新しい職に就いて一ヶ月が過ぎました。
まだ慣れない事ばかりで、苦しい毎日を過ごしています。
ともかく、周りは自分の子供ぐらいのひとが多くって、一番年配の方でも50歳代そこそこ。
要するに新人が桁外れに”お年寄り”だってこと。
これは仕事以上に参りましたわ。
どうして応募してしまったのか、いや、どうして自分のような年齢の者が採用されたのか、未だにその理由を見つけ出せません。
それだけではなく、他の人たちとの接点を見出すことができないんですよ。

そのひとつとして。
この会社、頻繁にコンプライアンス系の教育が行われているのですが、ある時不妊治療を行っている女性がもしいたなら、その女性に対しての理解を、みたいなプリントが渡されました。
自分には経験がなくとも、その治療の辛さというのは容易に理解できることと思うんだけど。
が、周りでささやかれたのは、”またかよ、自分たちには関係ないから”という言葉。
実はそれ以前にも女性に対してのセクハラ系の教育も何度かあったみたいです。
確かに私たちの勤務時間には女性は誰ひとりとしていないし、関係ないと言えば関係ない。
不妊治療に関して言えば、独身の方が多い職場で、今のところは、という意味で自身に対する関係性はありませんということになりますよ、確かに。
だけど、この教育というのは、自分自身が受けるモノではなく、自分から発するモノに注意をというもの。
そうした中で、今は女性でもその時間に勤務する方はいくらでもいる時代。
しかも、この先そうなったらこの職場にだって可能性だってある訳で、まったく無関係ということはないでしょう。
それにもし私が退職したあと、女性が配属されるかもしれないし・・・(それはとりあえず、こっちへ置いといて・・・笑)
可能性は絶対に”0”ではない。
以前には短い期間、女性もいらっしゃったそうで・・・(退職したそうです)
となれば、その時にその様な”事件”も起こりえるでしょう。
またご近所、お友だち、親戚に至るまで、身近に関係するひとの中にはそうして悩んでいる方が実はいた、なんてこともあるかも知れないし。
それは社内だけの問題ではないということだし、コンプライアンスというよりも、社会通念上の大きな問題でもあると思うのですよ。
関係ないから、、、それでは済まされないのが、こうした問題なわけで。
もしかしたら意外と知らないところで、しかも無意識の中で傷つけていた、、、なんてこともあるかも。
だからこその教育であって、女性が職場にいるいないのお話しじゃない。
自分は大丈夫、それはない、、、だって、受け止める側の問題なんだからね。
いくら気を使ってもダメな時はダメなんだし、、、それでも最善の気遣いは必要だよって、そんなお話しでしょ。
そもそも、普通に考えられるモラルさえしっかりと守っていればその様な教育なんて不必要だとは思うんだけど。
でも、その様な項目がコンプライアンスの中に盛り込まれているということは、もしかしたら以前に前例があったのかも知れないし。
難しい社会の中を生きて行くんだから、自分勝手で相手の気持ちを顧みない身の振る舞いにはバツが与えられますよ。
そんなことですわな。
それを理解する、しないはそりゃ自由かも知れないけど、もしお相手がいれば、そのお相手さんにとっては迷惑千万なお話し。
もちろん、それは私だって無いとは言えない。
でも、そんな所にちょっとばかりのジェネレーションギャップを感じてしまうのですよ。
いや、これは年齢的な考え方の違いじゃなく、人間の本質の部分の問題かも知れないけどね。

年齢、年代に関係なく常識って、どこにも同じ物が存在するはずでしょ。
それには、それぞれの考え方や理解の方向性の違いはあっても、行きつく先は必ず同じところに落ち着く訳で・・・。
さて、どうなんでしょう。
私は就業制限の65歳までこの世界で生きて行けるのでしょうか。
同じ価値観をもった年齢も近い、そんな人の多くいる職場を求めた方が、気持ち的に落ちつけるのではないかと思う毎日なのですよ。
いやいや、これも慣れの問題なのだと、毎日繰り返し思い込むようにしているけど、こればっかりは辛いよねぇ。
仕事や人間関係の他にだって、遊びにしても、趣味にしても、この時間に働きそして休日もバラバラで、何をどう楽しんで良いのやら悩むばかり。
とか、思ってはいても、また無職、職探しのわずらわしさの中に戻るのも嫌だし、悩める子羊、、、いや”老羊”は今夜も暗い気持ちを引きづりつつ出勤するのでございますよ。
ああ~あ、夢の年金暮らしまで、、、あと3年と9ヶ月、、、ひたすら長い時間でございます。
まだ慣れない事ばかりで、苦しい毎日を過ごしています。
ともかく、周りは自分の子供ぐらいのひとが多くって、一番年配の方でも50歳代そこそこ。
要するに新人が桁外れに”お年寄り”だってこと。
これは仕事以上に参りましたわ。
どうして応募してしまったのか、いや、どうして自分のような年齢の者が採用されたのか、未だにその理由を見つけ出せません。
それだけではなく、他の人たちとの接点を見出すことができないんですよ。

そのひとつとして。
この会社、頻繁にコンプライアンス系の教育が行われているのですが、ある時不妊治療を行っている女性がもしいたなら、その女性に対しての理解を、みたいなプリントが渡されました。
自分には経験がなくとも、その治療の辛さというのは容易に理解できることと思うんだけど。
が、周りでささやかれたのは、”またかよ、自分たちには関係ないから”という言葉。
実はそれ以前にも女性に対してのセクハラ系の教育も何度かあったみたいです。
確かに私たちの勤務時間には女性は誰ひとりとしていないし、関係ないと言えば関係ない。
不妊治療に関して言えば、独身の方が多い職場で、今のところは、という意味で自身に対する関係性はありませんということになりますよ、確かに。
だけど、この教育というのは、自分自身が受けるモノではなく、自分から発するモノに注意をというもの。
そうした中で、今は女性でもその時間に勤務する方はいくらでもいる時代。
しかも、この先そうなったらこの職場にだって可能性だってある訳で、まったく無関係ということはないでしょう。
それにもし私が退職したあと、女性が配属されるかもしれないし・・・(それはとりあえず、こっちへ置いといて・・・笑)
可能性は絶対に”0”ではない。
以前には短い期間、女性もいらっしゃったそうで・・・(退職したそうです)
となれば、その時にその様な”事件”も起こりえるでしょう。
またご近所、お友だち、親戚に至るまで、身近に関係するひとの中にはそうして悩んでいる方が実はいた、なんてこともあるかも知れないし。
それは社内だけの問題ではないということだし、コンプライアンスというよりも、社会通念上の大きな問題でもあると思うのですよ。
関係ないから、、、それでは済まされないのが、こうした問題なわけで。
もしかしたら意外と知らないところで、しかも無意識の中で傷つけていた、、、なんてこともあるかも。
だからこその教育であって、女性が職場にいるいないのお話しじゃない。
自分は大丈夫、それはない、、、だって、受け止める側の問題なんだからね。
いくら気を使ってもダメな時はダメなんだし、、、それでも最善の気遣いは必要だよって、そんなお話しでしょ。
そもそも、普通に考えられるモラルさえしっかりと守っていればその様な教育なんて不必要だとは思うんだけど。
でも、その様な項目がコンプライアンスの中に盛り込まれているということは、もしかしたら以前に前例があったのかも知れないし。
難しい社会の中を生きて行くんだから、自分勝手で相手の気持ちを顧みない身の振る舞いにはバツが与えられますよ。
そんなことですわな。
それを理解する、しないはそりゃ自由かも知れないけど、もしお相手がいれば、そのお相手さんにとっては迷惑千万なお話し。
もちろん、それは私だって無いとは言えない。
でも、そんな所にちょっとばかりのジェネレーションギャップを感じてしまうのですよ。
いや、これは年齢的な考え方の違いじゃなく、人間の本質の部分の問題かも知れないけどね。

年齢、年代に関係なく常識って、どこにも同じ物が存在するはずでしょ。
それには、それぞれの考え方や理解の方向性の違いはあっても、行きつく先は必ず同じところに落ち着く訳で・・・。
さて、どうなんでしょう。
私は就業制限の65歳までこの世界で生きて行けるのでしょうか。
同じ価値観をもった年齢も近い、そんな人の多くいる職場を求めた方が、気持ち的に落ちつけるのではないかと思う毎日なのですよ。
いやいや、これも慣れの問題なのだと、毎日繰り返し思い込むようにしているけど、こればっかりは辛いよねぇ。
仕事や人間関係の他にだって、遊びにしても、趣味にしても、この時間に働きそして休日もバラバラで、何をどう楽しんで良いのやら悩むばかり。
とか、思ってはいても、また無職、職探しのわずらわしさの中に戻るのも嫌だし、悩める子羊、、、いや”老羊”は今夜も暗い気持ちを引きづりつつ出勤するのでございますよ。
ああ~あ、夢の年金暮らしまで、、、あと3年と9ヶ月、、、ひたすら長い時間でございます。