風をうけて vol.3

お引越ししてまいりました。
拙いブログですがよろしくお願いします。

歴史ロマンに魅せられて・・・。 「渋澤栄一」の巻

2009-08-18 20:56:37 | うんちく・小ネタ

2009_08170043 我が郷土を代表する偉人、

「渋澤栄一翁」です。

実は、もう2日前の事になるのですが、

ひょんなことから

この深谷では知らない人はいない

超有名人、渋澤栄一について

詳しく学ぶ機会を得たのです。

「今頃・・・」と、お思いでしょうが結構知らない事が多いんですよね。

いや、私だけかも・・・。2009_08170006

では、全く興味のない方にも

何となく歴史の面白さを

判って頂けるように

簡単かつ、くだらない私なりの解釈付きで

この人の紹介などを踏まえながら

今回の私の体験談をお話しようと思います。

もちろん間違っていたとしても、学校でいい加減な勉強しか

していない私ですから許して頂戴ね。

突っ込まれてもお答えもできないかも・・・。いや、絶対にできない(笑)

先ず、この「渋澤栄一」さん。

2009_08170039

この人は、農家の長男として生まれ

家業の藍玉(藍染の原料)の製造卸販売や

養蚕、小麦の栽培などを営むお百姓育ち。

でも、その経営、営業能力に優れている栄ちゃん(笑)は幼少のころから

その才能を遺憾なく発揮していたそうな。

で、ある日父親の代理でこの周辺を収める代官さんと接見。

あまりの代官さんの横柄な態度にぶち切れちゃった栄ちゃん。

で、この頃流行の尊皇攘夷を掲げ倒幕を夢見て、かの有名な

千葉道場の門下生で北辰一刀流の達人(?)であった栄ちゃんは、

仲間を集めてその地域を収める「高崎城」を乗っ取ろうなんていう

クーデターを計画していたんだけど

2009_08170037 2009_08170036_2

栄ちゃんの師匠「尾高惇忠」さんの

弟さんに、「そりゃ、無理だよ!」

って、なだめられクーデターを

諦め、幕府に追い詰められ京都に逃げちゃった。(笑)

千葉道場北辰一刀流の達人と言えば、「坂本竜馬」だよね。

時代的には合致するんだよね。もしかしたら面識位はあったのかなあ。

サインなんて貰っていたら、凄くうらやましいよね。(笑)

ただ、道場が違ってた。千葉道場っていっぱいあったんだよねえ。

まるで、何とかゼミナールみたいに・・・(笑)

また尾高さん家は私の奥さん家の直ぐ近くなんだけど、

今もその子孫のご家族がそのお宅で暮らしているんですよ。

そういえば、尾高さんとか渋澤さんとかこの地には良くある姓。

きっと、血筋をたどればみんな親戚なのかな???

(因みに、同級生には数名の渋澤さんがいますもんね。)

で、その逃げちゃった栄ちゃん、尊皇攘夷に燃えていたくせに「徳川慶喜」に

使えちゃった。「え~~~~!、そりゃ、無いよねえ。」

でもその辺が、人間らしくって栄ちゃんの良い所かな。(笑)

で、その慶喜さん、パリの万博に招待されたんだけど江戸時代のトップが

パリに遊びに行く訳もいかず、水戸藩のお偉いさんが代わりに

行く事になったんだけど、栄ちゃんがそのお付の人に選ばれちゃった訳。

そしてその間に、な~んと明治維新。大政奉還!!!

で、あんたどうすんのって事で帰ってきたんだけど、そこは抜け目無い栄ちゃん、

いっぱい資本主義(株式会社)のお勉強をしちゃったのね。

で、新政府の今で言う財務省、昔の大蔵省の官僚トップとして

かの有名な「大隈重信」さんにお誘いを受けたんだって。

もちろん、大隈さんの学校建設もお手伝いしたらしいよ。

早稲田を筆頭に、国士舘や二松学舎、え~っとそれから・・・、忘れちゃった(笑)

だけど、その新政府はやっぱり「伊藤博文」筆頭に薩摩長州主体だから、

全く違う地方出身の栄ちゃんはいじめられちゃったんだって。

で、ポィってその官僚トップの地位を投げ捨てちゃった。あんたはエライ!(笑)

そこから、皆さんご存知のように第一銀行やら日本煉瓦製造やら

富岡製糸工場やらを作ったらしいけど・・・。

2009_08170005 2009_08170009 2009_08170011

その

第一銀行

の保養

施設

として、栄ちゃんの喜寿を記念して造られたのが写真の「誠之堂」。

国の重要文化財なんだって。

2009_08170013 2009_08170014 2009_08170015

まるで

浦安に

ある

巨大

娯楽施設に登場してもおかしくない佇まい。

いや、こちらは本物ですから・・・(笑)

そして、この建物の隣にある「清風亭」2009_08170016 2009_08170017 2009_08170020

これは

第一銀行

時代の

栄ちゃんの

補佐役だった佐々木さんの古希を記念して作ったやはり第一銀行の保養施設。

現在、超格安でこの施設を貸し出し中らしいので興味のある方は、

勝手に申し込んでください。(ご自分で調べてね♪)

また、当時はこの建物の周りにテニスコート6面、野球場1面などがあったそうな。

しかも、東京の一等地、世田谷の瀬田にあったそうですよ。

それを裕福な深谷市(苦笑)が大枚をはたいて、深谷市大寄公民館に

移築しちゃった。

2009_08170021

現在も、この公民館には大きな野球場があり

その当時をイメージした公園になっているのです。

残念ながらテニスコートはありませんけどね。

2009_08170004 で、ニ路がその公民館の駐車場でラジコンで

遊んでいる間、暇つぶしにメロンと

誠之堂、清風亭を見学していると

お盆休みにもかかわらず、係りの人がやってきて

丁寧に説明してくれたんですよ。(お世話になりました。)

要するに、渋澤栄一のヒストリーはその親切な係りの人の全くの受け売り。(笑)

でも、楽しかったなあ。

歴史って面白いよね。

2009_08170045 2009_08170040

栄ちゃん

の生家や

ゆかりの

地なんて別に珍しくなく、

あまり興味も無かったけどいろいろ聞いたり調べたりしていくと

幕末の有名人なんかとの接点があったり、ドラマや人間模様が見えたりして

テレビドラマよりドラマらしくって、創造をかきたててくれる。

我が郷土にも激動の幕末や明治維新があったなんてちょっと感動ですよね。

また、この近所には「塙保己一」さん(本庄市)や、以前ちょっとだけ紹介した

「荻野吟子」さん(熊谷市)なども輩出しており、歴史を紐解いていくのは

とっても興味深い土地かもしれませんね。

「この歳になって・・・」 いや、この歳になったからこそその面白さが

判ったのかもしれません。

「生涯学習」、この事にもっと早く気づけば今頃何とか博士になっていたかも・・・。

そんな事はねえよ~~~~~なあ。(笑)

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする