
今年はこの時期としては比較的気温も低く、といっても30℃近くにはなっているのだけど、今までが今までだけにそのくらいならいくらでも走れるような気がするお天気事情。
それはあくまでも自分のからだが走る体制でいられれば、での話なのだがいくら休んでも待っていても相変わらず出口さえ見えぬ状態に変わりはなく”なんだかな”の時を過ごしている。
そうなるとやる気、そうモチベーションまで地の底まで落ちていくんじゃないかと自分でも心配になるような体たらくぶり。
そもそも目標というものがない、いや、目標さえも掲げられない状態ではモチベーションがどうだのやる気がどうだの言うこと自体間違っているような気がするのだが。
ともかくこの状態から抜け出す最良の方法を見つけなければ話にならない。
ほんのちょっとでも、ヒントみたいなものでもかまわないのだが、やはりそれには医療の手を借りなければならないということなのか。
できればもう薬に頼るようなことはしたくないし、どうも神様・仏様にお願いしても聞いてはくれそうにないので自分の力で何とかしなければならない。
そう、今は全力でその問題に立ち向かう時期だということらしい。
それにしてもこうして怪我・病気に大きく関与していると思われる加齢というもの。
こいつはかなり手ごわい。
が、この加齢と言う部分を無視するかのようなある一部の方たちはこうして今自分が置かれている事実を踏まえて鑑みるとある意味、市民ランナーのあこがれでもあるサブスリーでフルを走るランナー達をはるかに超え、まさに超人的な種の人類であると思えて仕方ない。
そういう方々が身近にいることが更に自分のふがいなさを際立たせるようで本当に情けない気持ちになる。
さて、そんな状態だからといって何もしないで家にいるのも退屈というもの。
時にはあの公園のジョギングコースに繰りだし、少しだけでも自分はランナーだということを忘れぬためにもその中に身を置いて何時かのためのイメージを描いている。
「熊谷さくらマラソン」の会場でもあるさくら運動公園。

ここは大きな木がコースにさす日をかなりの割合で遮ってくれるためここから夏にかけてはとてもいい練習場所となる公園。
ここを歩き、そして時には短い距離を走り、来年のさくらマラソンのゴールを思い描く。
その妄想だけでも充分楽しめるのだが、もしもそれが現実となったとしたら自分は今までの自分とは全く違った自分に生まれ変われるような気がする。
”呪縛からの解放”
それこそが本当の自分にとってのランニングライフ。
偽りのない生きざま。
長い間悩み続け、探し続けた自分の本当の姿。
それをこの身をもって実感するまで諦めることはない。