風をうけて vol.3

お引越ししてまいりました。
拙いブログですがよろしくお願いします。

”目標”

2020-06-24 14:27:04 | 日記・エッセイ・コラム
新型コロナウィルス感染防止の為、活動を中止していたランニングサークルの練習会を再開した。

普段からモチベーションが下がらぬようにと、SNS等でコミュニケーションをはかり、走ること以外な事でも会話が盛り上がったり、メンバーさん同士の絆が深まったりと、それはそれなりの役目を十分に果たしていた。

その良い雰囲気のまま、練習会でも多くの方の参加を予想していたが、それは間違いだったのかもしれない。

「走ること=レースを走る=タイム・成績」と、それを目標としたならば、今はレースが開催されず、方程式が成り立たなくなってしまっている、という事なのだろう。

目標が無ければ当然、練習をする必要もない。

練習よりもレースが大事という事なのだろう。

それは、あまりに極端な考えかたかも知れないし、全員がそう思っているはずもない。

だけど、自分自身の中にもそんな気持ちは多からずある。

気持ちの入らないランニングは、この季節と相まって決して楽しいものとは言えない。

呼吸の苦しいマスクやバフはそれを助長させ、雨が降ってでも走っていた昔の事が、今は夢物語だったのではないかと疑うほどだ。

情熱とは夢があってこそ燃え上がる。

夢をウイルスに砕かれ、何度も送られてくる参加もしていない大会参加賞を手にするたびにため息をついた。

いつ開催されるのか分からないレースを待ち切れるのだろうか。

痛くても辛くても走る続けてきた。

それはきっと、レースを走るだけのものじゃなかったはず。

それは充分に承知しているというのに、なんと心の弱い事か。

「生涯ランナー」を心に決めていたというのにだ。

自分で誘っておきながら、その自分がやる気をなくしてしまったら、犯罪にも似た裏切り行為でもある。

少しでも走れるからだがあるのなら、たとえ1kmでも走ろう。

時間はいくらでもある。

あとは外に出る気持ちひとつ。

長い自粛生活からの脱却。

それが今、自分に求められる一番の事かも知れない。





ハローワークへの手続きを終え、明日が第一回目の認定日だ。

用意するものは顔写真、それと退職の原因となった勤務条件が変わった事を証明する物。

顔写真はともかく、勤務条件が著しく変わった事を証明する物があれば自己都合で退職しても会社都合での退職の手続きができるそうだ。

私の場合、会社側と夜勤専門として契約した訳で、コロナウィルスによる受注の減少により就職時の条件と正反対の日勤での変更を言い渡された訳で、その資格が十分にあるらしい。

会社から毎月、自分が勤務した時間表が給料明細に添付されており、容易にそれを証明できる。

となれば、申請月からの雇用保険の支給対象となり、11か月間その支給が受けられることとなる。

金銭面では嬉しい事ではあるが、精神的には決して楽なものではない。

走る事と同じように、「目標のない生活」が今なのだ。

もしも、支給が自己都合による退職であれば3ヶ月先にならなければ雇用保険は支給されない。

このご時世、仕事もなく収入もなく、しかも60歳を超える年齢。

厚生年金の受給にはあと4年以上もあるのだ。

悠々自適な生活は病院のベットか天国で送ればいい。

今はまだ働ける。

いや、働かなければならない。

焦ってまた合わない職業、また今回のように安定しない職場にだって就職してしまいかねない。

今はじっくり就業する仕事内容、会社の状態を吟味する時間ができそうなのだ。

しかし、時間は人間の心を弱らせる。

張りつめたロープがだらりと緩むと、そこからもう一度四隅のロープを自力で張るのは並大抵のチカラではないと感じている。

さて、自分がこれから続けていける仕事とは何ぞや。

本当にやりたい仕事ってあるのか。

当然、収入は?

勤務する時間は?

何から何まで自分の都合の良い仕事なんて有り得ないことぐらい知ってはいる。

時間はできるはずだ。

さて、もう一度気持ちに張りを持たせられる仕事を、真剣に考えて見よう。





何もない。

すると、社会から取り残されてしまったような錯覚に陥る。

それが本当に錯覚ならば別に気にしないが、もし本当に自分が立ち止まっているうちに世の中がドンドン進んでいってしまっていたら・・・。

それこそ、”浦島太郎”になってしまう。

手元に玉手箱があって、煙と共に本当の世界に戻れるならば、それも良い。

だけど、玉手箱の存在しない今を、遅れた分の時間をどう工面しよう。

まさに今がロスタイム、、、時間を無駄に消費している。

消費したエネルギーが他の何かを生み出すならそれも良い。

しかし、何も生み出すことのない消費は消費ではなくただの浪費だ。

何でもいい。

何かを生み出したい。

今、そんな時間を夢見ている。
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出口と入り口と。。。茨の道。

2020-06-19 13:19:01 | 日記・エッセイ・コラム
今日、ようやく県外移動の自粛が解除されました。

元々、半分くらいお隣の群馬県に生活圏がある我が家です。

今更、そんな事を言われても、なんのこっちゃ!?って感じですわな。

もちろん、この町からお隣の群馬県に働きに行っているのは、我が家の家族だけじゃありません。

逆に群馬県からこちらに働きに来ていらっしゃる方も多くいます。

その証拠に、群馬県と埼玉県を結ぶいくつかの橋は毎朝、通勤時間になると両方向共に渋滞が発生するのです。

別に群馬県ナンバーを見ても何とも思わないし、逆に埼玉県のナンバーを見ても何とも思われないと思っています。

それは群馬県に係わらず、電車で都内に通勤通学している方も同じ。

そんな事を言われなくってもこのご時世、そんな事を政府や自治体が言わずとも分かっておりますがな。

ただ、中には面白半分、自分勝手な判断、退屈しのぎに遠くへ出かけようとする方もいるでしょう。

それは自粛要請をかけても同じことだと思うんだけど、まあ、今更そんな事に目くじら立てても仕方ないし。



先ほど、退職した会社の同僚から電話をもらいました。

「もう、大変だよ。助けて」と。

当然、大変だというのは会社の状況の事。

この世界的に不安定な経済状況において、安定した収入が得られないのは当然だとしても、あまりに落ち込んでしまった事業内容に励ましの言葉さえうかつに口にすることができない。

事はかなり深刻で、予想はしていたものの直面した元同僚の生活は切羽詰まっている感じだ。

それはそうだ。

奥さんは国が補助金を保証するという名目で2ヶ月程休業。

元同僚は週4日6時間の労働。

時給労働者が働く時間が短くなればモロに収入に反映してしまう。

正直、収入はコロナ禍前の半分にも満たないという。

しかも、彼は日系ブラジル人の派遣労働者。

就職や雇用保険、それに給付金の請求などの仕組みなど、色々な面で理解しきれていないものが多い。

ギリギリで収入限度額を超える為、市からの家賃給付も受けられそうもないという。

かつてその会社に在籍中も、税金やら転職やらの悩みの相談を何度も受けていた。

私もそれ程詳しくはないが、少なくとも一度は早期退職で失業の経験がある故、多少のアドバイスはできていた。

しかし、ここまで深刻な相談は笑って話せることじゃなく、ましてや電話だけでは不十分だと思わざるを得ない。

どうせ私にも時間はたっぷりとある。

いつでも都合を合わせるので、実際に会って話そうという事になった。

きっと彼には身近に相談できる日本人、日本に長く暮らし、それなりの知識のあるこの国以外の国籍を持つ友人がいないのだろう。

私にできる事など薄っぺらな紙のごとく、風に吹かれれば飛んで行ってしまうような知識やアドバイスでも、話し相手がいたら、少しは気もまぎれるだろう。



まったく、この新型コロナウィルスがもたらしたものは、相当に人々を傷つけた。

悪魔以上の存在だ。

この先もはっきりしたものが見えてこない。

彼はそのままあの業績が急降下した会社に留まる事は、、、、雇用形態がそれだけに正直辛いと思う。

今すぐにでも身分と収入の安定した職場を見つけられることを心の底から祈るばかりだ。

しかしながらかく言うこの自分もまた無職の身である。

偉そうなことを言える身分ではないが、今悩んでいるのは確かだ。

毎日更新されるハローワークの求人情報。

やりたい仕事、就いてみたい職業は恐ろしいほどの低賃金。

金銭を求めれば我慢の時間を耐えなければならない。

どちらを選ぶのか、今は自分でも分からない。

ともかく雇用保険の給付が決定してからの就職活動になると思うが、それまでに自分の進む道を考えておこうと思っている。

まだまだ、働かなければならない。

経済的にも精神的にも。

その事だけははっきりしている。

悠々自適な生活なんて、きっと死ぬまであり得ない、、、だろうなぁ。
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先に進むチカラ

2020-06-11 04:57:16 | 日記・エッセイ・コラム
緑が色濃くなりました。

緑は不思議と心を落ち着かせてくれます。



梅雨とはよく言ったもので、梅の実が熟す今の頃になると雨が降り続く季節になります。

遅れていたとはいえ、この関東地方もどうやらその季節に移ろうとしております。

相変わらず雨に縁があるようで、外に出れば雨に打たれ、家にいれば豪雨にせっかく育てた野菜に大きな被害がでたりで。

泣くも笑うも雨は必ず私に何らかの形で関係してきています。

まあ、それはともあれ毎日繰り返される新型コロナウイルス情報。

密だ、自粛だ、マスクだ、と、これからの生活はそれが当たり前の事となるのでしょうか。

密であったからこそ生み出されたものが沢山あった。

親密という言葉は、お祭りのわっしょいという掛け声は死語となってしまうのでしょうか。

イベントが開催されていたからこそ、準備する楽しみも含めて胸を躍らせていた。

猛暑の中の外出にマスクなんて、まるで熱中症になれと命令されているよう。

観客のいないスポーツ試合を見ていても何も面白くない。

楽しみを次から次へ奪われ、どうしたものか・・・。

仕事もなく、不急不要の外出は自粛を求められ、テレビをつければ暗いニュースばかり。



おまけに、早朝の散歩では、それをとがめられるかのように、カラスの襲撃に数度会うと、まるでギャグの一場面かよ、と。

この季節、顔を覆い走るのは間違いなく危険。

気温は30℃を越え、湿度も不快指数を上げ、口を覆うそれは呼吸の妨げとなり、その条件下で走って、何が楽しいと思わせてくれるのか。

集団で走る訳にもいかず、計画された大会はすべて中止。

目標もなく、モチベーションのかけらも浮かばない。

せめての救いは、未だに私どものサークル入会希望者が絶えない事。

増殖する仲間の存在は、この環境下での中で唯一気持ちを支えてくれる。

目下、30人を大きく超えているこの事実は暗闇の中の一筋のひかり。

2年足らずにこれほどの人数のランナーが集まってくれるとは夢にも思わなかった。

しかも、約1ヶ月にひとり、そんなペースで入会希望の方が現れれば余計だ。

何を思って、何にひかれて、そして何を希望して集まって下さるのか、分からないが、きっとひとりでいるのは辛いと感じているひとが多いという証明。



その事は間違いのないところなのだ。

事実、自分がそうであったからこそこのサークルを立ち上げた。

ただ、それにも限界がある。

老化した脳みそのせいか、名前とお顔が一致しない、お名前を思い出せない、そんな不都合を感じるようにもなっている。

そろそろ自分の役目を終え、次世代のリーダーとなり得る方に運営を任せたいとも思っている。

これ以上大きく成長するのなら、きっとそれは不可欠。

新陳代謝はどの世界にも必要な事だ。

走る楽しみ、そして人と関わる楽しさ、それを同時に味わえ、苦労を笑ってやり過ごせる人物。

そうした方が現れたなら、今すぐにも任せたい。

そう思っているのだが、それが叶うまでは何とかこのサークルを持ちこたえよう。

足は随分衰え、脳みそも委縮した。

それでも情熱があれば何とかなると信じているのだが、、、、さてはて、この先どうなる事やら。

悩みは尽きない。
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