風をうけて vol.3

お引越ししてまいりました。
拙いブログですがよろしくお願いします。

奇跡の復活!「ふかやシティハーフマラソン」を走ってきました。

2011-02-28 11:05:00 | マラソン

2011_02270004 こんな事が現実として有り得るのだろうか。

自分はいったいどうしてしまったのだろうと

不思議でならない“事件”が起きてしまった。

快晴、そして微風、気温も程よく

まさにマラソン日和の昨日、

地元開催の「ふかやシティハーフマラソン」を

走ってきた。

もちろん出場種目はハーフ。

本気で走るハーフは昨年の

「ぐんま県民マラソン」以来だ。

その大会あたりから念願で目標のひとつである90分切りを凄く意識していたのだが

残念ながら4年ぶりの自己ベスト更新とはいえ、後半から失速し1時間31分51秒と

遠く及ばない結果に少々がっかりもしていた。

そしてそれ以来の大会であったが、最近の私には長い距離を走る練習が

まったく出来ておらず、不安いっぱいで望んだ大会でもあった。

2011_02270030_2 しかも、前週の

「上里町乾武マラソン」の

5kmの結果が20分00秒ちょうどでは

1kmあたり4分15秒あたりを

維持しなくてはならない90分切りは

到底無理だと思っていた。

そもそも冬季のシーズンは

なるべくなら長い時間外にいることさえも

遠慮したいぐらいの極端な寒さ嫌いの私。

練習も含め、この大会を本気で走るような気持ちも無かったのが本音で

しかしながら我がライバルはここ数レースで飛躍的な進歩向上を成し遂げており

しかも、走る気になれなかった私に気合をも注入してくれた。

ならば走らない訳にはいかない。

それでも時間のない自分にはスピードを磨く練習か、短時間で強い負荷をかけられる

峠走を行うしかなく、そんな自分が90分切りを狙えるものだろうかと。

さてその肝心なレースなのだが、結果的にはスタート位置がとても幸いしていたと思う。

2011_02270038 陸連登録者の直ぐ後ろ。

プラカードには「1時間15分」と言う、

自分には前過ぎるとは思える場所。

しかし、いざスタートしてみると

ほぼ自分のペースで走れ

周りの方もほぼ自分と同じペースと、

実にスムーズに走れていた。

スタートから1kmのラップは

4分23秒だと記憶している。

これではまったく話にならず、ここから少しずつペースを上げてゆくのだが

こんなペースで最後まで持つのかと不安ばかり抱えてのレースとなっていた。

5kmのラップは21分23秒。

そして10kmも21分23秒

中間点で45分10秒ぐらいだったと思う。

ああ、これで90分は切れないなと思いながらも、

「そうだ、ぐんまの時はこの辺からズルズルと落ちてきたのだ」

とその時の情景を思い出していた。

ここで頑張らなければぐんまと同じ事になり、後悔ばかりのレースになってしまうと、

そう思っていたその時、私が先ほど抜き去り後方に沈んでいったと思っていた

女性ランナーが私の直ぐ後ろを走っていたことに気付く。

そのままの状態で二人でしばらく走るのだが、約12km地点、

私の感覚では私が落ちたのではなく、明らかに彼女がペースを上げ私を抜き去った。

徐々に間隔が広がっていくのだが、何とか数メートルの後方をついていく。

必死に食いつき間隔は狭くなったり広がったり、そのまま14km程までいくが、

とうとう15kmを過ぎた頃から彼女の姿が見えなくなってきた。

2011_02270021 しかしラップを見ると

21分06秒!

と、私も上げているではないか。

ここのタイムなら残りを頑張れば・・・、

と思うも、足にはかなりの疲労を感じる。

練習で長い距離を走っていない

不安はこんな時に顔を出すのだ。

口惜しかった。

それでも見えなくなってしまった

彼女の姿が遠くに一瞬見えた。

足取りはしっかりしているし、フォームも安定している。

もう追いつくことは出来ないだろうが、せめて見える位置でゴールまで走りたい。

そう思うのだが呼吸も限界に近く、目を開けているのも辛い。

本当にハーフでここまで苦しんだ事は今までに経験が無い。

それともハーフのレースの私の認識が違っていたのか。

そんな20kmのラップはまさかの

21分08秒!!!

本当に苦しかったのだが、ゴール前のトラックに入る瞬間、

「30分切れるよ~」の声援、その瞬間鳥肌がたった。

ゴール前の掲示板には1時間29分〇〇秒の表示が。

ホントか!

腕の時計も確認。確かに1時間29分台を示している。

記録証をいただき、それが本当の出来事だと確認すると思わず

2011_02280001_3 「やった~、ヨシッ!」と

叫んでしまった。

本当に嬉しかった。

もうそれまでの苦しさなど

完全にすっ飛んでいる。

5kmのレースでさえ

キロ4分でしか走れなかった私が、

まさかハーフで

1時間29分台で走れるとは・・・。

記録 1時間29分29秒

順位 78位

まさに奇跡、そしてひとつの夢が叶った瞬間だった。

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春の訪れ。。。

2011-02-24 14:57:36 | 日記・エッセイ・コラム

2011_02240028 先ほど、雨粒がポツポツと・・・。

我が家の大切な行事に欠かせない雨。

天気予報では雨の降る確率は低く

それでも、厚い雲に覆われたこの日、

長男の高校入試の合格発表があった。

今このパソコンの隣には

しっかりビールの入ったグラスがあり

相当ご機嫌なおもむきでキーを叩いている。

今朝、合格発表を確認するまではトイレには行かず、

そして絶対に物は落とさない。

そして、黒っぽい物は身に付けづ、「無い」などという言葉は絶対に発しないと

数日前から心に決めていた。

しかし、人間の生理的な欲求には私の意志など木っ端微塵、

朝一番で我慢しきれずウンを流してしまった。(下品な言葉ですみません)

また、こんな日にはいつもなら私以外にあげない仏壇の線香が

何本も刺さっており、それを避けようとした瞬間火のついた線香を

落としてしまった。

2011_01180019 何たる不覚、なんとも悪い流れ。

もちろんこの事は誰にも言わず、

自分自身のゲン担ぎに過ぎない

馬鹿げた事と思うのだが、

それでも何となく嫌な感じではあった。

オマケに、「さあ、見に行くぞ」と

出発しようとしたのだが、

携帯を忘れていた事に気づく。

再び部屋に戻り探し回るが、見つからない・・・。

妻の「あった?」の問いに、「何処にも見当たらない!どうしたんだろう・・・」と

思いっきり不吉な言葉を発してしまい、更に落ち込む。

「無いものはしょうがない、後でいいよ」と、ダメを押す言葉で

一瞬出かけるのを止めようとも思った。

発表のある学校周辺は渋滞でごった返していた。

駐車場などあるわけも無く、路上に車を止めるのだが、ここだけは絶対に

側溝などに車を落とさぬよう細心の注意を払って駐車。

まだ発表の9時までには数分あり、なんとも落ち着かない雰囲気の中で

不吉な予感のする心を鎮めながら、その時を待つ。

2011_02240013 定刻の9時。

はらりと白い紙が落とされた。

必死で探す。

129番、129番、12・・・あった~!

嘘じゃないかと、

夢じゃないかと、

間違いではないかと、、、

何度も何度も確認。

現実だ~!

いち早く見つけた息子の満面の笑顔が眼に入る。 隣では既に涙ぐむ妻。

良かった~。

一瞬にして今朝の悪い流れの出来事が消え去った。

もう言葉も出ない。

息子に「良かったな」の言葉のひとつもでない。

代わりに頭をぽぉ~んと小突いて後ろを向いてしまった。

はぁ~、終った。

長く苦しく辛かった受験に終止符が打たれた。

それは子供以上に神経を尖らせ、ネガティブにしか考えられず、将来を悲観しか

できなかった私の心にいち早く春の息吹が吹きかけられた瞬間でもあった。

2011_02240016 学力の高い高校でもなく、

競争率がそれ程高い高校でもない。

至って普通の県立高校である。

それでも我が息子はろくに勉強もせず、

塾をサボり夜の街を徘徊しているような

そんな子なのだ。

普通に高校生になれるとは、

そんな姿を見られるとは、

まさに夢のようでもある。

ここで飲まなければ、これ程美味いと感じられる酒は二度と

飲めないかもしれない。

そんな喜びをかみ締めながら、この感動を記事にしている今現在、

息子は喜び勇んで、街に遊びに出かけてしまった。

彼には合格の喜びよりも、解放された喜びのほうが大きいのだろう。

半分腑抜けた両親は、コタツで深く息を吐き、脱力状態に陥っている。

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復活の日はいつになる・・・「上里町乾武マラソン」を走ってきました。

2011-02-21 19:15:16 | マラソン

2011_02200032 毎年の事だが、

この季節に参加する大会は

どうも苦手だ。

何故かと言えば、

極端なくらいの寒さ嫌いな私。

この日も御多分に漏れず

曇天の天気と相まって寒い寒い!

この日の「上里町乾武マラソン」は

会場が小学校であり、その体育館が更衣室兼控え室になっているのだが

ここの床は氷でできているのではないかと思えるほど冷たく

足の指の感覚が次第になくなってしまう。

そのまま走り出すにはあまりに冷たくなってしまった足の指は

ただただ痛さしか感じない。

そしてこんな状態を回避するためにからだを温めるアップの距離が、

レースで走る距離よりも長くなってしまったなとも思えた。

もうホントに嫌な季節である。

2011_02200024_2 さて、前週の駅伝で惨敗を喫した

短い距離での走り。

あれから一週間。

どう足掻いても走りがガラリと

変わるわけもなく、

どうせ不甲斐ない走りで

恥の上塗りになる事は確実で、

それでも駅伝ほどは

責任感やプレッシャーなどは感じる事はなく、

自分の今ある力で走ればよいのだと言う気楽さは確かにあった

逆に言えば、それだけ駅伝は大変なレースであるともいえるのだろう。

今日のこのレースは中学生が佃煮にしたいほど、大挙して走る大会で

5kmの部だけでもかなりの人数になってしまう。

従ってスタートの並び順がそのままタイムや順位を大きく左右し、

なんとも慌しいスタート前の位置取り合戦が勃発していた。

2011_02200013 しかし、相手となる中学生の

パワーには勝てるはずもなく

ましてやサッカー部の子や

野球部の子達の後塵を拝する事は、

なんともやるせない気持ちになるもので

そうなれば邪魔な奴等を

掻き分け掻き分け

走り続けなければならない。

しかも、なんとラスト2kmぐらいからは2.5kmの部の小学生まで同じコースとなり

もう最後は何がなんだか判らず、誰がどの順位なのか、競争相手は誰なのか、

まったく判らない位にごちゃ混ぜでのゴールとなるのだ。

それにしても悔しいのがふざけながら集団で走っている陸上部以外の子等。

こちらは真剣にハァハァゼィゼィ走っていると言うのに、彼らはふざけながらでも

同じペースで走っている。

彼らが本気で走ったらどれだけ速いのやら・・・。

それなら真面目に走れよと思うも、彼らにとっては畑違いの競技で

監督に走れと言われて仕方なく走っているに違いない。

こんな矛盾を感じながら、しかも情けない思いをしながらでも

「こんなガキに負けてなるものか!」と、ムキになる自分が更に情けなくって・・・。

もう中学生や高校生の陸上部以外の子との混走は大会事務局として

何とか対策を考えてくれないだろうかと切に思ってしまう。

2011_02200057 それでも、そんな子に混じって

本気で走っている子も確かにいる。

まだ小学生かと思うえるように

幼くそして可愛く、

そんな子が一生懸命に

走っている姿をみると

本当に嬉しくって、

できることなら何処まででも

風除けにでもペーサーにでもなってあげたい気持ちになるのだ。

こんな時に父親の気持ちになってどうするんだと、思わず苦笑してしまうのだが

またこんなところがマラソン大会の、そして混走の良い所でもあるのだろうなと。

いずれにしても、今回も思うようなタイムではなかったこの大会ではあるのだが

それは自分の力不足であり、決して前を行くふざけた奴等のせいではない事は

確かである事が、余計に自分自身が情けなくさせてくれる。

そうなれば絶対に負けてなるものかと、更に闘志が沸きたつ私。

こういうことが実は「年寄りの冷や水」なのかと思ってしまう、

この日の大会であった。

ちなみに

記録(5km)       20分00秒

順位(40歳以上の部)   14位

であった。

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反省!「美里町万葉の里ハーフ駅伝」を走ってきました。

2011-02-14 09:26:24 | マラソン

2011_02130041 昨日は、久しぶりの青空の中

「美里町万葉の里ハーフ駅伝」を

走ってきた。

今年初めてのレースであり

深谷仙元山RCの

一員である事をしっかり認識する為に

これ程ぴったりと当てはまる大会は

他にはないとも思っている。

今回は3区(3.790km)を受け持たせて頂いた。

しかし昨年暮れから正月にかけ、膝を痛めてしまい約1ヵ月走れずにいたのと

昨年までの懸案であった喘息の影響で、心肺を激しく使ったレースも練習も

控えていたために、短い距離を全力で走る駅伝は今の状態では難しい状態。

それでも出場を決めたからには、襷を繋ぐ事はチームの競技である以上

自分の記録を度外視してでも、それこそが使命であり、また魅力でもある。

現在の自分の状態はチームの状態でもあることから、約3週間ほど練習で

今までにないくらいに自分を追い込み心肺機能に喝を入れていたつもりだった。

2011_02130023_2 しかし、どう走っても確実に遅い。

心肺はそれなりに付いてくるのに

足が動かないのだ。

喘息を発症する前から比べると

1kmあたり5~10秒は遅く

どう足掻いてもその状態は

解消する事はなかった。

これは自分にとって実に

衝撃的でありまるで悪夢を見ているかのようであった。

何故ならば、昨年の秋にはハーフやフルのベスト記録を更新、

それはそれなりに自信にもつながることだし

以前ならば足が心肺を超えた走りで、どうしたら心肺を

もっと上げる事ができるのか、そればかりが課題だったように記憶する。

「走れない自分」

それは決して自分が自分を許せる範疇をはるかに超え、

頭を抱え込みたくなる衝動に駆られる。

それでも、本番になれば自分は走れるのだと、この期に及んでも

走れる自分をイメージして止まなかったのである。

しかし実際にレースに挑んでも神風が吹くことは決してない。

練習道理、実力道理の走りしかできなかった。

2011_02130025_2 キロ4分も切れず、

集団で抜き去られ、

焦って前半突っ走ってしまった

ランナーを数人拾うことしか

出来ない自分。

「あの頃だったら、

あのペースの集団だったら、

この自分が引っ張っていく位の

パワーはあったな・・・」

そんな冷静な目で前を行く集団に諦めの胸中でふっと目を閉じ

今までの自分の練習を思い返してみた。

それはやはり甘えが先行し、どうしてもその苦しさの中にどっぷりと

身を沈める事ができず、近くの浮遊物に助けの手でしがみつき、

そして逃げ口の口実を作ろうとしていた、みっともない自分の姿が写る。

いつか有名マラソン監督がこう説いていた。

「年齢を重ねたらその前年の倍の距離を走らなければいけない」と。

2011_02130034 逆に私は苦しさ故、

その苦しさを回避し、

楽な道ばかりを

歩んできた結果が

この駅伝の結果では

ないかと思う。

有頂天になっていた。

ハーフ、フルでのPBが

慢心を招いたのだ。短い距離での速さは長い距離での余裕を生む。

それは分かっていたつもりだったが、本音の部分で逃げていた部分でもある。

それが身に沁みただけでも、この駅伝で沈んだ意味があったと思う。

苦しみの中から這い出してこそレースで笑える。

改めてその事に気づいた今、寒空の元、心新たに走り出そうと思う。

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早朝、まだ薄暗いその中で・・・。

2011-02-06 20:52:51 | 日記・エッセイ・コラム

2011_01290003 早朝の通勤途中、

まだ薄暗い中でひとりの女性を

毎日見かける。

午前6時07分、いつもの交差点近く。

おそらく私より年上ではないかと

思われるその方は

とても小柄な体格で少し腰を曲げ、

大きめのバッグを肩から提げて歩いて行く。

その姿は暑い夏の日も、真冬の今も変わりはない。

きちっとしたスーツを毎日身にまとい、そこからも2kmはあるだろう

駅に向かう道のりを静かな面持ちで歩いていくのだ。

「今日も頑張りましょう」

思わずそう心の中で言葉を掛けたくなってしまう。

車の窓越しにそんな事を思っている人間がいることなど

想像もつかない彼女だろうが、そんな朝があってこそ私の一日が始まるのだ。

こうして、彼女と私は数年来の“長いお付き合い”となっている。

お付き合いと言っては実に一方的で御幣があるかもしれないが、

私にとってはとても大切な日々のイベントでもあるのだ。

2011_02040009 「同じサイクルで生きる」

それは、平和である毎日の

象徴であるかのようにも思えるのだが、

実のところ変化に乏しく、

退屈な毎日の繰り返しでもある。

それが良いかどうかは別として

彼女の人生が

そして私の人生が

この先も同じ様に続く限り、明日も明後日もあの交差点で

その姿を見続けるに違いない。

変化を求める気持ち。

それは誰しもあること。

たとえ現状に満足していたとしても、人の欲望とは上限を知らない。

より良い人生、より良い境遇を求め、人間は限りなく夢を見続ける。

だからと言って、私達に夢が無いから同じサイクルで生きているのでは

断じてない無い。

2011_01230001 夢があるからこそ、

こうして日々を同じサイクルで

生きているのだ。

それは矛盾を思わせることだが、

実はそれは、春を待つ植物が

雪の中で春が来るのを

じっと待っているかのように、

羽ばたく事の出来ないひな鳥が、

巣の中で親鳥が運ぶ餌だけを頼りに

生きているかのように、何時かは無限の世界に芽を出し、

そして羽ばたける時を待っているのと同じ事。

もちろんそれは、年齢的な物や精神的な物は全て無視しての事であり、

誰しも思うように、夢に年齢制限など有り得ないのだから。

いつか芽吹き、そして羽ばたく。

そう思いながら、彼女も、私も暗い早朝の道を、これからも歩み続けるだろう。

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