風をうけて vol.3

お引越ししてまいりました。
拙いブログですがよろしくお願いします。

目覚めよ! 「あかぎ大沼白樺マラソン」を走ってきました。

2010-08-31 10:55:26 | マラソン

2010_08290020 午前四時、目覚めは悪くなかったが

この日の前日に行った

プチスピード練習の影響か、

太腿に筋肉痛があり

2階の寝室から下りる階段が辛い。

今日は「あかぎ大沼白樺マラソン」の

開催日だ。

天気は相変わらず残暑が厳しそうで

たとえ1300mの高地で行われるこの大会にしても

かなりの高温の中で走らねばならないだろうと容易に想像できる空模様。

身支度を整え、軽い朝食をとり、早くも起きだした母親の介助を行ってから

地元チーム「深谷SRC」のメンバーの待つ集合地点に向かう。

そこから分乗して会場へ出発したのだが、やはりこの日も参加者の

増加の影響か、かなり会場に続く一本道は込み合っていた。

2010_08290002_2 2010_08290003

2010_08290006 時間は

かかったが、

無事、

毎年

お世話になっている「大沼山荘」に到着。

先輩ランナーさん達と一緒に受付を済ませ、歓談しながら準備を整える。

そして、先輩ランナーさんとアップに出かけるのだが

なんとコースを一周(5km)すると言うので、残念ながらそこまで走っては

本番のレースで完走することことも怪しくなってしまうため、ご辞退。

軽く流しなど入れながら再び山荘に戻り、携帯をチェックすると

甘党のぽんぽこさんから着信確認。

早速、待ち合わせ場所へ向かおうとすると、ちょうどそこを通りかかった

この日申し込みが間に合わず応援に廻ったねぎさんと共に

2010_08290043_3 ぽんぽこさんと再会。

相変わらず爽やかな笑顔で

近況などをお聞きし、

前のレースで入賞を果たしたと、

相変わらずの速さで今日の快走も

期待できそうな雰囲気であった。

そしてお互いの健闘を誓い合い、

一旦ここでお別れしスタートに備える。

そしてスタート地点にチームのみなさんと向かい、雑談のうちにスタート。

今日のこのレースはアップダウンが大きく、タイムを狙う事は無理。

一周5kmを4周回する20km。

一周目を25分で入り、そこから序々にスピードを上げてゆき、

最後の周回で22分台に持っていければ100点満点。

そう計画していた。

が、結果的にいうとそんなに甘いものではなく、

1周目 25’05

2周目 24’28

3周目 24’59

4周目 25’35

(手持ちの時計々測)

公式ゴールタイム  1’40’21 (ネットタイム 1’40’03)

2010_08290036 2010_08290037

惨敗であった。

特に3周目には

早くもエネルギー切れを感じ、

全く力が入らない。

いつもなら10km前後が

一番調子の出る頃だと言うのに、ねぎさんの応援もむなしく完全な失速。

そんな精神的なダメージが更にのしかかったたからだでは4周目のタイムは

むしろ健闘したのではないかと思えるくらいだった。

確かに気温も例年になく高いのは仕方ないにしても、あまりに走れない自分に

かなりのショックを受けてしまった。

それは失速した3周目だけのことではなく、全周にわたり

全く走れる姿勢ではいられなかったと言う事。

それは足やからだに限った事ではなく、短期間での体重減少が

表しているように、普段からの体調管理はもちろんの事、

初心に戻り、熱く走ろうなどとは全くのお笑い種になってしまったような

気さえする練習内容

以前は、年に何度かは泣きたいくらい、吐くほどきつく追い込んで走っていた

時間があった。

2010_08290031_2 しかし、今はそんな事は殆どなく、

のほほんとしてジョグに明け暮れる毎日。

そんな積み重ねががこの日のタイムである。

実に昨年よりも3分も遅い。

なのに昨年よりも相当苦しんで

走ったような気がする。

折しもそんな事を思っているとラジオから

「涙の数だけ 強くなれるよ~ アスファルトに咲く花のように~♪」

などと、某有名歌手の詩が流れてきた。

全くその通りだと思わず大きくうなずいてしまった。

たった走るだけの簡単作業だと言うのに、心構えとかモチベーションだけで

これだけ変わってしまうのかとも、改めて感じるこの日のレースだった。

そんな自分に比べ、やはりぽんぽこさんは凄かった。

このコースを5kmの部で走り、18分台で3位に入賞している。

やはり5kmで年代は違うが、同じチームの方が20分台で4位の

入賞であった事から思うと、ぽんぽこさんの18分台の凄さが伺える。

もちろんその脚力も凄い事なのだが

その事以上に走る為のからだの管理に対する研究心も人一倍である。

2010_08310003 今回、ぽんぽこさんから頂いた

秘密のサプリメント。

未だかつてサプリメントなど

口に入れて走った事などない私には

目からうろこの品物だ。

この日のレースでは使わせては頂かなかった

このサプリではあったが

レース中、「あれを飲んでいれば結果は随分変わったかも・・・」

などと、期待も寄せてしまった。

しかし、先ずは自分のからだから、そして精神からもう一度立て直すことが先決で

その上で、ここぞと言うレースで使わせていただこうと思っている。

とにかく、私のことで随分力となって下さるぽんぽこさんには

感謝、感謝の一言だ。

Dscf2837_2 Dscf2799_2

今回のレース終盤で

「昭和の根性を!」

との気合を

ねぎさんと

共に送って

下さったその瞬間から目が覚めたような気がした。

自分に甘くなっていた自分が恥ずかしい。

いつも何かに挑み続けていてこそ

「昭和魂」ではないかと、心新たにした大会でもあった。

そしてもう一度、「昭和の根性」で上り続けようとも思った。

最後に応援を下さったねぎさん、ありがとう!

そしてぽんぽこさん、おめでとう。そして、ありがとう!

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「自己嫌悪」

2010-08-25 12:55:00 | インポート

2010_08050044_2 残暑と言うにはあまりに暑すぎる

毎日が続いている。

その為ではないとは思うのだが、

体重が3kg程減った。

夏ばてと言うような事でもないとは

思うのだが、

どうにもからだに力が入らない。

夏に生まれたせいか、

比較的暑さには強いと自負していた私だが、さすがに今年の夏には

じわじわと苦しめられている。

そんな中、今月の始めに軽い脳梗塞で入院していた母親が退院してきた。

私としては、もう少し自立できる動きができるまでは、リハリビを兼ねた

病院施設で養生して欲しかったのだが、病院側からの退院要請を

無視することはできず、非常に重い気持ちの中ではあったが

母親の帰宅を受け入れざるを得なかった。

それは私だけの気持ちだけではなく、母親本人も自由が利かない

自分のからだに不安を抱き、退院を最後まで拒んでいたのだが

看護師やヘルパーさんの「退院、おめでとう」の言葉を背中に受け

帰宅の途に着いたのである。

2010_08150006 その日から私に自由な時間が

殆どなくなってしまった。

ちょうど会社の夏休みが始まった

その日の事だった。

朝昼晩の食事はもちろんの事、

着替え、排泄、からだ拭きに至るまで

ほぼ全ての事を介助しなければならない

状況であった。

入院前にもかなりの部分で手助けが必要だった母親だが

今回の闘病で殆ど全ての行動する力を失ってしまっていた。

その事を目の当たりにした時、理学療法士の先生からは、

ある程度の説明は受けていたのだが、これからの生活をどうしたら良いのか

母親に対してどう接したらよいのか、本気で悩んでいた。

既に5年強の介護生活を経験している私であっても、

さすがに今回ばかりは頭を抱えてしまったのである。

それは私の家族も同じ事なのだが、できるだけ私ひとりで

なんとかしようと思っていた。

何故なら、介護も始めの頃は優しく接する事のできる家族にも

その時間が長くなるに従い、分かっていてもどうしても不満が心の中に

沸きだしてしまう。

憎しみとまでは行かぬまでも、そうした気持ちが現れた家族に一体感など

見出す事はできなくなってしまう。

それは凄く不幸な事であって、介護する方にも受ける方にも

笑顔がなくなってしまうという事は、家族の崩壊を招く恐れが

生じるのではないかという危機感を抱いたからなのである。

2010_08150007 私は私の母親だからどんな事があっても

我慢できる。

自信があった訳ではないが

そうすることが最良の道だと

信じていた。

そして決して他の者には苦労をかけまいと。

しかし・・・、

実際に色々なことをやっていくうちに

そう思っていた私が声を荒げてしまったり

行動の遅さにイライラしてしまったりする私がいる。

いつの間にか、そんな気持ちになってしいる自分が本当に情けなく、

そして悲しく、母親にすまないと思うと同時に

自分自身が嫌で嫌でたまらなくなった。

そんな自分を見かねてか、妻も子供達も私に気を使ってくれていたのだが、

それはとても幸せな事と思う反面、何故もっと強い自分になれないかと

「自己嫌悪」に深く落ち込む事も、正直無いとはいえない状況に陥っていた。

しかし、そんな母親になんと機能の回復が少しながらではあるが

その兆しが見えてきたのだ。

それは私に何かと相談に乗ってくれ、そして良きアドバイスをくださる

ケアマネージャーさんや、数日前から来てくださっているヘルパーさんに

よるところの力が大きい。

私の力のなさや介護に関する知識、技術を完全に補ってくれているのだ。

そうした周りの方々の力が同時に私を楽にもしてくれていることにも気付いた。

ひとりでは生きられないとはよく言う言葉だが、苦しい時は

やはり声を上げて助けを請うことも本当はとても大事だはないだろうかと

この世に及んでその事がやっと分かった。

2010_07110063 頑張る事、

それだけでは幸せなどにはなれない。

しかしまた、頑張らなければならない事も、

もちろん必要だと思う。

そして今、

母親帰宅の時の不安が和らぎ、

まだまだやっていけるのではないかと

感じ始めた。

それは長く終わりの見えない道であっても、

霧に巻かれてしまいそうな茨な道であっても、

絶対にやり遂げなければならない私の使命でもある。

時間は今は自由にならぬとも、いつしかきっと自分のものになる。

今はそれよりも、もっと大切な時間を過ごしているに違いないのだ。

「介護」

それは私がその日から本気で取り組む新たな道となった。

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

創作 「移住計画」 その1

2010-08-18 22:01:51 | インポート

Marinpia1 今年もそろそろ夏を終ろうとしている。

この時期の夕日は、なんともいえない色をしていて

行く夏を惜しんでいるかのような淋しさをも感じる。

最盛期には海水浴客でごった返していた

海辺の町にも、やっといつもの静けさが

訪れようとしていた。

自宅から徒歩で約30分、この道を歩く事が日課となっている。

若いころならば絶対に走っていただろこの道だが、

今は殆ど走る事もなく、愛犬に引かれて浜辺におりては、子供がそうする様に

戯れる程度となってしまった。

しかし、この風景が好きでたまらない。

心落ち着くこの時間を感じられるからこそ、この生活を、

そしてこの地を選んだのだ。

我が子に慣れ親しんだ“あの家”を譲り、妻と二人でここで暮らすようになって

3年の月日が過ぎていた。

そういえば昨年は随分雪が多かった。

慣れない雪かきで疲れはしたが、それはそれなりに楽しかった。

降りしきる雪のため、一日中家の中で暮らす生活にもやっと慣れてきた。

また暮らし始めの頃は、何をするでもなく一日の長さに閉口していたものだが、

それも気の持ちよう。

天気の良い日には好きな日本酒でもと、近所の酒屋にぶらりと出かけ

あれこれと物色をするのである。

当然、この地は米どころであり、良い水に恵まれているのだから、

決して有名な地酒でなくとも、無名で安価な地酒であろうとも、

他にはない味わいを見せてくれるのだ

そうした酒を探し求める事、そしてそれを味わう事が楽しみの一つとなり、

そうした喜びだけでも普段の生活にアクセントを与えてくれていた。

しかし当然、昼間から呑んでいたのではからだにも良い訳がない。

それまで忙しさにくれていた生活習慣も当然あり、日が暮れなければ

その食卓に付く事はなく、決して呑んだくれな生活にはならない。

そして昼間といえばそれまで読めなかった本を読み、

映画のDVDなどを日が暮れるまで楽しんでいた。

そしてその晩になれば妻の作ってくれた肴で晩酌をするのだが

それが、格別な事であっても特別なことではない事は言うまでもない。

新しく見つけた酒以上に楽しみである妻の酒の肴でもあるのだ。

Umi09 それは北の大地の海の幸ほどの

豊富さはないもの、この地にも新鮮な

魚介類を手に入れるのは容易な事。

なれば、料理の腕もさることながら、

その新鮮さで他の調味料は

かえってその味の邪魔者になる事は

当たり前の事でもある。

その事をしっかり心得ている妻の料理の腕も流石だと改めて思う毎日だ。

またその素材を探しに行く妻もその事自体を楽しんでもいるようだ。

かつて一日の労働の後に心地よい疲労と共に呑んだビールの味は

なんともいえぬ味わいでもあったが、今はそうした感覚は薄く、

しかしこれはこれで私にとってかけがえのない楽しみの一つでもあり、

そして日課となっていた。

子供達は、まだそうした晩酌の楽しみには程遠い生活を強いられているようだ。

それは当たり前の事で、自分の子供が成長し、手のかからぬようになるまでは

そんな余裕など感じる暇もないくらい頑張らねばいけない。

かつてこの私が経験したように・・・。

しかし、何時かその子供の心配もせずにいられ、精神的に余裕ができた時にこそ

この地に呼び寄せ、この地酒で、妻の手料理即ち、お袋の味で

酒を酌み交わそうではないか。

Umi10 それまでは是が気でも私達は

元気でいなければならない。

成長した子供の愚痴や夢を

聞いてやらねばならないのだ。

当然、それは私一人ではなく、

ここにいる私の妻も一緒にである。

帰宅後の夕日の中、夏の終わりに小さな庭先で、

終わりに近づいている

花壇の花の手入れに精を出している妻の横顔を見ながらそう思った。

「移住計画」、これが成功に終ったのかどうかは分からない。

もちろん不慣れな地であるが故、不便であることも、旧友に気安く会えない

淋しさもあるのは当然だ。

しかしただ言えることは、心静かに時の流れを見つめなおす事が、

この地でできたという事。

実にたくさんのことがあった人生、それだけに最後となるだろうこれからの

時間の終末は、せめてこの綺麗な夕日の中で終りたいと思ったのである。

新潟の海、これこそが私が選んだ最後の場所なのだ。

(写真は新潟HP他よりお借りいたしました。)

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「雑草」

2010-08-08 11:52:19 | 日記・エッセイ・コラム

2010_08050017_2昼顔」の透き通るような

薄いピンクの花が好きだ。

何処にでも咲いていて

雑草とされている花だが、

作られた朝顔のような

豪華さはないものの

自然の色彩がなぜか心を打つ。

つるも茎も極細く、強さとは無縁のように見えるこの植物は

実(種)を付けることはまれだそうで、それでも多年草ゆえ、

冬の間は茎を枯らし地下茎がじっと春が来るのを待っているのだそうだ。

この時期が、この植物の一番華やかな時なのだろうが、

実は地下茎だけで過ごしている時間の方が長い。

「寒い時は根を下へ下へと伸ばす・・・」なんていう人間の生活の中で

壁に突き当たった者に対する励ましの言葉に例えられる植物も、

このような花を咲かせるのだ。

しかし雑草ゆえ、いくらこんな花をつける植物も、除草の対象となってしまう。

抜かれ、刈られ、薬剤をかけられても、それでも根はしっかり生きている。

だから来年も再来年も同じように綺麗な花を咲かせ続ける。

2010_07250066 雑草にはそんな強さがある。

それはこの昼顔に限った事ではなく、

ありとあらゆる雑草は何とか生き残り

そして子孫を増やす手段を持っている。

人間がどんな薬剤を使用しようが、

何度草刈を試みようが、

決して絶える事は無い。

一度はなくなったように見える雑草も、実は地中に根を残し、種を残し

そして何時か芽を出すチャンスを狙っているのだ。

それはこの時期だけに限った事ではないのだが、

人間も驚くような強い生命力を発揮する、これが雑草で

そんな強さを「雑草魂」だなんて言う事もある。

2010_08050037 さて、話は変わるのだが、

ようやく朝晩に気温が少し落ちてきた。

数週間前までは、朝夕に至っても

気温が30℃近くあり

日差しも強い朝には走ることさえも

難儀をしていた。

しかしここ数日は、

気温も確実に数℃は落ち、風も涼しく感じるようになってきた。

こことばかりに秋の大会に向け走り込みを行おうと、

走る距離も時間も増えてきた。

だが、毎日がジョグ専門でダラダラ走っているだけに過ぎないのも事実。

先ずは8月末の「赤城大沼白樺マラソン」が当面の目標となるのだが

大会を走る準備が全くできていない。

それは今年に限った事ではないのだが、特に今年は暑さの為の練習不足もあり

20kmの距離を走りきれるのだろうかと、今は不安でもある。

が、あくまでも赤城は練習と言う位置づけであり、本命は秋のフルの3本にある。

「大町アルプスマラソン」、「大田原マラソン」、「さのマラソン」のうちで

必ずどれかのレースでベスト記録を更新したい。

2010_08050028 本来ならば5kmのレースで

納得したタイムを出してから

臨みたい今シーズンなのだが、

5kmを走ろうと思っていた

大会自体なくなってしまったのだから

致し方ない。

その代わり、今年の秋には

ハーフのレースを多く取り入れた。

「上州太田スバルマラソン」、「ぐんま県民マラソン」、「川越小江戸マラソン」

(太田はハーフの部を新設、川越は今月20日から受付開始)

いつもの大会の他に取り入れたハーフマラソンの大会だ。

いずれの大会もスケジュール的には苦しい日程にはなるのだが、

ここでフルに対するスピード強化ができれば、

必ず自己ベストは達成できると信じていたい。

2010_08050036 そして来年の冬に持ち越しになった

5kmの自己ベスト狙いの練習も

あわせて行っていく気構えでもある。

今、こうした記録へのこだわりを

持つということは

正直言って、体力的にも辛い物がある。

しかし、だからこそ「初心」に帰って

「走り始めた頃の気持ち」を大切にしたいとも思う。

簡単にできることではない事は十分承知の上でもあるが、

諦めない気持ちは絶対に持ち続けていたい。

雑草がそうであるように、抜かれても、刈られても、踏みつけられても、

尚且つ、上に出ようとする力と気持ちはいつまでも持ち続けようと

私自身思っている。

コメント (11)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第2弾 「自分のからだ」 病は気から・・・と言うけれど

2010-08-01 09:04:38 | 日記・エッセイ・コラム

2010_07250001 先週、循環器科の検査が一応終了した。

結果から言えば、心臓に関しては

ほぼ心配するような状態ではなく

このまま走り続けても支障はないだろうとの事。

但し、血圧の変動があまりに大きく

毎日の測定と月に一度の受診を行うとの

執行猶予付きの判決ではあるが

何はともあれ胸をなでおろす事ができた。

それにしても血圧に関しては、上昇時の上が150を、

下も100を超えてしまうその数値に私自身も驚いてしまった。

自宅での測定では上が120を超えることは珍しい位だというのに

何故だろうと思えば思うほど上昇してしまう。

医師は緊張し易い体質だから仕方ないのかも知れないが、

血圧が上がっている事は事実なのであるから、注意が必要だという。

が、いったい何を注意してよいのか分からないのが本音。

勝手に上がってしまうものは自分の力では抑える事はできないし、

2010_07250009 医師は投薬の必要はないとも言うし、

それなら私はいったい

どうしたらよいのだろうと、

本気で悩む。

しかし、いくら悩んだところで

解決する事などあるはずも無く

自然に任せるしかないのだろう。

地元の先輩で、やはり私と同じように心臓の不具合が発覚、

そして入院をしていた方がいる。

話を聞くと、私と同じような検査の内容だったというが、

その数値が私よりもかなり悪かったようだ。

その頃はそのことばかりが気になり、何も手に付かない状態だったという。

しかし、今はもう開き直ったと。

気にしてばかりいたのでは、治るものも治らないどころか、

精神的に参ってしまうとも。

今ではその立派なお腹を抱え、普通に生活を送っていると言う。

2010_07250053 一方、皮膚の状態なのだが

未だに完治することも無く、

次から次に発生する湿疹の数々。

2週間に一度の治療ではあるが

未だに皮膚科からは離れなれないでいる。

今では腕はおろか、足にいたっても

たくさんの掻き傷だらけで、

あまりの痒みに気がおかしくなってしまいそうになることさえある。

飲み薬と塗り薬、それと通院の際の注射で何とか耐えているのが現状で

治っては悪化する、の繰り返しだ。

医師は慢性湿疹ではなく、慢性じん麻疹ではないかと疑いを持ち始めている。

まあ、どちらにしてもアレルギーを抑える薬を飲んでいるわけで

治療自体それ程変わらないのではないかと思って入るのだが・・・。

しかし、そんな治療ばかりに頼ってばかりもいられない。

せめてもの抵抗にと、お菓子類を食べる事をやめた。

主食のように食べていたお菓子類だが、色々な添加物が

含まれていることは確かな事で、それはお菓子類に限った事ではないが

せめてそれを口に入れなくなる事で、その摂取量は減る事は間違いない。

2010_07250064 いわゆる体質改善。

このアレルギー体質を少しでも

良い方向へ向かわせようと

せめてもの抵抗だと思っている。

いつの日だったか忘れてしまったが

医師に今まではこんなに痒みなどが

出てくることなど無かったと、

訴えた事がある。

医師曰く、加齢と共に免疫力も抵抗力も、そして体力も落ちる。

そういえば、鉄棒で懸垂ができなくなった。

泳ごうとしても浮かない。

目は遠くも見えなければ、近くも見えなくなった。

耳は遠くなり、時々言葉にも詰まる。

知らず知らずのうちに、随分失ってしまったものがある。

それも気付いていればまだ幸せで全く気付かず、ある日愕然とする事もある。

最近流行の中高年者の登山にしても、そんな光景を良く見かける。

登りでかなり体力を失い、動けなくなってしまいそうな人や

かなり荒い息遣いで頂上をも見ずに引きかえす人。

確実に自分の体力に過信がある。

それは一歩間違えれば命をも落とす危険性もあるのだ。

自分自身を良く知る事が、結果的には自分を救う事となるのだとも思う。

2010_07250014 それは何も登山に限った事ではなく、

こうした普通の健康診断から見える

自分の体が、

今どんな状態であるかを知る事は

今回のような検査で

いかに大切な事であるかと知った。

自分のからだについて

指摘を受けることは誰しも嫌な事だと思う。

ましてや病院に通う事などはなかなか受け入れがたいものである。

が、それが命を繋ぐ天からのくもの糸であることにやっと気付いた今、

本当の健康を少しでも長い間維持していこうと思った。

まだまだ長い人生である。

健康でない長生きなんて真っ平ゴメンだ。

その為にも自分のからだは、自分でしっかり掴んでいようと思った。

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする