必ずと言ってよいほど
花や植物の写真が登場する。
その花なども花屋の中央で
可憐な姿を見せる
ランなどの派手な花ではなく
何処にも咲いていて、庭先や
公園の花壇、道端で見かける花ばかり。
中には雑草と呼ばれる花も少なくない。
こうした写真を使うようになったのは、それなりの理由があるのだが
今回はその事よりももっと衝撃的かつ感動的な出来事が起きており
その事を紹介しようと思う。
今、話題となっている
「借り暮らしのアリエッティ×
種田陽平展」に妻とメロンとで
出かけた。
この催し物は東京都木場にある
「東京都現代美術館」で開催されており、
数々の映画の美術監督を務めた
種田陽平氏とスタジオジブリとのコラボで企画され
映画「借り暮らしのアリエッティ」の原寸大に拡大された現物のセットの中を、
アリエッティと同じ大きさになったつもりで、その部屋や庭などを見て歩き
大人も子供も一緒に楽しめるというとてもユニークな展示であった。
小人になった見学者に迫るものは巨大化された植物や
人間サイズに拡大されたジブリ特有のアンティーク調の調度品であり、
その中にあるアリエッティが書いた可愛い落書きや、
昆虫たちも迎えてくれるのであった。
実はそのアリエッティの部屋のメインである植物等の制作を手がけていたのが
私の知り合いである「コサージュウーマン」さんなのだ。
(HPはこちらから)
現在超有名ブランドのお仕事に着手しているらしく
こまめにHPを覗いていると凄い場面の紹介に出くわすかも。。。
(写真はコサージュウーマンさんからいただいたコサージュの数々)
普段は
女性の
胸元を
飾る
コサージュ
の制作をお仕事としているこの方、実はホントに凄い「芸術家」さんでありながら
家事も立派にこなし、趣味でエッセイなども手がけていて、
いたる所でマルチな才能を発揮なさっている、とても魅力的な女性なのである。
私が何故このような方とお知り合いになれ、
そして今も尚良きお付き合いをさせていただけているのか、
未だもって自分でも不思議であり、それでいて嬉しく思えて仕方ないのだ。
そんなコサージュウーマンさんから、今回の展覧会のチケットが
送られてきてビックリ、更にその制作に関わったとお聞き
驚きと言うよりもなんだか誇らしい気持ちになってしまった。
私の知り合いの方が、あのジブリと。。。なのだ。
それはジブリファンの自分としてとてはとても嬉しく天にも登る思い。
開催に合わせてすぐにでも出向きたいところだったのだが
運悪く(?)ちょうど封切りにあわせるように母親が退院してきた為、
約1ヵ月の間、どうしても時間がとれず、盛んにテレビ等で紹介されていたのを
指をくわえて見ているだけの日々が続いていた。
送ってくださった図録や
製作途中の写真などを
毎日眺めては心躍らせ、
何かと暗くなりがちな毎日に
明るい日差しを見せてくれていたのである。
そしてこの頃では、なんとか半日ぐらいは
時間を取れるようになり
留守を念のため二路に任せ、いそいそと出かけられる喜びをかみ締めながら
その美術館のある東京都木場へと出発したのだった。
慣れない地下鉄の東京での道筋ではあったがなんとか無事到着。
コサージュウーマンさんと
現地で待ち合わせすることに。
しかしそこには、
なんと2時間待ちほどの
大盛況のその列ができており
その中に並んでいて下さった
そのお気使いには
さすがに恐縮してしまった。
また、ご主人様やご子息様(ランナーさんです。実はそんな縁で)まで
会場にいらしてくれ、みなさんとの楽しい会話とで、そんな待ち時間も
決して苦にはならなず、かえって退屈になりながちなその時間を
楽しいとも感じていた。
さて、肝心なその展示についてなのだが、当のコサージュウーマンさんにとっては
多少不満の残るものとなってしまっていたらしい。
ともかく時間がなく、それはこの展示に関わる全てのスタッフさん、
作り手さんのみなさんに言えることだと説明を受けたのだが、
しかし素人の私には全くそんな感じは受けなかった。
長い行列の中にいる方々の溢れる笑顔に加え、
場内にいる全ての人が夢を見ているかのような眼差しで
展示の隅々まで、時にはそれを手に取り、そして顔をそこまでかと言うほど
近づけ見入ってる。
「夢を与える仕事」がその展示の何もかもを語っていたのだ。
もちろんコサージュウーマンさんの手がけた植物の出来は
すばらしいの一言であり、そのひとつひとつがその空間に完全に溶け込んでおり
その色彩と言ったら芸術のオーラを思いっきり放っていた。
最大の象徴である「麦」。
これは粒の全てを型でおこし
その上に染色を施した布をかぶせ
そしてワイヤー等でかたどり
そうして作られているとの説明に驚き、
その細かな造りに息をのむ。
以前、いただいたお手紙の中に
「生きているものを作る者は、その物の温度を大切にしなければいけない・・・」
と言うようなお言葉を思い出していた。
植物の温度・・・。
はて、今まで私が写してきた植物の写真に温度を感じ取れるものが
あっただろうか。
違った分野であっても「作る・造る・創る・つくる」に違いはない。
「花は美しいのだから誰が写しても綺麗に撮れて当たり前」だと思っていた。
心の目で生命の息吹を感じ、肌でその温度を感じ取る。
それが出来てこそ本当の植物に出会えるのではないのか。
枯れ葉も存在する。
美しいと見られるその花には
そうした全てのパーツが
あってこその生命だろうし、
醜いものを隠して写した写真は
果たしてその花の美しさの
全てを映し出す事ができているのかと。
穴の開いた葉も茶色く変色しかけた葉も全て美しいと思える目と心。
緑をただの緑として感じるのではなく、緑の温度を感じなくてはいけない。
植物の強さ、しなやかさ、直向さこそが植物であり温度なのかとも思う。
そうして造られたコサージュウーマンさんの作品はその部屋の中では
不思議な事に決して目立つ存在ではなかった。
ひとつひとつを見ると物凄く緻密な造りで、迫力さえも感じていた
そんな作品にもかかわらずにである。
それはそのセットの中に溶け込んでいたと言う表現よりも、
そのセット自体をその植物達が飲み込んでいたとも思えた。
変な例えだが、大きな鯨のお腹の中にいれば鯨の姿が見えぬように
いくら綺麗で可愛いベッドがあろうと、巨大な人間サイズの調度品があろうとも
全てがそこにある植物の中にある。
それこそが、実はジブリ作品の最大の特徴であり、
「ナウシカ」しかり、「ラピュタ」しかり、そして「トトロ」しかりなのだと。
出口にあるアリエッティの庭にも他の制作会社さんが手がけた植物が
整然と並んでいた。
塗装を施したものらしい。
それまで床下のその部屋の
薄暗ささから抜け出て
パッと光がさしたかのような
ライティングと
その制作物の大きさに
一瞬息をのむのだが、
それまでの植物とは何かが違っていた。
そこにある全ての植物のひとつひとつが強く自分を主張をしており、
出口付近までの十数メートルはあるであろうか、
そこまでの間に何とも言えぬ強烈なインパクトのお土産をもたせる、なのだ。
溶け込んだ優しい色彩に対比した強い色彩のインパクトという事を
意識しての事なのだろうか。
しかし、実際に心に残っているものは溶け込んだ「麦」であり「アザミ」であり
「シロツメクサ」や「オニタビラコ」なのだ。
それは確かに説明を受けていたからなのかもしれないし、
事前の制作途中の様子を知っていたかもしれないのだが、
色彩の妙はそう簡単に心から出て行くものではないとも思った。
そう、心を暖かさと言う色に染色されたような・・・。
これは決してお世辞ではなく、心からの素直な気持ちであると理解して欲しい。
こうして夢と感動を与えてくれた
「借り暮らしのアリエッティ×種田陽平展」
実にさまざまな驚きと共に、すばらしい技術と感動を目の当たりにする事ができ
妻もメロンも、もちろん私にとっても、とても有意義なこの日となったのである。
こんなすばらしい機会を与えてくださったコサージュウーマンさん、そして御家族に
改めて心より感謝のことばを。
~ ありがとうございました~