風をうけて vol.3

お引越ししてまいりました。
拙いブログですがよろしくお願いします。

天は我を見放した?

2022-09-28 05:33:16 | マラソン
ここにきてようやくコロナの感染が沈静化したように思える。

ポツポツとマラソン大会も開催されるような状況だ。

だけど、正直コロナ感染の危険性がなくなった訳じゃないし、今だってコロナに苦しめられているひとも大勢いるのが現状だ。

約一ヶ月前にコロナに感染し、その後もなんとなく後遺症と言うんだろうか、突然咳き込み、口の中の違和感に襲われていた。

走れば息苦しさに苛まれ、どうも完調という具合には行っていないようだ。

8月末の「赤城大沼白樺マラソン」は当然キャンセル。

その前の「嬬恋キャベツマラソン」は大会主催側のキャンセルで未だ大会を走ることが叶わないでいる。

大会が開催される確率が高くなるまでエントリーは止めようと思っていたが、もう大丈夫だろうとエントリーした赤城が自らのコロナ感染でおじゃんになったし、嬬恋は嬬恋でまさかの橋の崩落(らしい)中止。

理由はともかく、大会にこれほど運がないとは自分でも呆れる。

いや待てよ、これは神のお告げで走るなと、そう言われているのか、一時はこのまま永遠に止めておいた方が良いのかと思ったほど。

が、やはりエントリーが始まるよという情報が耳に入るとじっとはしていられないのが実のところ。

それはそうだ。

そんな生活、ルーティンを20年以上続けてきたのだから。

来週末開催の「上田古戦場ハーフマラソン」は、そんな気持ちを抑えきれず、思わずエントリーしてしまった大会だ。



その案内が昨日届いた。

もう何年前なのかさえも忘れてしまったが、「大町アルプスマラソン」の練習がてら、一度走ったことのある大会で、そのころはまだ「真田幸村」がそれ程注目を浴びてはいず、上田城も古戦場もまったく興味がなかった。

だが、今の体調と練習量では到底次のフルマラソンへの練習なんて具合には行くはずもなく、観光目的というのが本音であって、それでも走ることも無理やり加えて考えるのならば、何とか歩かずにハーフの距離を走り切れるだけの体力が回復した証明と自信を取り戻し、その後に至近の「上山田戸倉温泉」でうまい信州の地酒でもと、そんなのんびりしたいわゆる”旅ラン”というのんびりした位置づけだ。

だが、ここにふたつの障害がまたもや首をもたげてきたのだ。

まずひとつが、政府が推し進める「全国旅割」だ。

対象の期日が10月11日から。

しかし、温泉宿を予約したのは大会当日の9日。

たった2日違っただけでその恩恵を受けることができない。

ならば、その日をキャンセルし、改めて旅は旅で楽しむ、そんな日に予約をした方がいいのではないかと思うようになった。

運の悪さはそれだけではない。

もうひとつの理由。

これが最大の足かせとなって苦しませられている。

実は一緒に出かける予定だった奥方が体調を崩して、只今通院治療中であり、その治療が予定の日までに完了するのか微妙な状況だ。



奥方の体調を考えれば、今回の旅ランは中止して、自分だけのランに徹した方が良いのではないかと思うざるを得ない。

しかし、夏の頃から楽しみにしていた信州への旅である。

信州の名寺、「善光寺」は今夏まで御開帳で大変な賑わいを見せていたらしい。

7年だか8年だかの期間を持って行われる御開帳。

それに合わせて出かけようとしていたものの、この夏の暑さとコロナによって見合わせてきた善光寺参りだ。

それをまた見送ることになるのは・・・。

どうも運が無いと言うか、機会に恵まれない。

どうしたものかと考えているうちに宿のキャンセル無料期間が近づいてきている。

さてさて、どうしたものか。

しかし、その事ばかりが気になっているが、本来は練習に身を入れて、1分でも30秒でも早く走れる算段をしなければならない時期だというのに、まったく呆れた物だと苦笑してしまうのもなんとも情けないお話しでもある。

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加減と適当と。

2022-09-15 05:16:41 | 日記・エッセイ・コラム
いつだったか、何かとトラブルを起こす若い子がいた。

一生懸命だから周りが見えなくなる。

猪突猛進型を絵に描いたような子だ。

その子にふざけ半分で、「仕事なんか自分の持っている力の3割も使えば十分」と、言ったことを思い出す。

そのイノシシの子はきっとふざけていると思ったに違いないと思う。

だけど、自分としてはふざけておどけて言ってはいたが、それは本心でもあった。

仕事は仕事として、与えられた使命や役割をこなさなければ企業の中での歯車として生きてはいられない。

そこに全力で立ち向かう。

それが正しい企業人のありかた。

いや、待てよ。

それだけで成り立つのか、仕事というバケモノは。

実は企業としての理想・理念と、本来の人間としての生き方について、それをグラフ化した時、それはきっと交わる部分は永久にないんじゃないかと40数年間この身を企業という牢獄に身を置いて導き出した答えだ。

しかし、だ。

これからが重要なことで、3割の力を使えば企業が求めている仕事量をこなせる、そんなチカラを身につけなければいけないということであって、いい加減な仕事、適当にこなす仕事を”3割のチカラ”を使えば十分ということではない。

イノシシ君はガクッと来ていたが、要するにもっと容量の大きい人間になりなさいってことでもある。

かく言う自分がそれだけの器量、技量を身に付けている訳では決してないが、そこを目指すことは誰にだって必要なことで、ぎちぎちのチカラのすべてを仕事に傾けたのでは人間としての生き方に支障が出てしまうことは当り前だ。

例えば人間関係。

シャカリキに仕事に打ち込むのは別に悪いことじゃない。

だけど、ひとの気持ちとして反感を買うような言動をぶち投げていないか、あまりに一生懸命に打ち込む姿に反感を持つ輩も存在するかもしれない。

周りを気遣う目、口、そして行動。

全力で仕事に打ち込んでいては必ず欠落する思いやり。

全ての者が自分と同じ価値観を持ち、同じ技量を持ち合わせている訳ではない。

どこに基準を置くのか、そこが前に立つ者の役目である。

イノシシ君、突っ走るのはいい。

だけど、それに付いてこられえないものを蹴落としていてはトラブルに発展するのは当り前ではないか。

それを正しい方向に向けることこそが本来の人間らしいそのものであって、時には自分がブレーキとなったり牽引したりとできるようなチカラを身に付けていれば決してトラブルには発展しない。

気持ちで動く動物、それこそが人間でもある。

イノシシ君、君にはそんな存在能力がある。

あとは7割のチカラを使ってひとの輪を構築してくれたまえ。

老兵はそう思うのであった。



時間がない。

ともかく走る練習に時間を割くことができない。

ようやく体調も戻りつつあるというのに、次から次へと仕事を仕向けられてくる。

以前だったら、深夜の時間を金銭を得るための仕事に。

そして、明るい昼間の時間を使って様々な仕事をこなすことができた。

そして有効活用、、、、余った時間を走る時間に差し向けることができていた訳だ。

ところが、昼間の時間を収入を得るための仕事に向けているので、深夜の時間は睡眠時間ということになる。

それでは走る時間までどうしても捻出できるわけがない。

逆に考えれば、今までは寝る時間を割いて走っていた、と言えないこともない。

それでも何とかカラダは持ちこたえていてくれた。

ならば今も寝る時間を減らしその時間走ろうか、、、いや、もう無理だ。

そこが加齢ということの証明なのだろう。

筋力的にきつい訳でもなければ、心肺系が極端に機能を鈍らせている訳でもない。

けれど、それは練習をこなしていればこそ発揮できるもので、この状況から一気に全力で走れと言われてもそれは無理な話だ。

どこでどうして時間を捻出するのか。

それが加齢に打ち勝つキーワードでもあるが、そのヒントも見いだせない今が実にもどかしい。



再び、話は仕事に戻るのだが・・・。

先輩社員による教育が厳しい(?)過ぎると不満を持ち、新人さんが出社後まもなく吐き捨てるように、「仕事をできる気分ではない」と、帰ってしまった。

この新人さん、新人と言えどももうとうに40歳を過ぎた立派な大人だ。

確かにその先輩社員さんも口調はとげのある言葉を吐き出すことは多々ある。

けれど、統制を乱すことは今の職場にとっては決して好ましい姿ではない。

障がい者君たちに指導する立場の人間が、自分勝手な言い分で歩調を合わせず行動する。

それを障がい者君たちがどう見るのか。

社会の成り立ちをいくら説いても、行動が共わない指導はまったく理にかなわない。

それを敏感に感じるのも障がい者君たちの優れた部分でもある。

実はこの新人さん。

元は造園業者の元で働いていたそうな。

要するに”職人気質”という奴だ。

それが騰勢を乱す一因にもなってるのではないかと推測する。

殆どひとの助言を無視し、自分の裁量で判断。

そこから作業を進める。

が、集団の中での単独行動はやはり都合が悪い訳で、それを特々と説く先輩社員さんに敵意さえ持っているのではないかと思われる行動は自分の目からもダメ出しを出すようなこともあった。

企業の中での長年の暮らしは、集団行動、同じ目を持ち同じ方角を向くということの重要性をいやと言うほど叩き込まれてきた。

だが、一方では個人技こそが美徳と信じ、その腕に磨きをかけてきたものとは天と地ほど認識に違いがある。

どうしたものか。

季節は除草から剪定に移るというのに。

これ程チーム内が乱れていたのでは効率が仕事量に追いつかない。

まったく困った物である。



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おいおい、ちょっと待てよ!

2022-09-05 05:49:50 | 日記・エッセイ・コラム
家の奥方が体調を崩した。

日曜日の朝のことである。

このままじゃ救急車?

いや、先ずは診療してくれる夜間診療の病院を探してみよう。

が、役所から配布された一覧表ではらちが明かない。

ネットで調べてもイマイチ不明確だ。

ならば119番でこの時間診療してくれる病院を教えて頂こう。

これが親切丁寧に2つの病院を教えて下さり感謝感謝の極み。

で、ひとつは夜間当番の病院。

そしてもうひとつが休日当番の病院で、開院するのが9時からとのこと。

となればまだ夜間診療の時間帯の為、となりの町のY病院へ電話。

すると、専門医が不在であることから、遠方ではあるけどその診療科目のあるH市民病院を紹介され、連絡を試みる。

生憎、その医師は膝位だったが応急措置等の方法等を教えていただき、またもや頭の下がる思い。

それまで、Y病院、H市民病院共に患者の(家族も含め)気持ちに沿った対応をしてくださり、本当にありがたさを感じた。

が、問題は診療時間を待って連絡した市内のS病院だ。

やはり休日の診療となると専門医が不在ということになる。

それをある程度承知の上で、もし応急措置だけでも行ってもらえればどれだけ落ちつけたことだろうと思う。

だけど、看護師さんなのか症状を言うとけんもほろろに診療を断られた。

救急指定されている病院でもあり、余計に不信感を感じた。

コロナ感染者の増加で病院は医療の崩壊寸前であると叫ばれているが、電話の向こうの看護師さんの”こっちはそんなのにかまっている暇はねえんだよ”と、鬼のような目をして電話対応している姿が想像できるような口調。

病人に対する応対にしてはあまりにきつすぎるのではないかと、その病院の品位を疑わざるを得なかった。

だったら休日診療や救急指定とか、取り下げれば良いじゃないかと本気で思ってしまった。

断るにしてもそれなりの言葉遣いって必要じゃないのかと思うのは間違いなのか。

他の3つの病院の気持ち的な部分の対応に助けられた分、余計にこの病院の対応の酷さに愕然とした。

これが医療の実態。

この先、よほどのことがない限りだが、多分この病院へはもうお世話になることはないと思う。

市内でも大きな方の総合病院だっただけにがっかりした気分だ。

その後、運よく診療してくださる病院を探し当て、事なきを得たが早朝から半日。

精神的にもからだもへとへとに消耗したことは言うまでもないが、これからの生活に不安を感じずにはいられない。

加齢により弱りつつあるからだ。

いつどうなってももうおかしくない年齢になりつつある。

持病の治療ははもちろんだが、不意の体調不良に対する治療を快く受け入れてくれる病院は自分の手で見つけておかねばならないということを実感した。

命に係わることだし、丈夫で動けるうちに様々な情報を整理し、”マイ病院”を見つけておくのも大きな仕事のようだ。

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