風をうけて vol.3

お引越ししてまいりました。
拙いブログですがよろしくお願いします。

誕生日を前にして。

2022-07-13 05:18:48 | 日記・エッセイ・コラム
あと数日で誕生日が来る。

それに合わせて「年金定期分」なるハガキが届いた。

それによると、来年から特別枠の老齢厚生年金が支給されるらしい。

と言っても、申請すれば、の話だろうが。

確かにそうなれば家計は助かる。

今の給与プラス支給される年金額となれば、あおれはそうだ。

が、とうとうそんな年齢になってしまったと、きっとガックリ来る部分もきっとある、、、はずだ。

古い話だが、生前親父がやっと年金をもらえる年(当時は60歳から受給)になったと喜んでいた。

金銭的な生活苦の長い期間を過ごしてくれば、そう思うのも当たり前だと思う。

やっと人並みに余暇を過ごし人並みな時間的余裕を持つ、そんな間もなく体調を崩し入退院の繰り返し。

受給した年金の殆どは治療費、入院費に当てられたのではないかと。

そうして、親父(私にとっての祖父)の年齢を越えたと喜ぶ数年後、年金も必要のない向こうの世界へ旅立って行ってしまった。

親父だけでなく親父の男兄弟はみなその様な年齢で親父の待っていた向こうの世界に行ってしまった。

しかもみな同じような病状で。

そう言う家系なのだ。

だとしたら、同じDNAを受け継ぐ自分がそうならないとも限らない。

医学的に言えば、むしろそうなる可能性の方が大きいのかも知れない。

となれば、だ。

もし同じような道を進むのであれば、私に残された時間はそう長くはない、はずだ。

自分の運命を悲観的に考えるのは実にばかばかしいとも思うが、いつそうなっても悔いのないようにはしておきたい。

それが世にいう、「終活」と言うものなのか。

実は親父はある一冊のノートを残している。

まだ体の自由が効いたころの病床で書き溜めた物らしい。

”これを見れば後のことはどうすればいいのかすぐに分かるから”

そう言って渡してきた一冊のノートだ。

しかし、そのノートのⅠページもめくってはいない。

いや、めくる勇気がどうしてわかなかった。

もちろん、もし親父にもしものことがあって、自分は自分なりにどうにかこの家を背負って世の中をわてって行けるだろうというおごった自負だけはあったのも事実だ。

だけど本当の理由は、”親父が死ぬ”という現実に目をそらしていただけなのかも知れない。

親父の背中を追って生きてきた。

いつだったか、一番好きだった叔母に打ち明けたことがあった。

”自分には親父のように家を新築したり農地を増やしたりできない”

その答えは、

”あの当時とは世の中が違うんだ。だから今は自分のできることを一生懸命にやればいい”

と。

叔母のいう通り、一生懸命にやってきただろうか。

自分のできることの最大限を尽くし、そしてすべてを使い切って親父の待つ年金の要らない世界へ向かえるだろうか。

もう一度襟を正して考え直そうか。

「終活」ではなく、今からまだやらなければならない”一生懸命”を。

コメント
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