私には”夢”があります。
それを実現できるのかどうかは分かりません。
でも、ゆっくりゆっくり、その夢に向かってきたと自分では思っています。
視覚障がい者に対する伴走・伴歩の講習会やワークショップへの参加もその道の一歩でした。
これからもそのような勉強をする機会をいただけたら、もちろん参加させていただく考えでいます。
また新たな道として勉強を始めました。
決して難しい勉強ではありませんが、まさに目からうろこ、心が洗われる思いとはこのことかも知れません。
それというのも、、、今、何軒かのお店で食事をしたというのがそれ。
はっ、何それ???。
きっとそう思われるでしょう。
実はそのお店と言うのが・・・ハンデを持った人たちが持たないひとと共に働いて、食事を提供してくれるお店です。
そのお店の様子をうかがうたびに私の心はドンドン固まっていくのです。

”いつかはこんな人たちと同じ道を笑いながら楽しく走りたい、走るお手伝いをしたい”
あの人たちの屈託のない笑顔は私の心を射抜きました。
でも、現実はそう上手くはいきません。
そんな夢を共有できる人は、ランナーさんは、そう多くはないのかもしてませんね。
そんな夢を理解してくれるランナーさんに巡り合えるのは極まれで、殆どの方は自分の記録や順位に固執している方ばかりで、全ての人に優しさを、と考えている方は少数のようです。
もちろん趣味の世界ですし、どんな世界観を持っていてもそれは自由。
私の気持ち、思うところを押し付ける気もありません。
でも、私は私の意志があり、目指すところ、そう”夢”もある訳です。

走ることを通して、人と関わりを持つことはとっても良いことだとは当たり前にとても必要だと思います。
でも、そこに不純な気持ちが例えば存在するとしたならば、私はその場所に留まる気持ちにはなれません。
”青い考え”だと笑われるかもしれませんね。
”大人なんだから”と呆れられても、私には私の信念がある訳です。
正直、この数ヶ月、私はがっかりすることが何度か起きています。
もちろん楽しい事の方が沢山ありましたが、その事も打ち消すぐらいに辛いことは忘れることができないものです。
私は今、心を病んでいるのかもしれませんね。
それでも私には生きていくし、夢に向かってゆっくりした足取りであってもしっかり歩んでいきたいのです。
何を持って納得した生き方と考えるかは、個人の意識次第です。
私はぶれません。

夢は叶うとは限りませんが、それに向かって生きていくのは決して恥ずかしい事ではないと思っています。
きっと”くさいなぁ”と笑う人もいることでしょう。
でも、私には私の生き方しかできません。
ずっとこのまま、墓場に行くまでこの気持ちのままで行きます。
私の気持ちは永遠に変わりません。
それを実現できるのかどうかは分かりません。
でも、ゆっくりゆっくり、その夢に向かってきたと自分では思っています。
視覚障がい者に対する伴走・伴歩の講習会やワークショップへの参加もその道の一歩でした。
これからもそのような勉強をする機会をいただけたら、もちろん参加させていただく考えでいます。
また新たな道として勉強を始めました。
決して難しい勉強ではありませんが、まさに目からうろこ、心が洗われる思いとはこのことかも知れません。
それというのも、、、今、何軒かのお店で食事をしたというのがそれ。
はっ、何それ???。
きっとそう思われるでしょう。
実はそのお店と言うのが・・・ハンデを持った人たちが持たないひとと共に働いて、食事を提供してくれるお店です。
そのお店の様子をうかがうたびに私の心はドンドン固まっていくのです。

”いつかはこんな人たちと同じ道を笑いながら楽しく走りたい、走るお手伝いをしたい”
あの人たちの屈託のない笑顔は私の心を射抜きました。
でも、現実はそう上手くはいきません。
そんな夢を共有できる人は、ランナーさんは、そう多くはないのかもしてませんね。
そんな夢を理解してくれるランナーさんに巡り合えるのは極まれで、殆どの方は自分の記録や順位に固執している方ばかりで、全ての人に優しさを、と考えている方は少数のようです。
もちろん趣味の世界ですし、どんな世界観を持っていてもそれは自由。
私の気持ち、思うところを押し付ける気もありません。
でも、私は私の意志があり、目指すところ、そう”夢”もある訳です。

走ることを通して、人と関わりを持つことはとっても良いことだとは当たり前にとても必要だと思います。
でも、そこに不純な気持ちが例えば存在するとしたならば、私はその場所に留まる気持ちにはなれません。
”青い考え”だと笑われるかもしれませんね。
”大人なんだから”と呆れられても、私には私の信念がある訳です。
正直、この数ヶ月、私はがっかりすることが何度か起きています。
もちろん楽しい事の方が沢山ありましたが、その事も打ち消すぐらいに辛いことは忘れることができないものです。
私は今、心を病んでいるのかもしれませんね。
それでも私には生きていくし、夢に向かってゆっくりした足取りであってもしっかり歩んでいきたいのです。
何を持って納得した生き方と考えるかは、個人の意識次第です。
私はぶれません。

夢は叶うとは限りませんが、それに向かって生きていくのは決して恥ずかしい事ではないと思っています。
きっと”くさいなぁ”と笑う人もいることでしょう。
でも、私には私の生き方しかできません。
ずっとこのまま、墓場に行くまでこの気持ちのままで行きます。
私の気持ちは永遠に変わりません。