風をうけて vol.3

お引越ししてまいりました。
拙いブログですがよろしくお願いします。

「色彩」 ~借り暮らしのアリエッティ×種田陽平展~ より

2010-09-22 10:56:21 | インポート

2010_09210038 私のブログ記事には

必ずと言ってよいほど

花や植物の写真が登場する。

その花なども花屋の中央で

可憐な姿を見せる

ランなどの派手な花ではなく

何処にも咲いていて、庭先や

公園の花壇、道端で見かける花ばかり。

中には雑草と呼ばれる花も少なくない。

こうした写真を使うようになったのは、それなりの理由があるのだが

今回はその事よりももっと衝撃的かつ感動的な出来事が起きており

その事を紹介しようと思う。

2010_09210009 この間の日曜日、テレビ等で紹介され

今、話題となっている

「借り暮らしのアリエッティ×

種田陽平展」に妻とメロンとで

出かけた。

この催し物は東京都木場にある

「東京都現代美術館」で開催されており、

数々の映画の美術監督を務めた

種田陽平氏とスタジオジブリとのコラボで企画され

映画「借り暮らしのアリエッティ」の原寸大に拡大された現物のセットの中を、

アリエッティと同じ大きさになったつもりで、その部屋や庭などを見て歩き

大人も子供も一緒に楽しめるというとてもユニークな展示であった。

小人になった見学者に迫るものは巨大化された植物や

人間サイズに拡大されたジブリ特有のアンティーク調の調度品であり、

その中にあるアリエッティが書いた可愛い落書きや、

昆虫たちも迎えてくれるのであった。

実はそのアリエッティの部屋のメインである植物等の制作を手がけていたのが

私の知り合いである「コサージュウーマン」さんなのだ。

(HPはこちらから)

 現在超有名ブランドのお仕事に着手しているらしく

こまめにHPを覗いていると凄い場面の紹介に出くわすかも。。。

(写真はコサージュウーマンさんからいただいたコサージュの数々)

2010_09210031 2010_09210032 2010_09210036

普段は

女性の

胸元を

飾る

コサージュ

制作をお仕事としているこの方、実はホントに凄い「芸術家」さんでありながら

家事も立派にこなし、趣味でエッセイなども手がけていて、

いたる所でマルチな才能を発揮なさっている、とても魅力的な女性なのである。

私が何故このような方とお知り合いになれ、

そして今も尚良きお付き合いをさせていただけているのか、

未だもって自分でも不思議であり、それでいて嬉しく思えて仕方ないのだ。

そんなコサージュウーマンさんから、今回の展覧会のチケットが

送られてきてビックリ、更にその制作に関わったとお聞き

驚きと言うよりもなんだか誇らしい気持ちになってしまった。

私の知り合いの方が、あのジブリと。。。なのだ。

それはジブリファンの自分としてとてはとても嬉しく天にも登る思い。

開催に合わせてすぐにでも出向きたいところだったのだが

運悪く(?)ちょうど封切りにあわせるように母親が退院してきた為、

約1ヵ月の間、どうしても時間がとれず、盛んにテレビ等で紹介されていたのを

指をくわえて見ているだけの日々が続いていた。

2010_09210034 それでも、お手紙と一緒に

送ってくださった図録や

製作途中の写真などを

毎日眺めては心躍らせ、

何かと暗くなりがちな毎日に

明るい日差しを見せてくれていたのである。

そしてこの頃では、なんとか半日ぐらいは

時間を取れるようになり

留守を念のため二路に任せ、いそいそと出かけられる喜びをかみ締めながら

その美術館のある東京都木場へと出発したのだった。

慣れない地下鉄の東京での道筋ではあったがなんとか無事到着。

2010_09210003 事前に到着時間を連絡し

コサージュウーマンさんと

現地で待ち合わせすることに。

しかしそこには、

なんと2時間待ちほどの

大盛況のその列ができており

その中に並んでいて下さった

そのお気使いには

さすがに恐縮してしまった。

また、ご主人様やご子息様(ランナーさんです。実はそんな縁で)まで

会場にいらしてくれ、みなさんとの楽しい会話とで、そんな待ち時間も

決して苦にはならなず、かえって退屈になりながちなその時間を

楽しいとも感じていた。

さて、肝心なその展示についてなのだが、当のコサージュウーマンさんにとっては

多少不満の残るものとなってしまっていたらしい。

ともかく時間がなく、それはこの展示に関わる全てのスタッフさん、

作り手さんのみなさんに言えることだと説明を受けたのだが、

しかし素人の私には全くそんな感じは受けなかった。

長い行列の中にいる方々の溢れる笑顔に加え、

場内にいる全ての人が夢を見ているかのような眼差しで

展示の隅々まで、時にはそれを手に取り、そして顔をそこまでかと言うほど

近づけ見入ってる。

「夢を与える仕事」がその展示の何もかもを語っていたのだ。

もちろんコサージュウーマンさんの手がけた植物の出来は

すばらしいの一言であり、そのひとつひとつがその空間に完全に溶け込んでおり

その色彩と言ったら芸術のオーラを思いっきり放っていた。

2010_09210030 そのアリエッティの部屋の

最大の象徴である「麦」。

これは粒の全てを型でおこし

その上に染色を施した布をかぶせ

そしてワイヤー等でかたどり

そうして作られているとの説明に驚き、

その細かな造りに息をのむ。

以前、いただいたお手紙の中に

「生きているものを作る者は、その物の温度を大切にしなければいけない・・・」

と言うようなお言葉を思い出していた。

植物の温度・・・。

はて、今まで私が写してきた植物の写真に温度を感じ取れるものが

あっただろうか。

違った分野であっても「作る・造る・創る・つくる」に違いはない。

「花は美しいのだから誰が写しても綺麗に撮れて当たり前」だと思っていた。

心の目で生命の息吹を感じ、肌でその温度を感じ取る。

それが出来てこそ本当の植物に出会えるのではないのか。

2010_09210023_2 緑の葉の中に虫食いもあれば、

枯れ葉も存在する。

美しいと見られるその花には

そうした全てのパーツが

あってこその生命だろうし、

醜いものを隠して写した写真は

果たしてその花の美しさの

全てを映し出す事ができているのかと。

穴の開いた葉も茶色く変色しかけた葉も全て美しいと思える目と心。

緑をただの緑として感じるのではなく、緑の温度を感じなくてはいけない。

植物の強さ、しなやかさ、直向さこそが植物であり温度なのかとも思う。

そうして造られたコサージュウーマンさんの作品はその部屋の中では

不思議な事に決して目立つ存在ではなかった。

ひとつひとつを見ると物凄く緻密な造りで、迫力さえも感じていた

そんな作品にもかかわらずにである。

それはそのセットの中に溶け込んでいたと言う表現よりも、

そのセット自体をその植物達が飲み込んでいたとも思えた。

変な例えだが、大きな鯨のお腹の中にいれば鯨の姿が見えぬように

いくら綺麗で可愛いベッドがあろうと、巨大な人間サイズの調度品があろうとも

全てがそこにある植物の中にある。

それこそが、実はジブリ作品の最大の特徴であり、

「ナウシカ」しかり、「ラピュタ」しかり、そして「トトロ」しかりなのだと。

出口にあるアリエッティの庭にも他の制作会社さんが手がけた植物が

整然と並んでいた。

2010_09210016 それらはウレタン(?)に

塗装を施したものらしい。

それまで床下のその部屋の

薄暗ささから抜け出て

パッと光がさしたかのような

ライティングと

その制作物の大きさに

一瞬息をのむのだが、

それまでの植物とは何かが違っていた。

そこにある全ての植物のひとつひとつが強く自分を主張をしており、

出口付近までの十数メートルはあるであろうか、

そこまでの間に何とも言えぬ強烈なインパクトのお土産をもたせる、なのだ。

溶け込んだ優しい色彩に対比した強い色彩のインパクトという事を

意識しての事なのだろうか。

しかし、実際に心に残っているものは溶け込んだ「麦」であり「アザミ」であり

「シロツメクサ」や「オニタビラコ」なのだ。

それは確かに説明を受けていたからなのかもしれないし、

事前の制作途中の様子を知っていたかもしれないのだが、

色彩の妙はそう簡単に心から出て行くものではないとも思った。

そう、心を暖かさと言う色に染色されたような・・・。

これは決してお世辞ではなく、心からの素直な気持ちであると理解して欲しい。

こうして夢と感動を与えてくれた

「借り暮らしのアリエッティ×種田陽平展」

実にさまざまな驚きと共に、すばらしい技術と感動を目の当たりにする事ができ

妻もメロンも、もちろん私にとっても、とても有意義なこの日となったのである。

こんなすばらしい機会を与えてくださったコサージュウーマンさん、そして御家族に

改めて心より感謝のことばを。

              ~ ありがとうございました~

コメント (2)
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 「命」

2010-09-17 17:41:29 | 日記・エッセイ・コラム

2010_09120009_2 二ヶ月ほど前になるのだが

我が家の猫「ミーシャ」が

天国へ旅立った。

しばらくの間、行方が判らなくなり

家族で心配をしていたのだが

庭木の下で遺体となって発見された。

木の周りにはミョウガやアジサイが

茂っており長い間、発見される事なく

たった一人ぼっちで天国へと続く階段を駆け昇って行ったのである。

食欲が無かった訳でもなく、別段体調が優れぬ様子も見せなかったのだが

年齢のせいもあり、この夏は特に痩せた感があったのだが

まさか「命」にかかわるほどの事とは誰もが思ってもいなかったのである。

日中は家の中にひと時もいなかったせいで、

熱中症にでもなってしまったのだろうか、他に思い当たる事がないのだ。

2010_06270041

元々、人との関わりを

好まない猫だったので

心を許す人間は限られていたのだが

まさか本当に最後まで

一人ぼっちで逝ってしまうとは・・・。

せめて天国では

一緒に生まれていた兄弟と

そして、あなたを産んでくれた母猫と

仲良く暮らしてくれたら良いと願うばかりだ。

そんな「ミーシャ」と初めての出会ったのは、私のホームコースである

「別府沼公園」の駐車場であった。

子供達が3匹の子猫を抱いて騒いでいた。

何事かと遠巻きに様子を見ていると、どうも捨て猫の貰い手を

捜しているようだった。

たまたま猫を欲しがっていた私の子供達のためにと、3匹のうちの1匹を

我が家で貰い受けようと思い、その3匹のうちで一番元気で

毛並みのよさそうな猫を連れて帰ろうと、自宅に応援の電話を入れた。

喜び勇んで私の子供達が公園に到着。

しかし、私の選んだ毛並みの良い猫よりも、よりによって一番元気のない

そして、毛並みの悪い「ミーシャ」を連れて帰ると言い出したのだ。

結局、その子が「ミーシャ」と言う名を付けられ我が家の猫となった。

他の兄弟猫がどうなったかは不明であるが、おそらく多くの捨て猫が

たどるような不幸な生涯を送った可能性は大きい。

2010_08270011 そんな公園での出来事のせいか

「ミーシャ」は決して自宅敷地内から

外に出ようとはしなかった。

我が家の塀を乗り越え

散歩に出るようなことは

一度もなかったのである。

また、人の膝の上に乗る事も

殆どなく、お腹が空いた時と

家の外に出たい時だけ足元に擦り寄ってきたが、あとは全く一人ぼっちで

一日を過ごす事が多かった。

「犬は人に付き、猫は家に付く」とはよく言うが、

まさに「ミーシャ」はその猫の代表格のような猫だった。

悲しい別れではあったが、幸いにも私の家族の下でそれなりにではあるが

幸せな一生を過ごせたのではないかと、人間目線で勝手な言い分だが

私はそう思っている。

「ミーシャ」の冥福を祈り合掌。。。

2010_09120003_2 そして、つい先日

「ミーシャ」の後を継ぐ

子猫が我が家にやってきた。

しかしこれが偶然と言えば

偶然なのだが、

奇しくも「ミーシャ」が捨てられていた

同じ「別府沼公園」での出来事。

いつものように、

この公園で走ろうと思い、駐車場に車を置くと子猫らしき鳴き声が聞こえてきた。

その時は、「また捨て猫か・・・」とあまり気にも留めていなかった。

この時期は何処の公園にも捨て猫が多く、可愛そうではあるが

私の手に負える数の猫の数ではなく、どうしようもない。

2010_09160005 全くどんな人がどんな顔をして

子猫を置き去りにするのかと

ホントに腹立たしい事ではあるのだが、

その子達の「命」を守る事もできない私も、

実は同罪に近いのではないかと

いつも暗い気持ちになりながら

猫達が人を追う姿を、

全く興味がないようなそぶりをして

見守っていた。

そして走り終え、駐車場に戻っても依然子猫の泣き声が聞こえてくる。

その泣き声がまるで「ミーシャ」の泣く声のように・・・。

これは私だけが感じたのではなく、私の子供達もそう言っていた。

子猫なのにホントに「ミーシャ」にそっくりの泣き声だったのだ。

そんな泣き声を放っておける訳もなく、自宅にすぐに電話。

そして奥さんとメロンとで保護し我が家に連れ帰ってきた。

約2日間、「ミーシャ」と同じ泣き声でおびえていたこの子も

不思議な事に落ち着きを取り戻すうちに泣き声が「ミーシャ」の声ではなく、

本来のこの子の鳴き声となっていったのである。

これは「ミーシャ」の生まれ変わりか、それとも「助けてあげて」の

天からの声だったのか・・・、などとまさかな事を考えてしまう。

2010_09160007 また子のこのほかに

もう1匹の子猫(姉妹?)がいたのだが

茂みに隠れてしまい

どうしてもこの日には保護ができずにた。

翌日の夕方にもう一度メロンと共に

様子を見に行ったのだが

優しそうな若夫婦がやはり保護を試みていた。

その翌日からは全く子猫の気配を

感じなくなっていた事から、その若夫婦に無事保護されたのだろう。

今回はこうしてこの子猫たちの命は守られた。

しかしどれだけの猫の、そして犬や他のペットと呼ばれる動物達の「命」が

いとも簡単に捨てられることか。

人間が一時の興味本位でこの子達の「命」を軽く操って良いわけがない。

だからと言って私にできる事など何一つもなく、

ただただ危うげな「命」がどうか助かるようにと、願う事しかできないのが

正直なところでもあるのだ。

そんな私に、もう一度「命」について本気で考えなさいと

天国の「ミーシャ」が教えてくれたような気がした。

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創作 「移住計画」 その2

2010-09-07 19:51:39 | 日記・エッセイ・コラム

75 今年の夏は、随分暑かった。

いくら大地の端っこであっても

北のこの土地であるから

関東地方や中部地方のような暑さは

ここにはない。

爽やかな暑さとでも言うのだろう。

湿度はかなり少なく、

一旦日陰に入れば何はなくとも

暑さだけはしのげる。

海に囲まれたこの街であるから、海風も心地よく冷房機などは

殆ど使用する事もないような、そんな季候でもある。

我が家のある町は、観光シーズンの今はかなり賑やかではあるが

本来は静かな港町、漁港の町であり、この季節の夜ともなれば

26 イカ釣り舟の漁火が心を打つような

美しさを眼下の海に映し出し、

ホントにこの地に移り住んで

良かったと思えるひと時を見せてくれ、

そして涼しい風に吹かれながら

薄暗くなった小高い丘の散歩道を

妻と歩く毎日なのである。

しかし、そうそう良いことばかりではない。

冬になればいくら千島海流の影響で内陸に比べればかなり暖かな気候とはいえ

ここも北の台地のはしくれ。

氷点下10℃を超えることもあれば、雪も降る。

寒さに極端に弱い私にとっては、その寒さの中の外出は

拷問に近い苦痛でもある。

公共の交通機関となるこの時代には珍しい路面電車に乗るのも

186 寒風吹き叫ぶ中を

長い時間待たなければならない。

地元の方達は慣れているのだろうが

私にはどうにも我慢しきれず

やはり、以前住んでいた

関東に必需品だった車を

ここでも頼りにしなければならない。

年齢と共に判断力や反射神経に

衰えを感じつつある今、なるべくならさまざまな危険を伴う運転は

避けたいのだが、ここで生活を続ける以上、それは仕方のない事だと

慣れない雪道に細心の注意を払って、食料品の調達に

妻と少し離れたスーパーなどに出かける毎日なのである。

また、以前はコタツだけである程度の寒さはしのげていた

関東での暮らしであったが、ここではそんな訳にはいかない。

部屋全体を暖めなくっては生活する為の行動が取れないのだ。

それがホントの冬と言う事。

言い換えれば、それがこの地の本当の生活といって良いとも言える。

19 寒さに震え、縮こまっていては

生きてはいけぬ強さ。

静粛の中にも活気ある

人々の生活を目の当たりにできる

この地は私にとっては

言わば憧れの地というよりも

憧れに等しい人間の住む土地と言って良い。

また、昔の事ではあるが

一度観光としてこの地を訪れ、そして内陸に向かう道中に目にした風景が

忘れられない。

寂れた単線に古びたディーゼル機関車が一両、人間の気配のしない、

元は牧場であったろう建屋の傍らを汽笛をあげ走り去ってゆく。

そんな光景が、映画やテレビドラマのひとコマのように実際の映像として

この目に焼き付けていった。

その事に感動したのではなく、これがこの地の現実なのだと

訴えかけられたかのような衝撃を受けたのである。

2_2 華やかな観光地の裏側で

全てを受け入れない厳しさを

現実の形として見せ付けられた

この地にどうしても住みたいと

思ったのである。

いくらこの地方では

大型都市の部類であったとしても

関東のその至便性の良さには程遠いこの地。

厳しさと優しさと強さを見せてくれる町。

それはたとえ苦手な氷点下の冬であっても、

居心地の良さを心の底から感じさせてくれるそんな土地なのである。

今日も妻はその不便さを嘆いているが、そこには笑顔がいつもある。

不便だからこそ感じる幸せもあるということもこの土地は教えてくれた。

「函館」、それは私にとって心の安住の町でもあるのだ。

(写真は函館市HPよりお借りしました。)

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