードを落とそうとしない苗。
そのスピードは、昨年のそれから比べると
約10日~2週間程
早くなってしまったと思えた。
しかも、温度はいつまでたっても
下がる事はなく、そんな悪条件に輪をかけるように雨が全く降らなかった。
夏の終わりにはよく来る雷雨さえない。
砂漠と化した畑には、何処の農家も苗を定植していない。
それでも、待ちきれず植え込んでいた農家の畑には潅水用のチューブが
張り巡らされ、虹色に輝く噴水の霧が輝いていた。
が、である。
日中の高温で、湿ったはずの土壌はあっという間に乾燥。
それどころか、熱気となった水分が苗を痛めつけている。
それを目の当たりにすれば、定植をためらう事は当然だ。
こうして、成長を続ける苗と、天気と、温度にやきもきした日々が続いていた。
しかし、成長しすぎた苗は定植後の活着が非常に悪く、
いつまでもそのまま待っている訳にもいかない。
気温が下がる事を願って
思い切って定植を遂行した。
9月初旬の事だった。
しかし、いつまで待っても
雨は降らなかった。
気温も当然下がらず、
毎朝勤務前に
ポリ容器で100Lあまりの水を運び、潅水を続けた。
白菜、ブロッコリー、カリフラワー、キャベツ。
それでも白菜はあっという間に全滅。
その他もどうも生育が思わしくない。
白菜がないと言う事は、我が家の冬の食卓に大打撃を与えかねない。
それでも幸運な事に、白菜に関しては早生、中生、晩生と種類があるため、
この時期ならばまだこの時期から播種しても間に合う品種がある。
思わしくない定植した苗を早々に諦め、再び播種、育成。
そして二度目の定植を行った。
その時期、9月中旬だと記憶している。
しかし、この苗もどうも順調には生育してくれない。
原因は良く分からないが、生き残った苗は半分ぐらいか。。。
もうこの時点で、情けなく、悲しく、戦意を失った。
キャベツやブロッコリーなどは何とかなりそうだったので、白菜は諦めかけていた。
しかし、今なら、そして温度をかけ成長を促せばまだ何とかなるかもしれない。
で、残っていた種を諦め気分の中で蒔く。
実にこれで3度目の挑戦だった。
苗は何とか生長した10月上旬に定植。
あとはその後の成長を見守るだけである。
今のところは
何とかなりそうな
気配だ。
しかし、
時期を逸した
白菜はまとまる事はない。
そう、丸くなることがなく、葉が開いたままの白菜など、白菜ではない。
さあ、この3度の挑戦、どうなる事やら・・・。
しかも、今年の冬は厳しくなるらしい。
そうなれば余計に心配でもある。
こうした物に対して霜は大敵なのだから。
また直播の大根も、
暑さに強いと言われるねぎさえも、
大変な不作だ。
私が経験する記憶の中でも
最悪に近い
この夏の戦いであった。
苦労が全く報われずに2度枯れてしまった白菜。
異常な伸びで、不自然な形に成長したブロッコリーやキャベツ。
畑に様子を見に行くたびに溜息の連続である。
この数年、どうも季節がおかしい。
おかしいと言うか、ずれている感がする。
植物を手がける事はできない。
「直感」、農家にとっては
これこそが命であると感じられずには
いられない。
事実、よその畑には
そんな事情があったのかと
疑いたくなるような
立派なものが作られているお宅もあるのだ。
流石である。
生活をかけた仕事であるのだから当然であるのだろうだが、
その技術力は、やはり相当なものであると思い知らされた。
まだまだ、ひよっこな私の夏の経験であった。