まあ、相変わらずの睡眠障害。
時は午前3時。
もちろん誰も起きてない。
いや、正確にいえば猫2匹はその時間が活動時間。
猫と一緒の生活してどうすんだって感じだけど、年々睡眠がずれが激しくなってきている。
変な時間に眠くなり、変な時間に目が覚める。
そうした時間のずれは生計を維持する仕事上ちょうどいいのは皮肉だけれど、自分的には非常に困っているのは確か。
だけど、もうずれちゃった体内時計を元に戻すのには長い時間を要するのではないかと。
もうしばらくこのまま不自由を感じつつも我慢というところ、かな。
さて、猫の活動時間は決して我が家の猫だけにあらず他のお宅の猫も同じこと。
夜な夜な猫たちの縄張り争いが繰り広がれている。
この頃では近所に凶暴な猫が現れ、我が家の猫は数度にわたり重傷を負わせられている。
入院数回、通院数えきれないほど。

なにしろ4匹いる我が家の猫たちが共闘してもかなわぬ相手。
相当の強者とみる猫はどの家庭で飼われているのかもしれぬ流れ者。
やせ細っているわけではないところからきっと何処かで世話になっているに違いない。
が、いくら足取りを追っても、ご近所の方に情報を得ようとしても一切その素性は分からず、ただただ我が家の猫を痛めつける憎き相手でもある。
猫には猫の”自宅の敷地”の境界線があるらしく、ここは我が家の敷地だと人間様がいくら主張してもそれは理解されないらしい。
だからその憎き猫の敷地内になっているのだろう我が家、そこにいる猫4匹はそちらにとってはただの侵入者、いや侵入猫なのだ。
だからそこから排除しようと戦いが始まる。
元々よちよち歩き程度で捨てられた我が家の猫たち。
親の教育というものがもしあるのだとすればまったくその教え講じられていない、はず。
本能のみで今まで生きてきたものばかりだ。
猫同士の付き合い方もコミュニュケーションも果たして知っているのかどうか。
それより何より”捨てられた”とい精神的なショックや不安この上ない公園での数日がトラウマとなり未だに神経質な部分、人に対して異常なほど警戒心を持つ。
そんな猫がたくましく腕力の強い猫にかなう訳がない。
こてんぱんにやられ食べ物も口にすることもなくただ横たえるだけの愛猫を放っては置けないだろう。
そこで獣医に治療を、ということになるのだがこれがなかなか金銭的に馬鹿にできない。
私は我が家の猫のために、あの凶暴な猫のために、こうして毎週休日出勤を行っているのか、と思うと何ともやり切れなくなる。
この夜も猫の唸り声が聞こえた。
家族の誰かが猫の「外へ」の懇願に負けて外に出っぱなしのままでいたのだろう。

そこにきっとあの凶暴な猫が現れたに違いない。
私は急いで懐中電灯を握りしめ外に出た。
すると塀の上にいた我が家の猫。
その下を見ると、やはりあの憎き猫の姿。
一瞬お互いの目が合い、そしてお互い動きが止まる。
そんなためらいを突き破るように私が一歩踏み出すが早いか猫の逃げ足の一歩が早いか、そこからお互いのダッシュの応酬が始まる。
右に左に切れの良い走りをするあの憎き猫。
必死に追うが猫の足にかなうわけもなく暗闇の消えるあの憎き猫の後ろ姿に地団太を踏む。
そんな戦いをよそに我が家の猫ときたら何もなかったかのようにとぼけ顔。
悔しいが”猫の喧嘩に飼い主が出るな”の様相だ。
そんなことをこの夜はなんと3度も繰り返した。
相当しぶとい精神をもってもいる憎き猫だ。
そのたびにうわの空を決め込んでいる我が家の猫。
いったいあの憎き猫の戦いの相手は我が家の猫なのか、それとも私なのだろうか。
睡眠障害の夜は色々と悩ましい夜でもある。
時は午前3時。
もちろん誰も起きてない。
いや、正確にいえば猫2匹はその時間が活動時間。
猫と一緒の生活してどうすんだって感じだけど、年々睡眠がずれが激しくなってきている。
変な時間に眠くなり、変な時間に目が覚める。
そうした時間のずれは生計を維持する仕事上ちょうどいいのは皮肉だけれど、自分的には非常に困っているのは確か。
だけど、もうずれちゃった体内時計を元に戻すのには長い時間を要するのではないかと。
もうしばらくこのまま不自由を感じつつも我慢というところ、かな。
さて、猫の活動時間は決して我が家の猫だけにあらず他のお宅の猫も同じこと。
夜な夜な猫たちの縄張り争いが繰り広がれている。
この頃では近所に凶暴な猫が現れ、我が家の猫は数度にわたり重傷を負わせられている。
入院数回、通院数えきれないほど。

なにしろ4匹いる我が家の猫たちが共闘してもかなわぬ相手。
相当の強者とみる猫はどの家庭で飼われているのかもしれぬ流れ者。
やせ細っているわけではないところからきっと何処かで世話になっているに違いない。
が、いくら足取りを追っても、ご近所の方に情報を得ようとしても一切その素性は分からず、ただただ我が家の猫を痛めつける憎き相手でもある。
猫には猫の”自宅の敷地”の境界線があるらしく、ここは我が家の敷地だと人間様がいくら主張してもそれは理解されないらしい。
だからその憎き猫の敷地内になっているのだろう我が家、そこにいる猫4匹はそちらにとってはただの侵入者、いや侵入猫なのだ。
だからそこから排除しようと戦いが始まる。
元々よちよち歩き程度で捨てられた我が家の猫たち。
親の教育というものがもしあるのだとすればまったくその教え講じられていない、はず。
本能のみで今まで生きてきたものばかりだ。
猫同士の付き合い方もコミュニュケーションも果たして知っているのかどうか。
それより何より”捨てられた”とい精神的なショックや不安この上ない公園での数日がトラウマとなり未だに神経質な部分、人に対して異常なほど警戒心を持つ。
そんな猫がたくましく腕力の強い猫にかなう訳がない。
こてんぱんにやられ食べ物も口にすることもなくただ横たえるだけの愛猫を放っては置けないだろう。
そこで獣医に治療を、ということになるのだがこれがなかなか金銭的に馬鹿にできない。
私は我が家の猫のために、あの凶暴な猫のために、こうして毎週休日出勤を行っているのか、と思うと何ともやり切れなくなる。
この夜も猫の唸り声が聞こえた。
家族の誰かが猫の「外へ」の懇願に負けて外に出っぱなしのままでいたのだろう。

そこにきっとあの凶暴な猫が現れたに違いない。
私は急いで懐中電灯を握りしめ外に出た。
すると塀の上にいた我が家の猫。
その下を見ると、やはりあの憎き猫の姿。
一瞬お互いの目が合い、そしてお互い動きが止まる。
そんなためらいを突き破るように私が一歩踏み出すが早いか猫の逃げ足の一歩が早いか、そこからお互いのダッシュの応酬が始まる。
右に左に切れの良い走りをするあの憎き猫。
必死に追うが猫の足にかなうわけもなく暗闇の消えるあの憎き猫の後ろ姿に地団太を踏む。
そんな戦いをよそに我が家の猫ときたら何もなかったかのようにとぼけ顔。
悔しいが”猫の喧嘩に飼い主が出るな”の様相だ。
そんなことをこの夜はなんと3度も繰り返した。
相当しぶとい精神をもってもいる憎き猫だ。
そのたびにうわの空を決め込んでいる我が家の猫。
いったいあの憎き猫の戦いの相手は我が家の猫なのか、それとも私なのだろうか。
睡眠障害の夜は色々と悩ましい夜でもある。