風をうけて vol.3

お引越ししてまいりました。
拙いブログですがよろしくお願いします。

春はもう直ぐそこにやってきている。。。

2011-01-27 09:45:03 | インポート

2011_01260002 しばらく、ご無沙汰をしてしまった。

何かと忙しく、正直パソコンに電源さえ

入れる時間も無いくらいだった。

ここにきてやっと少しだけ

時間的に余裕ができ

こうしてキーを叩いているのだが・・・。

しかし、そんなキーを叩く指先が

痛くって難儀をしている。

実を言うと手荒れが酷く、指先は裂け、酷い日には熱を帯び

腫れあがってしまうことさえあるくらい。

病院で頂く薬の効用をはるかに越える悪化の早さになす術もなく、

ただただ我慢の毎日。

入浴時、湯船につかる瞬間は硬く身構え、歯を食いしばり、

うなり声を上げてしまう。

また、ほぼ全身に広がった湿疹は、私にこれでもかと言うくらいの

試練を与えてくる。

掻き越したキズの多さに自分自身驚かされる事もしばしばの状態。

はあ~、いったいいつになったらこの苦痛から開放される事やら・・・。

2011_01180018 それにしても今年の乾燥は酷い。

全く雨が降らない。

こんな日はやはり呼吸系も思わしくなく、

無理をするとしばらく咳き込んでしまい

昨年、一昨年の悪夢が蘇ってしまう。

もうあの苦しみは二度と

味わいたくないのだが

どうしても自然には勝てない。

私にとって冬と言う季節は、やはり歓迎すべき季節ではない事は事実のようだ。

それでも確実に季節は春に向かっているようだ。

梅の花はちらほらとほころび、花の無いこの季節に彩を与えてくれる。

良く見れば、桜のつぼみも幾分大きさを増したか。

毎日吹き荒れる赤城おろしにも慣れたせいか、鋭い切っ先で刺されるような

冷たい痛みを感じなくなってきている。

2011_01230010 日差しも柔らかな優しさに溢れ

澄み切った空気が心をくすぐる。

もう直ぐだ。

もう直ぐ我が家に最良の

“春”の便りがやってくる。

時には声を荒立て叱咤激励し

時には夜遅くまで付く部屋の明かりに

心配もしてきた。

そんな長男(ニ路)の受験の日が近い。

いつか以前記事に書いたように、“春”が訪れたその日には

生涯一番であろう美酒を味わうのだ。

そう絶対に・・・!

その時まで、その時までは心、鬼にして長男を見守ろうと思っている。

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「にっきの日記」その5 ひとりにて。。。

2011-01-17 13:30:57 | 日記・エッセイ・コラム

2011_01090012 夜明け前、

隣家の小高い木々の枝が

薄暗い部屋のカーテンの隙間から

激しく揺れているのが見える。

今日も冷たい雪風が吹き荒れそうだ。

ここ最近、何故だか夜中に眼が覚める。

少しの頭痛と共に浅い眠りの世界と

現実の世界が交差している。

どんなものだったかさえも忘れてしまうような夢から覚め、

そしてまた夢の中に引き込まれる。

決して嫌な時間ではないが、早く夜が明ければいいのにとい寝返りをうつ。

しかしそれでも我慢しきれずそっと起きだし、ひんやりした部屋の中で

何をするでもなくただぼんやり過ごす時間。

そういえば今日は母親の介護認定の問診の日だと気付く。

半年前に比べれば、またかなり機能の落ちた母親。

介護度も今より更に重度と認定される事だろう。

しかし、どれだけ介護度が上がろうと、自分の役割は変わる事はない。

この先、どれ程の時間こんな生活を強いられるのか、予測もつかぬまま

今日もまた同じ事を繰り返す。

2011_01090007 それにしても今日は風が強い。

きっとあの山の向こうは

かなりの雪だろうな。

日当たりの良い枝には梅のつぼみも

ほころび始めたこの地からは

信じられないような冬真っ只中の

雪国にでさえ季節が変われば

いずれは花も咲く。

私にとっての春は悲しみと共にやってくるのかと思うと、

なんともやりきれない今の心境ではあるが、

悲しい事に決して人間は永遠ではないのだ。

それも致し方ない事と運命に逆らうことなく、せめてこんな時間だけでも

心静かに過ごせるだけ自分は、幸せなのだろうとかとも思う。

さてさて、コーヒーでも入れますか。

この静かな時間に香ばしい香りと湯気が、身と心を更に暖めてくれるはずだ。

ただ時計の秒針の動く音だけがわずかに聞こえていた部屋の中に

生活に音が動き出す。

陽はまだま昇らない。

こんな時間だが、それが自分だけの時間だと思うとやけに

嬉しくなってしまうのであった。

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「にっきの日記」 その4  読売新聞「あかり」に、こころ動かされて

2011-01-07 12:00:01 | 日記・エッセイ・コラム

2010_12050214 今、朝がとても楽しみだ。

と言うのも、新聞の連載記事に

こころ動かされてているからなのである。

新聞の連載記事とは読売新聞の

「あかり」という記事。

新年から始まったこの連載は

今日で5回を数えた。

今日の記事は

日本から脱出した若者がタイでホントの安らぎや生きる喜びを

得たという内容のもの。

昨今、若者の中にひきこもりならぬ、「外こもりなるも」のが存在するらしい。

家の中にいれば、一流の学歴を持ち一流の企業へ就職しろと

口うるさく親から言われ、それから逃れる為に外に逃げ口を探す。

そして深夜の誰もいないような路をひたすら歩き回り、時にはその場所を

海外に求める者もいるそうだ。

こうして海外に出る資金稼ぎの為に派遣社員としてで何年かを日本で働き、

それを資金として海外に出て数年暮らす。

そういった若者を実は私も何人も見てきたのだった。

「なるほど、そういう意味だったのか・・・」

今になってみれば、それもうなずける。

テレビ番組やドラマなどでみるような事を、地でやっているのかとも思ったが

実はそうではなく、自分の生きる路を必死に探していたのだと。

そんな彼らに対して、自分の軽はずみな言動で彼らを傷つけていなかったかと

反省する気持ちにもなってきた。

私も子供の親として、やはり口うるさく思われていたとしても、

それが彼らの為にと思ってもいたが、実はそれは苦しめる為の物の

他でもなかったりするかもしれない。

それでも記事の中に出てくる若者は幸せを手にしたらしく、

笑顔の写真で心温まる記事にはなってはいたのだが、多くの若者は

今夜も外に逃げ出し、そして海外を夢見ているかもしれない。

O0800118310383760227 昨日の記事はシンガーの

川村カオリさんについてだった。

彼女は’09年7月28日に

がんで亡くなっている。

小さなお子さんをひとり残し、

苦しみの中旅立っていったと

世間で涙を誘っていた。

そんな彼女の事をワイドショーが何度も

放送していた事を思い出す。

昨日の記事はそんな彼女が残した

ブログに関してのものだった。

今でも彼女のブログは生きていて、

コメントの書き込みは今になっても

続いているそうだ。

(彼女のブログ 

「川村カオリの調子はいいんだけど」はこちら

そんな彼女のブログを少し覗いてみたのだが、やはり記事にあるように

感動もしたし、涙も出そうになった。

そして彼女の冥福を祈ると共に、今も彼女のファン達の心の叫びのような

書き込みを読み、改めて彼女の存在の大きさを感じるのだ。

しかしそれ以上に、記事でも書いてある事なのだが、気なる事がある。

それは不幸にも“主”のいなくなったブログの存在。

記事には“ネット上を浮遊”という表現をしていた。

そんなブログの存在が実に多いのだそうだ。

人間の命なんて、いつ消え失せても不思議でもなんでもない。

私が今日、この瞬間、何らかの事故や病気によって、あっという間に

この世から失せてしまったとしたら・・・。

いったいこのブログはどうなってしまうのだろうと・・・。

一応、有料のサービス故、使用料を払い続けている以上は

消滅する事はないだろう。

しかし私のブログは彼女のように、主がいなくなった今でも輝き続けるような

そんな魅力に溢れるブログではない。

それでも、それでも、これは確かに私が生きた証であるのだ。

もしかしたらこれは遺影や遺書にも匹敵するものかもしれないと

思ってもいるのだが・・・。

彼女の遺族も彼女のブログを大切に残したいと言っている。

2011_01060010 実に考えさせられた。

他にも視力を失ったボクシングジムの

会長と聴力に障害を持つ女性ボクサーの

挑戦の記事や、末期がんと闘う、

余命を宣言された方の記事など

実に興味深く、

ついつい朝から新聞紙面に

釘付けにされてしまう。

そして記事の内容もさることながら、新聞の筆者が語るように

【あかりは幸せの象徴であり、温かな記憶であり、明日への希望かもししれない】 

                                 読売新聞「あかり」より

に、ついて朝から思いにふけってしまうこの頃なのだ。

さてさて、私にとっての「あかり」とは・・・・。

        

                                                                                                    

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新年も今日で5日目。「あ~あ、今年も大変だなぁ」

2011-01-05 20:18:09 | 日記・エッセイ・コラム

2011_01010001 お正月も既に5日が過ぎた。

今年も残すところ360日あまり・・・

などと言うと、下手な漫才師の台詞。

何か新年の冒頭に景気の良い話はないかと

この日まで更新をせずに待っていたが

そんな話はいつまで待っても

ありはしない。

逆にその方が

安心感のある新年と言えるのかと、まさしく貧乏性の根の部分が

出てしまったりする。

それにしても今年は昨年以上に過酷な年となりそうだ。

なんと神社の役(年番)まで廻ってきてしまった。

早速今日、その役目として地元神社の初祈願祭に行ってきた。

神殿の掃除や役員へのお茶だしから、宮司へのおもてなし、

注文のお守りの配布に至るまで、実に仕事が多い。

2011_01030006 しかし、これもこの地に住む者にとっての

大切なお役目。

今年1年、春夏秋のお祭りをはじめ、

そのほかの行事に至るまで

しっかり勤めていこうと思う。

また、今年が2年目の

自治会体育行事の役員も今年が山場。

今年は『長』として、

皆をまとめていかなければならない。

これは非常に神経を使う役目となるようで、今から少しビビリ気味であるが

何も命までとられてしまうような事はない。

ど~んと、受けてたつぐらいの気持ちで向かおうと思っている。

とりあえず、今年3月で隣組の班長は終えるし、農協系の班長も終える。

仕事量とすれば、今年と同等ぐらいであったとしても、やはり今年の方が

役としても重みが増すだろう。

当然ではあるが、今からしっかり覚悟を決め、

最後までしっかりとやり遂げなければならないのだ。

そうすることが、この田舎で生きていく為の大事なお役目なのだから。

2011_01030001 もうひとつ、大事なものがある。

それは長男二路の受験。

とりあえず、昨年に滑り止めの高校は

内定を貰っているそうだが

第一希望の入試はまだまだこれから。

我が家は逼迫しないと、

まるでやる気を出さない

ホントに悪い家系で

今頃、塾に泡くって通いまくり、夜遅くまで教科書とにらめっこの毎日。

しかし幸運にも、その塾長が同じ走友会の仲間であり、この愚かな長男にも

最善を尽くしてくれているらしい。

この塾長との出会いは本当に偶然であり、こういうことをホントの

幸運と言うのだろうとも思う。

塾長が苗字から、もしかして・・・と二路に尋ねたそうだ。

私はそんなこととは全く知らず・・・であったのだ。

まあ、いぜれにせよ出来の悪いせがれの事、塾長には本当に

苦労をかけてしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

2011_01030010 こんな年である。

今年は、はっきり言って

走る時間も昨年以上に

制限されてしまいそうな勢い。

ここにきて大変調子も

上がってきただけに

少し残念であるが、これも致し方ない。

この時さえ越えればまたしばらくの間、

走ることに専念できるのだと言い聞かせて、今年から来年の3月末までは

そちらの事を優先してゆかねばならない事で、今は納得もしている。

ゆくゆくは、ウルトラなども走りたいとは思っているが、ここはしばらく我慢。

なるべく時間をかけず、効率的に練習をしていこう。

2011_01030005 それにしても、私もこうして社会的貢献を

していかねばならぬ年齢となってしまった。

自分などはまだまだ若すぎると

思っていたのだが、

周りを見渡してみると

高年齢化が進み

逆に身軽に動ける方のほうが

少ないのが現状。

そうなれば私などは重宝に使われ

色々な仕事を負かされるようになっている。

それも私達の年代まで。

それから年下の者達にはこのような地元貢献のお付き合いを嫌い

そのような場に出ようともしないし、色々な協力にもかなり消極的だ。

これは私の地元のような地方の農村地帯に限らず、

都会と言われるところにおいても、その土地の文化を継承していこうと言う

気構えが希薄になっていると言われている。

2011_01030008 そんなことが、貴重な

伝統芸能などの消滅にも

繋がっているのだそうだ。

それは時に淋しくも思うが、

よくよく考えてみれば昔、

私もそんな事を嫌う

若者の一人だったではないかと。

しかし、年齢を重ね次第にそんな

文化に触れ合う機会が増え

たくさんの諸先輩方に指導されていくと、それを継承していくことの重要さを

ヒシヒシと感ずる事でもある。

勿論、全てが必要で、まるっきりそのままの状態で良いとも思わないが、

なくなってしまう文化があって良い訳が無い。

今時の若者からは古いと言われようと、それはそれ。

いつか、その重要性に気付くこともあるだろう。

文化とは・・・

継承とは・・・

そして、私のこの一年とはと・・・

その心と現実のギャップにいささか戸惑う、新年のこの日だった。

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