風をうけて vol.3

お引越ししてまいりました。
拙いブログですがよろしくお願いします。

ここはレーシングカーが走る場所ですよね。

2018-12-24 11:37:33 | マラソン
昨日、今年の最終戦となる「富士マラソンフェスタ」を走ってきました。

場所は、あのカーレースで有名な富士スピードウェイ。

一周約5kmのコースを最初だけショートカットして、残りフルコースを4周回するハーフの部に参加です。



こんな鍋みたいなコースを4周も5周も走る訳ですから、相当きついだろうなとは走る前から想像できました。

しかも、天気は雨。

予報では標高の高い地点では雪になる可能性もあると。

事実、会場に向かう富士五湖有料道路の須走出口前のトンネルには「出口ユキ注意」の表示があり、そんな天気に相当ビビりまくり。

運が良いのか悪いのか、雪が降ることはなく雨だけで済みましたが、それでも平地の気温よりは大分低く肌寒い中でのレースとなりました。

この日の為に選んだウエアは二種類。(ウエアというのには・・・笑)

このお天気じゃ普通に走ろうかどうかと悩んだ末に、せっかくここまで来たのだからと、こんなウエアを身に付けての出走です。



しかし、寒さのあまり、指がかじかんで顎の紐をロックするのにもひと苦労。

これからのレースが思いやられます。

さて、この日のこの大会にはブログ友の「げたのうら」さんんとそのお仲間さんが一緒。

朝早くから選手控室の一等席を確保していただき、そこにお邪魔させていただき、ストレスなくレースを迎えることができました。

こんな遠方の地でも、このようなご親切にあやかれるのは長く続けてきたブログがあってのもの。

それにずっとお付き合いしていただいたげたのうらさんには特に感謝、感謝です。



そうして迎えたレースなのですが、想像以上にコースはきつく、更に降り続ける雨にどんどん体力を消耗していきました。

3周目までは何とも思わなかった坂も4周目の坂を上り切り1.5kmものストレートを走っていると、疲労もピークを迎えもう一回あの坂を上りたくない気持ちにもなります。

標高差や坂の長さこそありませんが、斜度は相当なものがあるのです。

これまで坂のある大会ばかり走っていましたが、この日の坂が一番きつく思えたのは、まだそれまでに走ってきたフルマラソンの疲労が残っていたせいなのでしょうか。

それとも、雨でぬれた衣装のせいなのでしょうか。

その衣装はは木綿製。

それが雨で濡れるとカラダに纏わるように絡みつき、自由にカラダを使えません。

フェルトで作ってあるヘッド部分は水を吸い、徐々にその重さで頭に食い込こみ、その影響か骨の部分がギシギシと今にも崩壊してしまいそうな勢い。

弱い風でもその風向きによっては眼鏡が曇ってしまいまったく視界まで奪われます。

そうしてまとわりついた濡れた衣装は、次第に体温まで奪い、ゴールを迎える頃にはガタガタと震えるほどの寒さにも襲われました。



コース上には殆ど応援もなく、これほど過酷なレースは今までにもそう多くは経験していません。

そんな大変な思いをして走ったレースです。

もう二度と走らないと思っても当然だと思います。

ですが、その頑張りに対してきちんとご褒美が私の手元に届いたのです。

「ハイ、おめでとうございます。仮装賞です。もうスタートする前から決めていましたよ。」

仮装賞を審査する係りの方からのとっても嬉しいお言葉に、震えたカラダも暖まりました。

また、賞品を受け取りに案内された大会本部では、「おめでとうございます。また来年も是非この大会を盛り上げてくださいね。」との来年の参加のお誘いまで受けてしまいました。

これは頂いた品物以上に嬉しい言葉のプレゼント。



今までの苦労がすっかり喜びに変わった瞬間でした。

また、このことをげたのうらさんやお仲間さんに報告。

それをとても喜んで頂き、感謝感激の大波が押し寄せてくる思いでした。

そうして、げたのうらさんたちにまたの再会をお約束して帰路についたわけですが、片道3時間のその時間は会場に向かうために要した3時間の半分くらいに感じたほどでした。

どの大会もそうですが、少なからず思い出は残ります。

良い記録の大会は特にそうですが、この「富士マラソンフェスタ」は特に記憶に色濃く残る大会になると思います。

エントリーして良かった、走って良かった、仮装して良かった、そんな大会でした。



今はそんな余韻に浸っていますが、それには大会関係者、並びにボランティアの方々のご苦労があっての事。

皆様に心より感謝申し上げます。

お疲れ様でした。

そして、ありがとうございました。


追伸

げたのうらさん、本当にありがとうございました。

またどこかの大会でお会いしましょう。

お仲間の方々にもよろしくお伝えください。




コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どうしたらいいのか…。

2018-12-19 05:08:18 | 日記・エッセイ・コラム
もう、今日で丸一週間経ちました。

そうです、今までと同業の会社へ履歴書を送ってから。

何の返事もありません。

まさに、なしのつぶて、ヘビの生殺し状態。

別に就職を焦っているわけではありませんが、働かない、もちろん勉強会や講習会も出かけることもない。

冬場ですから田畑を耕す必要もない。

ないない尽くしの毎日。



当然、これからのマラソン大会の参加予定も全く考えられず、これまたなし。

目標のない一日の何てつまらない事ったら。

もし、今の状態で大会参加を決め、エントリーしてもその日に休めるという保証はありませんからね。

土日がしっかりと休みになる仕事に就けばそりゃいくらでもエントリーしちゃいますが。

同業種の工場勤務にしても、福祉介護の道を選んだとしても、そのどちらにしても土日が休日の保証はありません。

ましてや、新入りが我がままを言って毎週のように日曜日を休ませてくれだなんてとても言える身分じゃありません。

早く決めたい、決めさせて欲しい…それを焦りというのでしょうね。



昨日、かかりつけのお医者さんに言われました。

「今までずっと働いてきたのだから、ここは少しゆっくり過ごされたらいかがですか?」

看護師さんにも言われました。

「また働くのですから、少しぐらい休んでいてもいいじゃないですか」

でも、休むって苦痛なんですよ。

「ひとりでぼっとしているのは辛いですよ。まるで社会から隔離されているようで…」

その一言でお医者さんの顔色が変わりました。

きっと私の精神状態をい案じてくれたのでしょう。

実は一緒に退職した同僚もこの何もない生活に不安を抱いているようです。

でも、同僚の彼は「働く自信がない」と。

そう、目標なるものがなくなると意欲まで失せるのです。

しかも、話し相手もいなければ引きこもってしまう。

まだ私の場合は、土日になればランニングチームのメンバーさんとの会話もあるし、大会にも参加しているのでひととの関わりが少なからずあります。

でも、それもなくなったら私はどうなるのでしょう。



ひとの声が欲しくって、観てもいないテレビはつけっぱなし。

しゃべることもないペットの猫との会話に返事はありません。

例えば、老人性鬱や専業主婦がお酒に逃げるキッチンドランカーは、まさしくこのような状態から生まれるのだなと、心の底から実感しています。

「口ほどじゃなく意外と打たれ弱いんですよね」

誰かが私の事をそう称していましたが、きっとその通りだと思います。

だけど、この辛さはきっと私だけじゃない。

心を持った人なら絶対にそう思うはず。

いったいこの状態はいつまで続くのでしょう。

休めない人間の苦悩はまだまだ続きそうです。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「岐路を前にして」

2018-12-18 04:14:16 | 日記・エッセイ・コラム
ガイドヘルパーの仕事内容は?

ガイドヘルパーの仕事内容は、以前外出介護員と呼ばれていましたが、2003年、支援費制度によって移動介護従業者という名称となり、2006年、障害者自立支援法施行に伴い外出介護従業者と呼ばれるようになり、視覚障害、全身性障害、知的障害によって外出が困難な方とともに安全に配慮しながら外出支援を行います。
外出の支援では、病院や旅行、映画館、美術館などがあり外出先の制限はありません。外出時に安全に配慮し、車いすの介助や排泄、衣類着脱介助などを行います。


ガイドヘルパーの資格を得るのには。

1.同行援護従業者養成研修(視覚障害の方)
視覚障害をもつ方への移動介護を行うためには視覚障がい者同行援護従業者養成研修を受講し、一般課程を修了することで同行援護ができるようになります。応用課程へ進むためには実務経験1年が受講資格として必要です。
2.全身性障害者過程研修(全身性の障害の方)
全身性の障害をもつ方への移動介護を行うためには全身性障害者ガイドヘルパー養成研修を受講し、この犬種を受ければ子供から大人までの移動介護が可能です。
3.行動援護従業者養成研修(知的障害、精神障害の方)
知的障害、精神障害をもつ方への移動介護を行うためには行動援護従業者養成研修を受講しなければいけません。
         (「介護求人サイト ハピケア」より抜粋させていただきました。)



ご存じでしょうが、私、只今無職でございます。

当然、就職活動に精を出していますが・・・。

が、なのですよ。



有給休暇消化を含め、仕事を休むようになってから約一ヶ月。

先ずは失業の手続きには離職票なるものが必要で、元勤め先の会社よりその通知が届くのを待っていたのですが、これがなかなか届かない。

そんないつ郵送されるのか分からない離職票を待つより、まずはハローワークの様子をちょっと覗いてみようかと、先ずはフライング気味の就職活動を始めたのです。

この地域には、住居のある深谷市に「ふるさとハローワーク深谷」と、その周辺を統括する「ハローワーク熊谷」とがあります。

ふるさとハローワークでは失業の各手続きはできず、就職に際しての相談や紹介、パソコンによる求人企業の閲覧のみ。

でも、手続きには離職票が必要な訳で、それがない私は何も熊谷まで出向く必要はなく、おそらく小規模のふるさとハローワーク深谷でも充分に私の要求は満たされるだろうと。

そうして出向いたふるさとハローワーク。

想像の通り、閲覧用のパソコンは5台ほどか。

相談窓口も3つ。

仕事を探す方達も待つことなくスムーズに作業をこなしていました。

初めての私も、ひと通りの手続きを済ませ、窓口の係りの方と相談。

その際にハロートレーニングで資格を取得したい旨を相談。

ところが、その資格に必要な講座はつい最近締め切られたと。

次の講座が始まるのは来年2月とのこと。

それまでは就業することはできず、無職のままで2月までの期間を過ごさなければならないことを告げられました。

冒頭に記したのは私が望む資格。

介護系、福祉系の資格にも色々あり、介護施設や障碍者施設、もちろん在宅で手をこまねいているご家族のために、少しでも役に立てる仕事をとガイドヘルパーの仕事に興味を持っていたのです。

その資格を取得するのには、先ずは介護資格である「介護職員初任者研修」なる資格を得なければなりません。

その講座が二ヶ月待ち、更に受講を始めて二ヶ月。

要するに四ヶ月の間、無職でいなければならないのです。

もちろん、介護の仕事に就くのは初めてであり、知識も経験もない自分がすぐさま利用者さんのお役に立てる仕事ができるはずもなく、先ずは実務を通して経験を積まなければいくら資格を取得したからとは言え、使い物にならないのは明白。

そうなると年齢や体力が就労に色濃く影響してしまいます。

ましてや、人間関係の最たる現場での就労はお勧めできない、と窓口の相談員さんもおっしゃり、自分の気持ちもグラグラと揺るぐのです。

それならば40年培ったスキルを活かし、同業の職種についた方がご自分も楽ですよ、との言葉に納得。

無理はせず、その言葉の通りここは工場勤務、再び機械相手に仕事をしようとある会社に履歴書を送ることにしたのです。

そうして数日後、離職票が届き、本筋である「ハローワーク熊谷」へ。



そこで失業保険需給申請を行うと共に就職相談を。

そこの窓口の相談員さんからは、驚いたことにふるさとハローワーク深谷の相談員さんと真逆なことを言うのです。

せっかくのチャンスなのでここは思った通り、資格取得を優先させた方が良いと。

更には「介護職員初任者研修」の上の講座、「介護職員実務者研修」までを勧められました。

この講座を受講すると、その後に実務3年を経験すれば国家資格である「介護福祉士」の受験資格が得られるとのこと。

国家資格と言われれば、そりゃ魅力を感じないわけがありません。

介護福祉士の次はケアマネージャー資格、、、そこまではいけないとは思いますが、今まで思ってもいない資格がその先に待っているとしたら、夢は広がりますよね。

ところが、「介護職員実務者研修」も二月より始まり、それより六ヶ月の受講期間で終了するのは七月末。

それまでの失業保険は継続され支給はありますが、受講会場の大宮までの交通費や諸雑費までは当然支給されません。

それまでの費用を捻出して、もし、その仕事が合わないと分かった時に、一切そこに費やしたエネルギーと時間はあぶくと消え去るのです。

ここは一家の長として、そっして何より自分のためにどうしたら良いのかしっかり考える必要がありそうです。

自分のやりたいことを仕事にせず、ボランティアで、という道ももちろんあります。

残された自分の時間は、決して無駄にはしたくありません。

自分の事ですから自分で決めるのは当たり前ですが、ここは多くのひとの話もお聞きして悔いの残らない第二の人生にしたいと思っています。

決断するって、本当に大変ですね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

これからですから!

2018-12-10 12:03:31 | 日記・エッセイ・コラム
今年も参加してきました、「さのマラソン」

どういう訳か、この日はいつも毎日寒くなります。



それまでの日があまりに暖かく、どうしてこの日から…と、理不尽なお天気にブツブツ文句を言いながら出かけました。

車で約1時間。

フルマラソンで言えば、自宅から一番近くの大会。

そりゃ、どうしても参加したくなりますね。

移動距離は短ければ短いほど力を走る方に向けられます。

そんな良いことばかりじゃなく、コースはフルマラソンにしたらかなり厳しいコース。



こんな鬼のようなコースを毎年走ろうだなんて、変態扱いされても仕方ない(笑)

でも、好きなんだから仕方ありませんよね。

何も記録の出るコース、人気のあるコース、風光明媚なコースだけがベストじゃありません。

走っていて苦しい、それを楽しいと思うランナーも沢山いるのですよ。

この日集まった変態ランナーは女性を含めて1900名程度。

いや、これだけ集まれば立派なもんですね。

それにしても、何度走ってもきつい。

特に寒さを苦手とする私には、今回の気象条件は最悪でした。

からだが温まるまで5kmはかかります。

それでも指先は凍えて言うことを聞いてくれません。

20km過ぎに補給食をウエストポーチから取り出そうとしても取り出せない。

指に感覚がないのです。

これには参りました。

仕方なく、トイレに寄って、その時にポーチから取り出そうと。

この間、ロスタイムが1分以上。

でも、これもレースですから仕方ありませんね。



その後も指先は温まることはなく、次に30km頃に運よく二つ目の補給食をとれたのはラッキーでしたが、終盤攣りかけたふくらはぎの為に摂取しようとした塩サプリは諦めざるを得ませんでした。

幸い、そうっとゴールまで辛抱し何とか攣らずに持ちこたえましたが、もし摂りたいときにエネルギー補給や塩分補給ができたならもう少し頑張れたかな、とはあくまでも希望的観測にすぎませんけどね。

ともかく、様々な障害でここ数年まともに走れていなかったフルマラソンです。

まだまだいけるタイムだとは思いますが、とりあえず3時間40分を僅かに切ることはできました。

完全な復調とは言えませんが、ここまでの走りを長年できていなかった訳ですから、そりゃ納得の1本です。



色々なダメなこともやっちゃいましたし、ラッキーな部分もありました。

そういう意味ではプラスマイナスゼロ。

あとに残ったのがこのタイム。

納得はしても満足は決していませんよ。

まだまだこれから。

そう思わなけりゃどんどん落ちちゃいますもんね。

走りますよ~!

(時間の都合でまったく校正できません。お見苦しいところがあったならどうぞご容赦を)

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分の路

2018-12-08 06:42:18 | 日記・エッセイ・コラム
12月8日

未だに離職票は届きません。

ハローワークでお聞きしたところ、制度的には退職後10日以内に送付される事になっているそうです。

そう、これ以上待ちきれずに先日、ハローワークに登録してきました。

そうです、もう退職となったわけですから登録だけはできる訳で、就職のあっせんもしていただけるのです。

先ずは就職の相談の前に、資格取得についてお聞きしてみました。

「ハロートレーニング」という名称で、それによるとテキスト代だけで講習料は免除されるそうです。

そこで「やった!」と思ったのはぬか喜び。

その講習についての申し込み期間、講習機関というものがあって、なんと今年分の申し込みは10月に終えているとのこと。

次の講習は来年2月からと、3ヶ月も先の話になってしまいます。

そこから講習期間が3ヶ月。

実に半年もの間、無職状態・・・。

もちろん、その間をアルバイト若しくは失業保険のお世話になりと言うことも可能ですが、できればそんな中途半端なことをしたくないのも確かなこと。

できればスパッと講習を受け資格と知識を習得しきっちりと現場へと行きたいところでした。

そんなこんなで、私の就職活動はすでにつまずいてしまい、更にはハローワークの係りの人の言葉に気持ちが揺るぎます。

「確かに福祉系の仕事はたくさんあります。しかし、40年もの長い年月で身に付けたスキルをここで終わりにするのは勿体なさすぎますよ。」

更に、

「福祉系のお仕事は女性の比率が大きく、そのような職場で経験のない人が就職すると殆どの場合、人間関係に疲弊します。もちろん人間性の問題ですけど、そこでエネルギーを使うなら、是非今までと同じ職種をお勧めします。それだけの経験があれば職業訓練校の指導員にもなれますよ。」

ですって。

そこまで言われたら気持ちは大きく傾きますよね。

その言葉の通り、機械加工ならばほぼストレスなくどんな職種でも受け入られるでしょう。

特に研磨機を使うモノなら今でも立派に仕上げて見せる自信はあります。

元の会社でも随分多くの後輩にその技術を教えてきましたが、学校の先生にまでにはなるつもりはありませんけどね(笑)

そうして求人表を見ていくと、そりゃありますわ、、、いわゆる専門職(条件に経験が必要な職種)っぽいですから。

で、これはと思ったのが、従業員が40人にも満たない会社。

今までの環境から考えたらかなりの小規模な事業所。

ですが、こちらとしては年齢というハンデがあります。

「一応、こんな年齢ですが面接を受けられますか」

と、事前にお聞きしようとしたところ、残念ながらいくら電話をかけても繋がりませんでした。

ガックリ・・・(連絡先が人事の方の携帯電話なんですよね)

事業所はもちろん今日、明日と休日ですし、当然、ハローワークもお休み。

勝負は月曜日に持ち越しになりました。

ところが、ちょっとした出先で障がい施設の子供たちが引率の方と共に、歩道のゴミ拾いを行っている光景を見てまったのです。

そこには私よりも年上ではないかと思われる方が引率しており、なんとも眩しく見える事。

そんな仕事がしたい・・・と、またもやグラグラと気持ちがぐらついてしまいました。

ただ、多くの方が言うように「時給が・・・」という言葉も忘れてはいません。(求人はあるのですが、正直かなりの低賃金)

考えようによっては、そうして本当にやりたい仕事は対価を求めないボランティア活動で参加をさせていただき、生活や自身の心身の為にも慣れ親しんだ工場という空間に身を置いた方が良いのかなとも思っています。

これから先、自分にどれだけ時間があるのか、それは誰もが知るところではありません。

だからこそ、悔いのない、納得した生き方をしたい。

今がその岐路に、ということです。

いっぱい考えています。

頭が痛くなるほど、悩んできました。

ここまで考えて、もしそれが失敗だったと、どんな結果になっても決して悔いることはないと思います。

それだけ考えました。

でも、あと二日、もう少しだけ考える時間があります。

自分にとって本当に良い道、もう少し考えてみます。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする