5年ぶり。
フルマラソン、「かすみがうらマラソン」を走ってきた。
予報の天気は曇り、ひょっとしたら雨が降るかもという微妙な空模様。
スタート前、ポツリポツリと雨粒が落ちてきて、このまま降り続けたら出走を止めようと思っていた。
と言うか、最初から走り切れる自信はまったくなかった。
思い返せば去年の3月。
無理をして走った激坂の「高碕Cityはるな梅マラソン」で痛めた膝裏の痛みが1年を過ぎても回復せず、今を持ってもずっと続いていた。
それに付け加え、前戦「行田鉄剣マラソン」の時に発症した貧血。
本当に無理をしたらそのままマラソンゴールではなく虹の階段を昇りつめてしまうことになると本気で思った。
”走らない言い訳”、それを探すのに当日の朝どころか、会場にいてもそれだけしか考えていなかった。
しかし、周りに言ってしまった以上、走らない訳もいかない。
まったくそれに向けた練習もせず、年が明けてから予定していた3本のハーフマラソンのうち1本はDNS、そしてフラフラになりながら走り切った鉄剣マラソン。
長い距離を走ったと言えばこの膝裏痛をもっと悪化させてしまった今年のはるな梅マラソンだけだった。
月間走行距離は毎月100kmにも満たない。
過去の経験値だけで走ってると言っても決して言い過ぎではない。
それ程走っていない。
それでフルマラソンを走るとは自分で思い返しても”お笑い種”だ。

では、何故にエントリーをしたのか。
”引退レース”
もう、これでフルマラソンは止めよう。
今の生活パターンじゃとてもじゃないがフルを走るだけの練習時間が取れない。
ハーフでさえいっぱいいっぱいと言ったところだ。
いや、ハーフでもそれなりのタイムを望むのなら間違いなくその練習量は不足している。
”生涯ランナー”を目標に掲げている以上は走る。
走るが、それも生活あっての趣味でもある訳で、華麗と共にすべての仕事が時間がかかるようになれば削られていくのは走る時間だ。
その時間の無い中で、更に様々な疲労の蓄積と消失するモチベーション。
”もう無理だ”
だけど、もう一度だけフルを走ろう、そうしてその見た世界を思い出にする。
そう思って選んだのが今回の「かすみがうらマラソン」でもあった。
その結果は・・・。

サブ4ペースで25kmまでは何とか6分を切るタイムで走れていた。
ハーフを過ぎて向かい風から追い風に変わり、さてこれからと言う時に懸案の膝裏にピキッと痛みが走り力が抜けた。
ああ、、、ヤバい、このまま走ったらゴールまでたどり着かない。
そんな危機感から傷む右足をかばい、おかしなバランスのまま1km程を走った時点で左足が攣った。
そこからはもう歩きが入る。
周りを見るとコース脇で激しく嘔吐するランナー。
コース上に倒れ込んで身動きできないランナー。
そして今まで見たこともないほど多くのランナーが歩いている。
まさに地獄絵図。
すべては気温の上昇、それがこの惨状の原因でもあるのではないか。
自分はと言えば、右膝裏の痛みと左足の痙攣に苦しみながらもゴールを目指す。
何度も何度も止めよう、収容車を待とうとそのタイミングを探していた。
しかし、”これが最後だ”その思いが動かないはずの足に力を与える。
残り2、1kmになっても、ちょっと走ればバキッと攣る左足。
脂汗が流れるほど痛む右膝。
それでもゴールが見えた時、”ああ、、、フルマラソンを走りだしてもう20年か、、、よく頑張ったなぁ”
そう思った瞬間、ゴールゲートが歪み涙をこぼしそうになった。
時間は4時間50分程。

最後に来て最悪のタイムだが、一歩一歩かみしめながらの42kmは決して無駄ではなかったと思う。
あの時のあのレースはこうだった、、、あのレースは最後まで楽しかった、、、そんな思い出が次から次へと流れてくる。
ああ、、、終わった。
帰りの車中、痛む膝をさすりながら悔しさとも安堵感とも違う何かが胸いっぱいに広がっていた。
もしも、もしもこの先フルを走る羽目になったとしても、もう記録はどうでも良いと思う。
走る喜びだけを感じられればそれでいい。
必死に走ってきた20年。
今度は何年になるのか分からないが、楽しく走った〇〇年。にしたい。
フルマラソン、「かすみがうらマラソン」を走ってきた。
予報の天気は曇り、ひょっとしたら雨が降るかもという微妙な空模様。
スタート前、ポツリポツリと雨粒が落ちてきて、このまま降り続けたら出走を止めようと思っていた。
と言うか、最初から走り切れる自信はまったくなかった。
思い返せば去年の3月。
無理をして走った激坂の「高碕Cityはるな梅マラソン」で痛めた膝裏の痛みが1年を過ぎても回復せず、今を持ってもずっと続いていた。
それに付け加え、前戦「行田鉄剣マラソン」の時に発症した貧血。
本当に無理をしたらそのままマラソンゴールではなく虹の階段を昇りつめてしまうことになると本気で思った。
”走らない言い訳”、それを探すのに当日の朝どころか、会場にいてもそれだけしか考えていなかった。
しかし、周りに言ってしまった以上、走らない訳もいかない。
まったくそれに向けた練習もせず、年が明けてから予定していた3本のハーフマラソンのうち1本はDNS、そしてフラフラになりながら走り切った鉄剣マラソン。
長い距離を走ったと言えばこの膝裏痛をもっと悪化させてしまった今年のはるな梅マラソンだけだった。
月間走行距離は毎月100kmにも満たない。
過去の経験値だけで走ってると言っても決して言い過ぎではない。
それ程走っていない。
それでフルマラソンを走るとは自分で思い返しても”お笑い種”だ。

では、何故にエントリーをしたのか。
”引退レース”
もう、これでフルマラソンは止めよう。
今の生活パターンじゃとてもじゃないがフルを走るだけの練習時間が取れない。
ハーフでさえいっぱいいっぱいと言ったところだ。
いや、ハーフでもそれなりのタイムを望むのなら間違いなくその練習量は不足している。
”生涯ランナー”を目標に掲げている以上は走る。
走るが、それも生活あっての趣味でもある訳で、華麗と共にすべての仕事が時間がかかるようになれば削られていくのは走る時間だ。
その時間の無い中で、更に様々な疲労の蓄積と消失するモチベーション。
”もう無理だ”
だけど、もう一度だけフルを走ろう、そうしてその見た世界を思い出にする。
そう思って選んだのが今回の「かすみがうらマラソン」でもあった。
その結果は・・・。

サブ4ペースで25kmまでは何とか6分を切るタイムで走れていた。
ハーフを過ぎて向かい風から追い風に変わり、さてこれからと言う時に懸案の膝裏にピキッと痛みが走り力が抜けた。
ああ、、、ヤバい、このまま走ったらゴールまでたどり着かない。
そんな危機感から傷む右足をかばい、おかしなバランスのまま1km程を走った時点で左足が攣った。
そこからはもう歩きが入る。
周りを見るとコース脇で激しく嘔吐するランナー。
コース上に倒れ込んで身動きできないランナー。
そして今まで見たこともないほど多くのランナーが歩いている。
まさに地獄絵図。
すべては気温の上昇、それがこの惨状の原因でもあるのではないか。
自分はと言えば、右膝裏の痛みと左足の痙攣に苦しみながらもゴールを目指す。
何度も何度も止めよう、収容車を待とうとそのタイミングを探していた。
しかし、”これが最後だ”その思いが動かないはずの足に力を与える。
残り2、1kmになっても、ちょっと走ればバキッと攣る左足。
脂汗が流れるほど痛む右膝。
それでもゴールが見えた時、”ああ、、、フルマラソンを走りだしてもう20年か、、、よく頑張ったなぁ”
そう思った瞬間、ゴールゲートが歪み涙をこぼしそうになった。
時間は4時間50分程。

最後に来て最悪のタイムだが、一歩一歩かみしめながらの42kmは決して無駄ではなかったと思う。
あの時のあのレースはこうだった、、、あのレースは最後まで楽しかった、、、そんな思い出が次から次へと流れてくる。
ああ、、、終わった。
帰りの車中、痛む膝をさすりながら悔しさとも安堵感とも違う何かが胸いっぱいに広がっていた。
もしも、もしもこの先フルを走る羽目になったとしても、もう記録はどうでも良いと思う。
走る喜びだけを感じられればそれでいい。
必死に走ってきた20年。
今度は何年になるのか分からないが、楽しく走った〇〇年。にしたい。