風をうけて vol.3

お引越ししてまいりました。
拙いブログですがよろしくお願いします。

無情

2024-06-01 04:53:04 | マラソン
早朝5時。

休日の朝にしては乗客は多い。

最寄りの駅から東北新幹線の停車駅、大宮へ向かう。

「仙台国際ハーフマラソン」

運が良いのか悪いのか、抽選による出走権が手に入り初の東北遠征。

国際大会と銘打つだけあってオリンピック選手から実業団のエリートランナー、車いす、そして一般ランナーまでが同じコースを走る貴重な大会だ。

季節は春から初夏へ。



新幹線はやぶさは大宮駅からどの駅にも停車せず、僅か1時間と少々で仙台駅まで結ぶ”超特急新幹線”。

時速300kmの車内はそのスピードをまったく感じさせない乗り心地。

睡眠不足を解消する間もなく到着した仙台駅にはそれとわかる出場ランナーの姿で溢れていた。

仙台駅から仙石線に乗り換え2駅足らずの宮城野原駅に到着するとかなりの強風。

みちのくの空を恨めしく眺める。

会場の弘進ゴムアスリートパーク仙台には楽天イーグルスの本拠地、「楽天モバイルパーク宮城」の野球場がそびえたつ。



ごく普通の大会ならば飲食のブースやランニングアイテム販売のブースが立ち並ぶが、この大会にはその様なものが一切ない。

天候も併せて少々テンションも下がり気味ではあるが、身支度を整えこの時点での朝食を口にする。

30分程前に集合場所を確認すると、もう長蛇の列が出来上がっていて、この時点で整列ブロックの最後方を覚悟。

一度着替えの場所に戻り、トイレを済ませ集合場所へ向かうともうスタート位置へと向かう列が見えていた。

交通規制があるのか沿道にはそれ程の見学者は見えず、レジェンドランナーや主賓と思われる方たちの挨拶を遠くで聞く。

そうしているうちにトップ選手たちのスタートとなり、それに合わせて押し出されるようにコースへ。

相変わらず風は強く、その上に蒸し暑さも感じ始める。

Bブロックの最後尾、ロープで張られたCブロックとの境目が見えないくらいの混雑。

スタートから押し合いへし合いのいも洗い状態。

これが国際レースと言うものなのだろう。

全国各地から集まったランナーたち。



この初夏のみちのくをハイテンションで走り抜けていく。

が、そんな雰囲気に乗れずひとり苦しむ。

どうにもこうにも足が進まない。

大した勾配でもないのに喘ぎ苦しむ。

ケヤキ並木の中の大応援団。

聞けばこの大会後にある「仙台祭り」の太鼓演奏と踊り子さんたちだと。

かなりの盛り上がりで、気持ちも弾むが疲れ切っていたのか、沈むばかりの重い足取り。

前方で崩れ落ちるようにひとが倒れた!

数人のスタッフが駆け寄り、意識があるのかないのか表情のない倒れたランナー。

そうか、苦しかったのは自分だけではなかった。

その証拠に夢遊病者のようにふらつきながらコース上に、沿道に、倒れていくランナーたち。

前走の「かすみがうらマラソン」を思い出された。

そんなせいも根も尽き果てたランナーたちと流れ込むようにゴール。

またもやハーフマラソンのワーストを更新する記録。

ここまで苦しむ理由が分からない。

フルマラソンの疲れなど感じてもいなかったし、疲れるほどかすみがうらを走ってはいない。

自分の不調の原因が分からない。

確かに練習も不足はしていると思う。

それだけではないと思うが、他に理由が見当たらない。

仙台くんだりまできてこのざまか。

やるせない気持ちでいっぱいになった。


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引退

2024-04-23 05:21:50 | マラソン
5年ぶり。

フルマラソン、「かすみがうらマラソン」を走ってきた。

予報の天気は曇り、ひょっとしたら雨が降るかもという微妙な空模様。

スタート前、ポツリポツリと雨粒が落ちてきて、このまま降り続けたら出走を止めようと思っていた。

と言うか、最初から走り切れる自信はまったくなかった。

思い返せば去年の3月。

無理をして走った激坂の「高碕Cityはるな梅マラソン」で痛めた膝裏の痛みが1年を過ぎても回復せず、今を持ってもずっと続いていた。

それに付け加え、前戦「行田鉄剣マラソン」の時に発症した貧血。

本当に無理をしたらそのままマラソンゴールではなく虹の階段を昇りつめてしまうことになると本気で思った。

”走らない言い訳”、それを探すのに当日の朝どころか、会場にいてもそれだけしか考えていなかった。

しかし、周りに言ってしまった以上、走らない訳もいかない。

まったくそれに向けた練習もせず、年が明けてから予定していた3本のハーフマラソンのうち1本はDNS、そしてフラフラになりながら走り切った鉄剣マラソン。

長い距離を走ったと言えばこの膝裏痛をもっと悪化させてしまった今年のはるな梅マラソンだけだった。

月間走行距離は毎月100kmにも満たない。

過去の経験値だけで走ってると言っても決して言い過ぎではない。

それ程走っていない。

それでフルマラソンを走るとは自分で思い返しても”お笑い種”だ。



では、何故にエントリーをしたのか。

”引退レース”

もう、これでフルマラソンは止めよう。

今の生活パターンじゃとてもじゃないがフルを走るだけの練習時間が取れない。

ハーフでさえいっぱいいっぱいと言ったところだ。

いや、ハーフでもそれなりのタイムを望むのなら間違いなくその練習量は不足している。

”生涯ランナー”を目標に掲げている以上は走る。

走るが、それも生活あっての趣味でもある訳で、華麗と共にすべての仕事が時間がかかるようになれば削られていくのは走る時間だ。

その時間の無い中で、更に様々な疲労の蓄積と消失するモチベーション。

”もう無理だ”

だけど、もう一度だけフルを走ろう、そうしてその見た世界を思い出にする。

そう思って選んだのが今回の「かすみがうらマラソン」でもあった。

その結果は・・・。



サブ4ペースで25kmまでは何とか6分を切るタイムで走れていた。

ハーフを過ぎて向かい風から追い風に変わり、さてこれからと言う時に懸案の膝裏にピキッと痛みが走り力が抜けた。

ああ、、、ヤバい、このまま走ったらゴールまでたどり着かない。

そんな危機感から傷む右足をかばい、おかしなバランスのまま1km程を走った時点で左足が攣った。

そこからはもう歩きが入る。

周りを見るとコース脇で激しく嘔吐するランナー。

コース上に倒れ込んで身動きできないランナー。

そして今まで見たこともないほど多くのランナーが歩いている。

まさに地獄絵図。

すべては気温の上昇、それがこの惨状の原因でもあるのではないか。

自分はと言えば、右膝裏の痛みと左足の痙攣に苦しみながらもゴールを目指す。

何度も何度も止めよう、収容車を待とうとそのタイミングを探していた。

しかし、”これが最後だ”その思いが動かないはずの足に力を与える。

残り2、1kmになっても、ちょっと走ればバキッと攣る左足。

脂汗が流れるほど痛む右膝。

それでもゴールが見えた時、”ああ、、、フルマラソンを走りだしてもう20年か、、、よく頑張ったなぁ”

そう思った瞬間、ゴールゲートが歪み涙をこぼしそうになった。

時間は4時間50分程。



最後に来て最悪のタイムだが、一歩一歩かみしめながらの42kmは決して無駄ではなかったと思う。

あの時のあのレースはこうだった、、、あのレースは最後まで楽しかった、、、そんな思い出が次から次へと流れてくる。

ああ、、、終わった。

帰りの車中、痛む膝をさすりながら悔しさとも安堵感とも違う何かが胸いっぱいに広がっていた。

もしも、もしもこの先フルを走る羽目になったとしても、もう記録はどうでも良いと思う。

走る喜びだけを感じられればそれでいい。

必死に走ってきた20年。

今度は何年になるのか分からないが、楽しく走った〇〇年。にしたい。
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最後になる?

2024-03-30 05:05:34 | マラソン
前回のレースを終えた後、それまで使っていたシューズに限界を感じていた。

クッション性、反発力、全てなしに等しい。

そりゃそうだ、そのシューズ、かれこれ5年ほど使っている。

コロナ下の3年間、使わずにいたとはいえ、かなりの摩耗もありミッドソールが見え隠れしている。

そうしたシューズで激坂の続く「高碕Cityはるな梅マラソン」を走った結果、かなりのダメージを足に負った。

何もシューズだけが悪いわけじゃない。

不足している日頃の鍛錬、筋力の衰え、きしみ始めた関節、そこに付け加えての使い古して機能を失ったシューズだ。

良い訳がない。

だが、近頃のシューズときたらやれ厚底だ、カーボンだ、そのうえで今までの何十パーセントもの値上がり価格。

消耗品に労働月収入の1割も割けないと思うのはきっと自分だけではないと思う。

しかし、シューズはどうしても外せないアイテム。

ここは清水の舞台から助走の勢いをつけ、更に数十キロの重りを背負い、頭から突っ込むような思いで新調を決めた。

と、同時に練習用のシューズも一新。

二足分となればかなり家計も圧迫する出費だ。

ただ、レース用のシューズに限って言えば、これから何レース分を走る、走れる耐久性があるのかは知らないが、ランナーとしての生涯、最後のシューズになるやもしれない。

年齢的に考えても今までのように年間十数レースを走るとはいけないような気がする。

レースで負ったダメージをよくよく考えれば、もうレース自体を走るところに無理が生じている可能性も高い。



今年に入って4レースを走った。

昨年秋からのシーズンで言えば7レースである。

毎回回復もままならないうちに次のレースと無理がたたったのかも知れない。

”もう無理だ、来シーズンはもっと減らそう”

今シーズン、思い知らされた現実だ。

だからと言って走らない訳ではない。

走れば筋肉痛や関節の違和感に悩まされることになるが、やはり爽快感はどれほど年をとっても同じである。

”生涯ランナー”

レースは走らずとも気持ちは同じ。

それでも十分に楽しめると思う。

老いるとはそこからの自覚で始まるが、老いても楽しめるものは楽しんでいこうと思う。
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坂に負けない脚を。

2024-03-17 05:17:52 | マラソン
”去年、悔しい思いをしたからなぁ”

”今度は笑って終えてやる”

そんな思いでエントリーしてしまった、「高碕Cityはるな梅マラソン」



恐らく、この辺りでは最高で最低なアップダウン連続の難コース。

去年は”もう二度と走らない”と決意した、そんな大会でもあります。

なのに、どうしてエントリーしちゃったんだろう。

やっぱり平地で街中で、やれ記録だ、やれ応援が多いだとか、華やかで賑やかすぎる大会よりも、自分との戦いに集中できるこんな大会が好きなんだろうなぁ。

ほぼ、平らな場所はありません。

上っているか下っているかのどちらか。

それも、”もうダメだ、、、上れない”と言うタイミングで下りが現れる、なんともサドスティックなコース設定。

急激な上り坂なら「嬬恋キャベツマラソン」の最後の坂の方が過激でしょう。

サドスティックと言うのなら、「藤岡蚕マラソン」や「小鹿野ロードレース」も同様だけど、坂の質がまったく違います。

とにかく上って下って、やっと終わったかと思ったらまた上って下る、坂しかないコースのハーフマラソン。

それがこのはるな梅マラソンなのです。



去年、この大会で膝の裏側を痛め、その影響が糸を引くようにずっと続いていて、何かにつけて”膝の裏”から頭が離れません。

以後その後遺症は今もなお続き、どうにもアップダウンの恐怖からは逃れられないでいる、いわゆる”いわくつきの大会”でもあるのです。

昨秋から今冬にかけて、一切坂を走っていません。

それなのに、また坂を走る気になったのは、こころの何処かであの風景、あの苦しさ、そして最後の下りの爽快感を全身で浴びながら走る心地よさが、身についてしまったせいなのでしょうか。

今回もやってしまいました。

右足の小指には巨大な血豆。

左足膝裏の痛みの再発。

一週間、まともに歩くこともできないでいました。

”もう、二度と走らない”

そう思った去年を、それが正解だったと教えてくれたようなモノです。

それなのに後悔していたのはそのまともに歩けなかった一週間だけ。

毎日のアイシングと湿布で何とか痛みの消えた膝裏は、もう坂に行きたがって仕方がありません。

もっと暖かい日がきたら、また山を走りに行こうと無茶なことまで考えてしまっています。

”やっぱり山道のレースは楽しい”

それがどんなに痛い目を見てでも、結局はそう思ってしまう。

まさに”変態ランナー”なんでしょうね。



今日は「熊谷さくらマラソン」の開催日です。

きっと熊谷の街はマラソンで盛り上がるでしょう。

まったくの平坦地、市街地を走るこの大会はエントリーしていません。

その代り、はるなで痛めた足で、その回復具合を確かめるために180分のLSDを遂行しようと思っています。

ようやく手袋の要らない季節のラン。

好き勝手に飛散続ける杉花粉を鼻から胸いっぱい吸い込みながら、春の日のランを楽しんできます。

次の坂のレース、それはいつになるのか、どこになるのかは分かりませんが、その日の為に今できることをしっかりやっておくことにしましょう。
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大失敗!

2024-02-24 05:28:03 | マラソン
今から考えるとバカなことをしたなぁ、と。

そんなことしたって上手くいくわけがい、、、。

そんな「結城シルクカップロードレース」でした。



年明け1月から2月までの5連戦。

そのうちの4戦が10㎞以下の”短距離走”

唯一の2月初めのハーフ(桐生堀マラソン)を原因不明の横腹痛で出走を回避。

その腹痛から回復(?)しての最終戦、結城シルクカップの10kmを走ってきました。

ここ数戦でとうとう限界かなと思いざるを得ない古シューズ「アディゼロジャパン」を諦め、以前使っていた「アシックスターサー」を引っ張り出しての参戦。

しかし、腹痛が怖くそのターサーを履いての練習は一切せずぶっつけ本番。

もう走りだして直ぐに気がつきましたわ。

つま先から踵への角度が違う!これじゃ走れない。

すっかり足はアディゼロの角度に馴染んでいたということですわ。

いくら以前使っていたとはいえ、やっぱりそれは無謀でしたよ。

こうなると重心を乗せるポジションがまるで違うせいか、姿勢が保てずまるでストライドが伸びない。

そこへもってきてこの時期にしては最高気温17℃のその日。

これって神様に逆らった、、、いや、シューズメーカーに逆らった罪、、、正しく苦行かと。

少しも楽しくないし、面白くもない。

まるでリズムがつかめないうちにゴールだなんて、いったいここまで来て何やってるんだろうと、、、へこみましたねえ。



つい最近、近くにできたアウトレットのスポーツ店色々。

アディダスのお店にはそれに合うようなシューズはなく、アシックスのお店には各種のランニングシューズがあり早速足入れさせていただきました。

いわゆる試し履き。

しかし今どきのシューズって凄いね。

「今のひとたちはこんなシューズで走っているのね」と技術や科学の進歩に驚き、そしていつの世も投資は必要なんだと嘆きたくなるのです。

こりゃすぐに切れちゃうんじゃないかと思うようなアッパーの素材。

使い捨てにもほどがある!(笑)

こりゃ買えんわ。

そうなったら購入を諦め、まだ使えるだろうと高を括って昔使っていたシューズを引っ張り出すなんて愚行は、こんな結果を生み出すのはあたりまえなんだろうな。

もしいるとすればマラソンの神様だってそっぽを向いちゃうだろうねって。

それでも練習さえ積んでいたらもっと何とかなったかも知れませんがね、相変わらず仕事は辛いし、時間は無いしで月間走行距離だって100kmを越えたことがない。



もう、最悪ですわ。

その後、疲れがたまっていたのかどうなのか、その原因は分りませんがね、口の中に巨大な血豆を作ってしまい大変なことに。

つぶれた血豆は口を開くことを許してはくれず、何も食べられない。

どうにか食べられるものと言ったらゼリー飲料をすすりあげるぐらいなモノ。

これではまた練習を行うこともできず、毎日降るような雨にも負けてどん底の毎日を過ごすのです。

明日は地元「ふかやシティハーフマラソン」の開催日。

運よくと言うか、最初から走る気はしない、地元の大会、、、エントリー自体しておりません。

天気もあまり良くない予報で、きっとがっかりしている参加者さんもいるでしょう。

それよりも自分のこの状態、どうしたものでしょうかねえ。

まだフルを含めてエントリーしている大会が数レース。

練習もできないのならいっそうのこと全部止めちゃおうかとまで思っちゃう。

まったくどうしようもない状態ですわ。
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