いくら沈んだ気持であっても
自然に盛り上がってくる。
目を輝かせ、気合満々の選手。
今日の日をめいっぱい楽しもうと
笑顔が溢れる選手。
そんな人たちに囲まれていれば
どんな状況の人間だって
高揚する気持に歯止めがかかるはずが無い。
それにしても最近のランニングブームとは凄い事になっているようだ。
このローカルの大会でさえ参加人数が6千人を越えたとか。。。
そういえば平日の日であっても幹線道路を通れば必ずランナーを
見かけるようになった。
私が走り始めた頃などはただの物好き、何もそんなきつい事をやらなくとも
と、よく陰口をたたかれたものだ。
おしゃれなスポーツと姿を変え、
一部の間では羨望のまなざしで
見られることさえあるくらいだ。
しかし、私自身はそのおしゃれな
部類のランナーにはどうしても
なれそうにはない。
派手なウエアも
似合わないだろうし、カッコよくも走れない。
それでもランナーである誇りは何時まででも胸に刻んでおこうとは思っている。
いや、誇りと言うよりもスポーツマンとしての意識を持つ事が、即ちランナーの誇りで
あるのだと思っている。
爽やかに、潔く。。。だ。
今日は久しぶりに見学、応援だけの日となってしまった。
だが、これが自分の中では凄く意味のあったことに思える。
たくさんのランナーを見ていると普段気がつかなかった事に気がついた。
それと言うのは、ラストの走り。
今日はラスト1kmのところに陣取って応援をしていたのだが、
やたらとバネを利かせ平然とした顔で走りすぎてゆくランナーの実に多いこと。
それは特に時間を追うに従ってそういうランナーが増えていたようだ。
しかもしっかりとしたフォームで。。。
もし、もっと違った練習をしていれば、
もっと違った意識で走っていれば、
もっともっと早いタイムで走れるのになと。
せっかく走ったハーフマラソンなのに
チカラを余してゴールではもったいない。
それは自分にも
当てはまるのではないかと
ふっと思った。
あの市民ランナーの星「川内君」が全力を出し切って動けなくなってしまうくらい
追い込めとは言わぬまでも、最後まで力を残さず走りきることが
今までの自分にあっただろうか。
それは意識の中で全部出し切る事への恐怖、不安、そんなものに縛られていて、
どうしても守りの走りになってしまい、前半押さえに押さえ、慌てて最後にスピードアップ。
それを気持ちよく走りきったなどと、いかにも快走したかのような錯覚に
陥っていたのではないだろうかと。
しかしそれを打破するには自分の力を完全に把握していなければならず、
それだけの練習量があってこそ自分の走力を信じる事ができるように感じる。
できるようになる為の練習量。
自分を信じられる為の練習内容。
一口で言うのは簡単だが、
それはそれだけの練習を
こなしていかなければならないことで
決して簡単なことではない。
しかし是非そこまでの境地に
達してみたい気持となった。
それは今までになかった新たな心境であり、発見でもある。
今日は走ることができなかった。
明日も、そして次のレースも走れないかもしれない。
が、きっと復活してみせる。
今よりももっと強くなって。
きっと、きっと。