風をうけて vol.3

お引越ししてまいりました。
拙いブログですがよろしくお願いします。

夢は3000m、序章「七峰縦走ハイキング」を歩いてきました。

2011-04-25 08:59:43 | 山、ハイキング

2011_04240009 山は人に生きる意義を

与えてくれるらしい。

毎日の生活の中で

心に淀んだ空気を

溜め込んでしまった人々に

その捌け口を導いてくれる。

汗をかき、息を切らし、

それでも歩みを続ける。

景色さえ見る余裕もないのに、それでも山の中にいる事が

まるで母親に抱かれているかのような安堵感に浸れるのは

言葉として大げさな事なのだろうか。

昨日、ある鉄道会社の主催である「第26回外秩父七峰縦走ハイキング」に

深谷SRCの方々と共に参加してきた。

この大会、昨年までは「かすみがうらマラソン」と同日の開催となっていて

気にはなっていたのだが、そんな事情で今まで参加することはなかった。

しかし今回は深谷SRCの方々にお世話になり、申し込みからスケジュールまでの

全てをお任せという、実にお気楽な山歩きになり感謝の一言だ。

さて、ここで言う七峰とは

「官ノ倉山(344m)」、「笠山(837m)」、「堂平山875m)」、「剣ヶ峰(876m)」

「大霧山(766m)」、「皇鈴山(679m)」、「登谷山(668m)」の山々。

これを結ぶ約42km縦走のハイキング。

いや、ハイキングとは名ばかりで本当はかなり厳しい登山であった。

2011_04240007 しかし、この大会も

昨今の山ブームに乗り

今やかなりの人気イベントと

なってしまったようで、

未確認の情報によれば

5千人ほどが参加していたらしい。

よって至る場所で

渋滞が発生してしまい、

残念ながら自分のペースで歩く事は全くできなかった。

それでも今の私はこの山に来れただけで、充分嬉しさを感じていた。

昨年までは喘息の発作が怖く、山中で発症してしまえばどうなるのかと

そればかりが頭の中にあり、どうしても山に行こうという気が起きなかったのだ。

こうして山の気圧や気温の変化にも何とか対応できるようになった

この呼吸系の復活は、私を元気にしてくれる。

やっぱり山は良い。

2011_04240045 木々の緑、空の青さ、

鳥類のさえずりが心を

開放してくれる。

たまに秘めやかに

そしてつつましく咲く

高山性の植物を

目の当たりにすれば

それまで力の入っていた肩が

す~っと楽になるのを感じる。

それは全てが自然の力であると共に、それを感じ取る自分自身が

この山と同化してしまうかのような錯覚を覚える瞬間でもある。

今回はそんな渋滞の影響もありチェックポイントを下山刻限の15時に

通過することができず、42kmの完歩とはならなかった。

しかし何の悔いもない。

坂を繰り返し、見上げる空は何処までも高く、はるか彼方の山へと続く。

ただただ、そんな山にいる事の喜び、歩く事の楽しさは

これで終わりを告げた訳ではない。

2011_04240043 今年は山に行こう。

決して高い山でなくても良い。

山は力を与えてくれる。

そこに山があるから登るのではなく

山が私の大事な場所だから登る。

四季を感じ、

大地を踏みしめ

空に近づく。

それが私の生きがい、そして夢の序章でもあるから。

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あれから一ヶ月、未曾有とは言うけれど・・・。

2011-04-12 09:39:33 | 日記・エッセイ・コラム

2011_04100075 昨日までの春の陽気が

まるで夢だったかのように

今日は冬の風が吹き荒れている。

満開に咲いた桜の花も

この風で随分痛めつけられて

しまった事だろう。

「花の命は短くて・・・」

未曾有の震災といわれた

今回の地震から一ヶ月が経った。

しかし未だに大きな余震が続く。

今回、被災された方々には心よりお見舞いを申し上げたいし、

お亡くなりになられた1万人を超す方々には心より冥福を祈りたい。

                「合掌」

また世界的にも最大級の原発事故とされ、漏れ出した放射線物質により

避難を余儀された方々の避難所生活は、いつ終るとも先の見えぬ状態。

更に一部地域の放射能を浴びた農産物は出荷停止の規制を受け、

その影響でこの地域の野菜は放射能を検出されぬとも価格が下落したらしい。

風評被害と言うのにはあまりに厳しい現実。

農家の収入に大打撃を与えるどころか、経営自体を揺るがす大事に

溜息さえ出ぬと、ある農業経営者。

2011_04100040 多くの人があの地震により

人生を狂わされてしまった。

もちろんそれは他人事ではなく

私も、そして同じ職種の

製造業に従事する

“同僚”たちも皆同じだろう。

津波や地震により

崩壊した生産体制を

復興させるにはそう簡単にはいかない。

塩水を被ってしまった施設や設備はその機能を取り戻す可能性は低いと思う。

精密になればなるほどそれは至難を極める。

そんな工場が今回の東北の地に無数にあるらしい。

わが社(自動車の部品生産)は幸いにも被害は少なく、

数日で生産体制は整った。

が、部品をすべて調達できなければ稼動できない自動車生産の取引先。

なれば、わが社がいくら稼動してもその意味は無い。

従って長期にわたり休業となってしまった。

それは我が社だけの事でなく、多くの会社が同じ道をたどっていると聞いた。

よくい言う「自粛ムードの中では経済が停滞する」と。

が、自粛せずとも仕事自体が無くなり、当然給与も確実に激減する。

先に書いたように農業にも深刻な影響を与え、

工業に従事する者にも同じダメージを与えている。

2011_04090014 ならば、サービス業にも

その影響が出ない訳が無い。

先日、ある寄り合いがあり、

わが街の老舗割烹店に出向いた。

女将の話によれば、

官庁や民間の歓送迎会等の

予約で埋まるはずのこの時期、

閑古鳥が鳴くような事に

なってしまっていると嘆いていた。

もちろんそれは一般市民も同じ事で、毎年派手に行われていた花見なども

どの公園に行ってもそれ程見かけることは無かった。

それはそうである。

被災した方々を思ってだけの自粛だけではなく

多くの家庭の稼ぎ手の仕事が無いのに、酒を飲んで騒げるような

経済状態ではなくなってきているのだ。

しかし、しかしである。

ここで沈んでいては・・・。

たとえ底なし沼の状態であったとしても、藁をもつかみたい心境であっても

決してそのままのまれたりはしない。

もがいて、もがいて、必死に手足をバタつかせる。

でなければ、自分として、親として、日本人として、人間としての誇りとして

決して許せる事ではない。

そしていつか、皆が笑って咲き誇る花を堪能できる生活を取り戻すのだ。

2011_04100068 今回の地震、

それは自然を侮っていた

人間に大きな警鐘を鳴らした。

自然はとてつもなく偉大で、

人間はそれに打ち勝つ事は

永久にないだろう。

しかし、自然と共に

生きる事はできる。

自然に生かされていることをこの胸に深く刻み込み、

今回のこの教訓を後世に引き継ぐ事も、

事態を経験した者の大きな、そして大切な役目ではないかと強く思わされた。

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泣かない十五の春のその先に・・・。

2011-04-01 19:14:21 | 日記・エッセイ・コラム

2011_04010003 「十五の春は泣かせない」

そんな言葉をご存知だろうか。

京都府の知事であった

蜷川虎三氏のとった政策である。

それはこの埼玉県でも

例外ではなく

同じ道をl進んだようで

公立高校の数を増やし

高校への進学率を高め、ひいては高等教育を受けた若者が就業するにあたり

地域経済や地場産業を育成する事を目的とした、

と言ったような政策だったようだ。

しかし、その事により公立高校の学力は落ち、大学への進学率も

低下してしまったとも言われている。

それどころか、現在では少子化の影響で定員に満たない高校も

数多く存在してしまい、結局廃校となる高校も決して少なくない。

私の住んでいるこの地域の学区でも、数多くの高校が廃校になった。

その影響か、今年の公立高校入試の競争率は、

どこの高校でもかなり高くなってしまい、今年の十五の春は

結構大変だったようだ。

2011_04010016 しかし、悲劇は他にもある。

それは、卒業生にとって

大切な母校が、

その季節を最後に

消えてしまうと言う事・・・。

たとえ高校の3年間と言う

短い期間だとしても、

多感な時期でもあり

そして、かけがえのない友との同じ時を過ごした母校でもある。

思い出を語りつくせぬほど抱えた、その母校が消滅するという事は

確かに十五の春は泣かなかったかも知れないが、それと同等の悲しみが

年齢を重ねたその先にやってくるとは、誰もが夢にも思わなかっただろう。

それは何が悪かったと言う事ではなく、時代の流れの中で

致し方ないことでもあり、決して政策の失敗と言う事でもなく・・・。

思い出の母校は胸の中にと、卒業生の皆が思っているに違いないだろうが、

でも、でも・・・なのである。

幸いにも我が母校は100年を越える伝統校。

たぶんこれから先も消滅する事はないだろうと思う。

しかし、消えていった高校の残された校舎を見る度に、そこに通った人達は、

いったいどんな心持でいるのだろうかと、他人事とは言え心が震えてしまう。

2011_04010006 逼迫した行政の財政や、

先にも述べたように少子化、

そして私立校の人気に押され、

これからもそういった伝統が

消え行くかもしれない現在の状況。

切なく、むなしく、

心のやり場のない

この状況に胸が痛む。

せめての救いは、その校舎が他の目的で使用されるという事。

その中には今回の災害で、避難場所として被災者に提供され、

しばらくぶりに人の息吹を感じ、そして忘れ去られ、

さらには葬られようとしていた校舎が、残念で皮肉な事ではあるにせよ

以前のように活躍する役目を思い出しただろうと言う事。

「春」

それは暖かさや優しさを連れてくる代わりに、

辛さも同時に引き連れてくる。

そんなことを思うと、何となくセンチメンタルにならずにはいられない季節、

それが「春」でもある。

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