雲の隙間から差す
夕刻のひかりが反射して
キラキラ光るゴールテープが見えた。
両端を若い女性が持つそのテープを
前を行くランナーが次々と越えていく。
ゴールのその光景は普段のレースとは
まったく違ったものを見せている。
両手を突き上げ渾身のガッツポーズ。
待ち受けていた仲間との熱い握手。
人それぞれがそれぞれの喜びをその場所で爆発させている。
そんな場面がゴールテープの先におぼろげに見えた自分も
そうした喜びに包まれるのだろうかとぼんやり考えていた。
残り数十メートル、走るというのにはあまりにゆっくりな足取りで
その時、その週間を迎えようとしていた。
しかし感激と言うものはそう簡単には湧かないようだ。
ああ、ゴールテープを自分も切れる、そう思った瞬間、後方から追い上げてきた
ランナーが寸前で先を駆け抜けていき、残念ながらこのカラダではゴールテープを
切る事は叶わなかった。
だが、その瞬間10時間24分49秒の長い長い一日が終わったことを確信した。
周りを見渡せば皆が喜びに溢れ異様なぐらいの笑顔と歓声の渦が巻く。
そんななかでも何故か喜び、感激、そして興奮と言うものが自分の心の中に
湧いてはこない。
そしてやけに冷静な自分でいることが逆に可笑しかった。
やっと終えたという安堵感、そして足と腰の痛みからの開放。
終盤の苦闘がそうした心境にさせたのだろうか。
思い起こせば5月初旬。
腰から太腿裏を通り脹脛までに嫌な痺れを感じ、それにつれて変な突っ張り感に
悩まされるようになった。
それでも走ろうと公園に行けば3kmも走れず痙攣で顔を歪めてすごすごと帰る毎日。
30kmの大会に強行出場もした。
結果は足の痙攣による生涯初の途中棄権。
情けなかった。
その後も走れないと言う焦りは一向に回復の気配さえ感じらない坐骨神経痛の
餌食となっていた。
しかしマラソンの神は私を見捨てはしなかったようだ。
相変わらず腰、太腿裏に痛みは残るものの痺れや痙攣の恐怖は
徐々にその影を薄めていった。
そんな中、7月初旬、奥武蔵グリーンロード試走。
その距離30km。
ゆっくり、ゆっくりであったが走りきれた。
そして何度かの試走でもこのくらいの距離ならば走り切れることができると分かったが
いつ攣ってしまうのか分からない足には自信を持てない。
78kmと言う距離を
走りきれるのだろうか。
当日のスタート後であっても
その恐怖はひたひたと
自分の心を追い詰めている。
運よく昨年よりも
下がった気温とは言え真夏のこの日、走り出せばたちまち汗が噴出す。
その発汗量によるミネラルの不足は即痙攣を引き起こし、その対策の塩分の摂取は
むしろ水分の補給よりも気を使う。
最初の頃は集団が大きく、水も塩分もいただくのに苦労をしたのだが
やがてその集団もばらけだし、多少込み合うがエイドの食料や飲料も
自由に取れるようになった。
主催者が胸を張る充実したエイドは量も質も申し分なく、流石であると感心させられる。
肝心な走りはやがて標高のピーク地点にある折り返しを迎えてもそれ程のダメージも
感じられず快調な部類。
それでもやはり頭の中の多くを占める痙攣の恐怖は拭い去れる事をできず
細心の注意をその部分に注いでいた。
前半の上り区間を無事乗り越え、下りに差し掛かるとそれなりの達成感を味わえる。
それはそうである、あの勾配のきつい坂を何本も乗り越えてきたのだ。
ここまでくればあとは転がるように下るだけ。
本来、下り部分を得意としていた自分にとって、ここまでの経過時間は
上出来以外の何者でもない。
良くぞここまで上ったと、気合の平手打ちをパンパンと太腿に食らわしてやった。
それまでのスピードとはまったく比べようもない景色の流れの中で
好タイムのゴールを確信していた、その時点までは・・・・。
しかし10kmも下っただろうか。
いきなりその時はやってきた。
多少の痛みと共に痙攣の気配。
しかも、その症状は重い。
こんな時の為にウエストポーチに忍ばせていた消炎剤と瞬間冷却スプレーを取り出し
何とかそのときは事なきを終える。
しかし、ストライドは極端に狭まりスピードもガックリ落ちた。
ともかく動けと足に願うも、またいつ攣ってしまってもおかしくない状況は
距離を重ねるごとにその繰り返される間隔の時間が短くなってきた。
そして勾配に対して重力に逆らう走りは足裏や爪にかなりの負担をかける。
たちまち左足に肉刺もでき、爪にはかなりの痛みも感じている。
最悪の状態。
それでも走り続けることができたのは、あの生涯初めての途中棄権を
体験していたからではないだろうか。
収容バスの中のあの空気はそのバスに乗ったことのある者にしか分からない。
もう二度と乗るのはゴメンだ、そういう思いは潜在意識として
しっかりあの時から私の思考回路の中に組み込まれていたのであったのではないだろうか。
残り3kmを切った。
もう最後のエイドで立ち止まる事はない。
このまま走り続けたい、その強い思いが自分の視覚にゴールの競技場の
夜間照明の大きな塔を見せてくれた。
徐々に大きくなるその景色の下に誘導員。
「お帰り~!ナイスラン!!!」
こんな言葉があちこちから飛んでくる。
目前にゴールテープ。
「・・・・」
今日に至っても未だ筋肉痛は癒えない。
しかし、決して嫌な筋肉痛ではない。
ゴールの瞬間の無感情だった心の中にジワジワと時間が経つにつれ何かが沸き立つ今、
それが不調のカラダのなから立ち直ったと言う僅かな自信と、
そして遅くはなってしまったがこれが走りきれたと言う喜びなのだろうか。
決して自惚れではなく、
走ったものでなければ
感じ取る事の出来ない
そんな感情は
私の一生涯の財産に
なることは間違いない。
「奥武蔵ウルトラマラソン」
心からの感謝とお礼をこの大会を支えてくださった全ての皆様にささげたい。