風をうけて vol.3

お引越ししてまいりました。
拙いブログですがよろしくお願いします。

「雨の記念日」

2010-04-22 18:37:43 | 日記・エッセイ・コラム

2010_04030046_2 明日、20数回目の結婚記念日を迎える。

そういえば、結婚式の当日も

今日のような雨が降っていた。

たぶん、この日からではないだろうか、

何かにつけ大事な行事がある時に限って

雨が降るようになったのは・・・。

しかし雨の日は決して嫌いではない。

むしろ好きな部類に入る。

たぶんそれは幼少の時から意識の中にインプットされてしまったものだろうと思う。

それはまだ私が3~5歳のころだったと思うのだが。

二人の姉が学校へ行っている間は農家を営む両親は当然畑に出ており

私はいつも一人で家にいた。

数十年も前には共働きの両親が留守の間に自分で自宅の鍵を開け

学校から帰宅する子供の事を「鍵っ子」と呼んでいたが

私の場合はそれよりも早い時期からそんな経験をしていたのである。

しかし雨の日には両親は畑に出る事はできず、一日中一緒にいられたのだ。

そんな子供の頃のささやかな幸せな時間が雨の日だったのだ。

2010_04220001  両親にしてみれば

久しぶりの休みで

普段の疲れを癒せる貴重な

時間だったのだろうが

我がまま放題の私に付きまとわれ

随分難儀をした事だろう。

今考えれば随分ひどいことをしてしまったなと。

雨と言うと、どうも暗くなりがちな

話になりがちなのだが、それでも私にとっては天からのプレゼント、

そんな嬉しい雨粒だったのだ。

そういえば、長女が誕生した日は雨というより大雪であった。

時期的にも真冬の日であったので、雨ではなく雪となったのだろうが

注意報が発令されるほどの大雪であった。

そんな娘も二十歳を超え、今日は不規則なシフトで仕事が二人とも

休みとなったこの日には多くの時間を共にした。

今は雨ではなく、仕事のシフトの関係で一緒の時間を過ごす親と子。

時代は変わったのである。

2010_04200004 雨、この家の上棟式も雨だった。

また、今年二人の子供が

卒業式を迎えたのだが

日は違う二人の卒業式も

両日とも雨の日であった。

やはりそんな雨での大切な行事は

今でも続行中であることは間違いない。

次の雨の降る行事は何になるのだろうか。

受験日? 入学式? 結婚式? 子供たちの旅立ちの日?

それとも私の定年退職?

考えたくは無いが人生の終止符を迎える日もそうなるのかなと。

来年、再来年、そして何年も先にも、こうしてこの結婚記念日を迎えるたびに

そして、窓の外の春の雨を見つめる度に思い出すのだろう。

2010_04030043 結婚記念日。

それは私にとって

雨の天気と

幸せな生活がスタートした

大事な記念日なのである。

口に出して言うのは恥ずかしいく

なかなかいえない言葉だが、

心の底から妻にはもちろんのこと、家族全員に「ありがとう」と、

言いたいと思う今日の日である。

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まずいと思いながらも「かすみがうらマラソン」を走ってきました。

2010-04-20 12:18:42 | マラソン

2010_04180025 もうこの「かすみがうらマラソン」の参加も

何度目になるのでしょうか。

おそらく、5回以上は走っているとは

思うのですが、年々大会の規模が

大きくなってきています。

確か、数年前までは全ての部を

合わせても1万にには満たないぐらいの

大会だったと記憶しているのですが今年はフルの部だけで1万4千人だとか。。。

ここまでくると他の大会でもそうなのですが、トイレの数が足りなくって

かなり長い時間並ばなくってはならなくなったり、

受付や駐車場に長蛇の列ができたりと、走る前から疲れきってしまうような事が

多くなりがちですが、今回のこの大会はとってもスムーズに運営がされており

やはりこの大会は良い大会だなと思わずにはいられませんでした。

2010_04180019 しかし、そんな大会の好印象とは裏腹に

この大会に臨む私の走りに対する

準備といったら。。。

全くフルを走れる体制を

整えていませんでした。

先月の走行距離は160km程。

今月になって慌てて走り出すも、

この大会の前日までに120km程とこれでフルを走るんかい!

って、自分でも呆れてしまうほどの意識のなさ。

それに付け加え、仕事上の都合とは言え殆ど睡眠無しで向かった会場では

既に気分が良くなく、不快感いっぱいでいつトイレに駆け込んでも

おかしくないような状態が維持されており、我ながらここまでしてまで走る意味が

あるのだろうかと、少し困惑ぎみでもありました。

2010_04180064 それでも、その場所に行けば

仲間が待っていてくれる、

楽しくその時間を過ごせる、

その一心で車を飛ばし高速を

ひた走るのですが

しかしその運転は眠気と戦いながらの

危険行為であり、仕方なく口に入れた

眠気覚ましの飲料は独特の風味であったとしても鼻をつまみ、

それをいっきに飲み干し気合一発!

既に辛抱のレースはそこから始まっていたのですね。

さて今回は、早い時間から甘党の陣地を確保していただいた為、

快適にスタート時間まで過ごす事ができました。

そこでご尽力いただいた焼きちゃん他、みなさんには本当に感謝の一言でした。

2010_04180009 そして今回もまた全く緊張感などなく

スタート地点に向かえたのは

そんなみなさんの心遣いからくるもので

私としてはそんな事がとても嬉しく

この大会をそこで終えたとしても

何の不満など無いくらい充実した

時間を過ごせたのです。

またそこには、計り知れない力満載の、そして無限のエネルギーが

お持ち帰り自由的なサービスを無償で受けられるのです。

どんなに調子が悪い日だとしても、そこに行けば何とかなる、

そして何事も無かったように走れちゃうような気にもなっちゃうんです。

こんなにすばらしい仲間に出会えた事を今でも感謝をするとともに

この時間、長野方面にいるモヘモヘとした顔が頭の中を駆け巡り

今日も走らなくっちゃと強く思い始めたと同時に、スタートの合図が

聞こえてきました。

人、人の波に押し出されるように今日もこうして戦いが始まったのです。

真っ青に晴れ渡った空の中に巨大な飛行船や、爆音を立てながら上空で

ランナーの姿を追うヘリコプターなどが見え、気分的には1万4千人の中の

オレが主役だとばかりに走り続けました。

2010_04180069 しかしその主役の自分も

準備不足でまだ台詞を

覚え切れていない役者。

それは役者というには

あまりに未熟で

演技を見せられるどころか沿道の

拍手に答えるのがやっと。

短い距離なら何とかごまかしの効く演技もすぐに化けの皮が

剥がれ落ちてしまうのは必至。

こんな事で舞台に上がってはいけないと強い反省が

心の底から湧き上がるのを感じずにはいられなかったのです。

それでも昨年の苦い思いを何とか打ち消そうとの頑張りで

途中痛めた両足を引きずりながらも立ち止まることなく

ゴールにたどり着けました。

昨年ほどではないにしろ、やはり今年もこの苦戦は予想は

されてはいたのですが、それでも最期まで頑張り通せたのは、

盛んに応援を下さったかすみがうら市民の皆様をはじめ

ボランテアの皆様、運営に携わる大会関係者の皆様のおかげだと、

心の底から感謝を申し上げたいと思っております。

また、苦しい時にこそ「仮装魂を!」と、激を飛ばしてくれていた

チェリー師匠にも感謝を申し上げたい。

ご指摘の通り、苦しい時にたくさん応援をいただけました。

折れそうな心をつなぎとめられたのは、やはり頭にかぶった

物のおかげでしたね。

本当にありがとう。

2010_04180068 それにしても少し疲れました。

今でも走る気は満々なのですが

あちこちに溜まった疲れを

少しの間ですが

抜いていこうと思っています。

そしてまた新たに走る力を、

からだにも心にも満たした時、

今度は今よりも少しだけバージョンアップさせていられたらとも思っています。

自分だけの中の感触で、具体的なことは言えませんが

何かを感じた。

足りないものが見つけられた。

そんな気がするのです。

2010_04190001 2010_04190002

それを身につけられるかどうかは、

さてさて。。。どうなることやら???

ですがね。

まあ、それも含めての楽しみでもあるのですから、

もしそれが失敗に終ったとしても

回り道をちょっとだけしちゃった位の感覚で楽しみたいと思っています。

全ては勉強、無駄な勉強なんて無いですよね。

また、そう信じていたいです。

2010_04180053_2 さて、今回の結果なのですが

オフィシャルタイム(グロス)

3時間49分59秒

プライベイトタイム(ネット)

3時間48分03秒

スプリット

~10km 54分20秒

~20km 51分30秒

~30km 51分29秒

~40km 59分19秒

でした。

大撃沈ではないですが、中撃沈ぐらいの出来でしたね。

まあ、今回はそんな状態で走ったので、このタイムでも結構納得は

できちゃいますね。

しかしゴール後、操作を誤り今までのラップを全部消しちゃったり、

帰り道を間違え、同乗の羽生さんに大変迷惑をかけてしまう大失態を

しでかしちゃった事はいかんですね。ゴメンね羽生さん。

やっぱり睡眠不足でのレースは控えねばいかんと反省し切りの一日でしたとさ、

チャンチャン♪

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「雑感」

2010-04-13 18:07:16 | 日記・エッセイ・コラム

2010_04130004 雨上がりの朝、いつもの公園へ行ってきた。

桜の花を散らした昨日の雨と冷たい風は

この時は全く感じることは無く、まるでそれが

うそだったかのように晴れ渡った

今日の天気。

汚れた空気が洗い流されたのか、

爽やかさをこの時期には珍しく感じる。

遠くに見える上越国境の山々の雪景色も、そう長くは見られないだろう。

今はもう4月も半ばなのだ。

2010_04130009 2010_04130010

いつもの赤城山が

「早くおいで」とその綺麗な姿で

手招きをしているようにも思えた。

気温はこの時間からうなぎのぼりに

上がっていく気配。

天気予報では20度を超えるとか言っていた。

全くこの頃の天気にはお手上げだ。

体調を崩さず何とかこの時期を乗り越えたいとは思ってはいるのだが・・・。

今週は夜勤。

先週までは春休みで家にウジョウジョいた子供たちも、それぞれ行くべきところへ

出かけていった。

やっとこうして静かな時間を過ごせるようになった。

テレビも何時間かは好きに見られるようになった。

30000000000230_l_3 久しぶりにDVDを借りてきてのんびり見ている。

殆どは見逃してしまった古い映画で

今頃かというものばかり。

そんな映画がレンタル屋さんへ行くと

たくさんあり、何を借りようかと相当迷いながら

借りてきたのが「ウォーリー」、「252」、

「三銃士」、それと子供用2本。

今、ウォーリーを見終えた。

これはいかにもディズニーらしい作品で、チャップリンの無声映画を

連想させせられた。

子供向けの幼稚なものなのだろうと期待はしていなかったのだが

これはこれですばらしい出来ではないかとも思えた。

肩のこらない感動というのだろうか、久しぶりに手をつなごうかと年甲斐も無く。

な~んて思ったりして・・・(笑)

2010_04130015_2 それにしても今日は心穏やかに

過ごせている。

そろそろ家族のものも一人二人と

帰宅し、またいつものような

賑やかな時間を迎えようとしているが

こうした一人静かな時間を過ごす事が

実は私にとってすごく大切で、

普段感じる疲労は身体のものからではなく精神的な物から

感じてしまうものが多いような気がする。

それは誰しもが感じることだろうが、みなそれぞれにその癒し方は違うのだろう。

私にとってははこの静かな時を映画と共に過ごすのが

一番のような気がしている。

どんなにつまらない映画だとしても、それはそれで十分その時間は

私の中で充実しているのだ。

映画ファンだと胸を張っていえない部分もあるのだが、やはり自分の中では

五本の指に入る好きな時間なのである。

そういえば、その好きな時間の五本の指の中の一本に、「山」の時間がある。

昨年はあまり登る事ができなかった「山」。

今年はそんな時間が多くとれたらと思っている。

高低とわず、どんな山でも山の中でできる限りの時間を過ごしたい。

2010_04130017 今日見た赤城山しかり

上越国境の山々しかりなのだ。

そうそう、ブログ友数名で

ヒマラヤの麓でエベレストを見上げながら

宴会をやろうとお約束した話。

私はその“夢”をまだ諦めてはいません。

6億円あれば夢はかなう。

早く呑みたいものですね、もう少し待っていてくだされ。

絶対に当てますから(笑)

まだ、参加を表明してない方、今からでも全然遅くはありません。

是非、参加の表明をしていおいてください、

6億当選の折には全ての費用を私もちという事で。

お待ちしておりますよ~♪

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時代は鎌倉 おじいちゃんの昔話「大里三銃士、ここに見参!」

2010-04-10 14:39:51 | 日記・エッセイ・コラム
2010_04080076 わしの話も
だいぶ佳境に入ってきたのう。
今回はわしの地元である
ここ、熊谷、深谷を舞台とした
お話じゃ。
この熊谷(妻沼、大里、江南を含む)や
深谷(川本、花園、岡部を含む)を以前は
その全体を「大里郡」と呼んでおった。
今でも大里地区といって、
教育現場じゃその言葉を使っておるな。
この土地は江戸の時代には中仙道の宿場町として栄え、
名高いお殿様はおらんかったようじゃな。
しかしな、もっと歴史をさかのぼると、これがとっても面白く興味深い
歴史あるんじゃ。
時は鎌倉時代。
先ずはこの唄を聞いて欲しい。
【一番】
秩父の峰の雪白く 名も荒川の風寒し 
ここ武蔵野の大里は 関東一の旗頭
直実公の ふるさとぞ
【詩吟】
一の谷のいくさ破れ 討たれし平家の 公達あわれ
暁寒き 須磨の嵐に 聞こえしはこれが 青葉の笛

【二番】
源平須磨の戦いに 花も恥じらう薄化粧
知勇兼備の将なれば 敦盛の首討ちかねて
無情の嵐 胸をかむ

【三番】
人生うたた五十年 夢まぼろしに似たるかな
今は栄位も何かせん あまねく人を救わんと
その名も 熊谷蓮生坊

【四番】
流れて早き年月に 武蔵野山河変わるとも
坂東武者のこころねは 我らが胸に今もなお
生きてぞ通う 直実節
この唄はこの地では有名な「直実節」というご当地ソングでな、数年前までは
学校の運動会や盆踊り大会なんかにゃ、欠かせない唄じゃったんじゃ。
     
      曲と振り付けはこちらをご参照くだされ。
2010_04080024の銅像がその「熊谷次郎直実」で
直実節の主人公であり
熊谷市を代表する
鎌倉時代の武将なのじゃ。
唄にもされるように
この土地の出身である直実は
偉人中の偉人。
熊谷駅の前に
ど~んとこのような形で
かまえておるのじゃ。
では、何故にここまで有名になったかというと、それはじゃな、
源平の戦いで直実は源頼朝の家臣、そして武将として一の谷の戦の際に
平清盛の甥、平径盛の子、平敦盛の首を討った事で有名なのだが
その事が重要なんじゃな。
当時十六、七歳であった敦盛は源氏に敗れ逃げ帰る途中、直実と鉢合わせ。
直実は敦盛の首を討ったのだが、あまりに若い敦盛を不憫に思い、そして悲しみ
形見の青葉の笛と首を父である径盛に届けさせたという逸話が
残っておるのじゃ。これを俗に言う「熊谷手紙」というそうじゃ。
2010_04080038 2010_04080041_2
その後、敦盛の七回忌を経て
この地に「熊谷寺(ゆうこくじ)」を
建立し、仏門に入ったそうじゃ。
この土地の名、熊谷市って言うのは
この熊谷寺からきたのかのう。
それにしても本当は心優しい直実も、
この時代の流れの中では、仕方なかった行いだったのじゃな。
真に悲しいお話じゃな。
この事は今でも歌舞伎となってそして、この直実節となって
今の時代にまで受け継がれているのじゃな。
この源平の合戦に翻弄された熊谷次郎直実じゃが
ここ大里にはもう二人の同じ時代に有名となった武将がおる。
その一人が妻沼出身の「斉藤実盛」
そしてもう一人が川本出身の「畠山重忠」
この二人は運命の糸に導かれたかのように偶然というのには
あまりに出来すぎたような非常に興味深い関係にあったのじゃ。
2010_04080070 実盛は源義賢に仕えておった
武将だったのじゃが、
その義賢が兄弟の源義朝の子、
義平に討たれてしまったのじゃ。
その後、実盛は平家に
仕えておったのじゃが、
義賢の遺児「駒王丸」を
助けて京へ送り届けた。
後に、駒王丸は「木曽義仲」となり
朝日将軍と呼ばれるようになったのじゃが、
くしくも、その木曽義仲の家臣に実盛は討たれてしまうのじゃ。
年老いて戦いに臨んだ実盛は白髪を黒く染め、勇敢に戦ったそうじゃが、
しかし討たれた首を洗い流すと白髪が現れ敵方の武将は改めて
その勇猛盛んな実盛の姿に息を呑んだそうじゃ。
その一方、木曽義仲の幼少時代の駒王丸を実盛に預けたのが畠山重忠の父
畠山重能だったのじゃ。
2010_04080051 その畠山重忠は
源頼朝に使え、優秀な武将として
名を挙げておった。
怪力の持ち主として
名を馳せていた重忠は、
馬を担いで峠を越えたとの
逸話も残っているそうじゃ。
ここで再び運命の糸が
激しく絡み合うのじゃよ。
木曽義仲と源頼朝の合戦では
義仲の愛妻、大刀と強弓の女武者である「巴御前」と重忠は
一戦交えておるのじゃ。
さすがの巴御前も怪力重忠にはかなわず、
逃げ帰ったとの事が書物に記されているそうじゃ。
簡単に言うとじゃな、斉藤実盛と畠山重忠(の、父親)に助けられた
木曽義仲が斉藤実盛を討ち、その木曽義仲は源頼朝(実質は義経)に
討たれる。その頼朝の子分に重忠がいて義仲の妻、巴御前と戦っておった。
木曽義仲、斉藤実盛、畠山重忠、そして源氏と平家。
まこと、この時代のめまぐるしい時の流れは難しいのじゃが
歴史の勉強としては面白い事になっているのもうなずけるじゃろう。
2010_04080078  さて、ここでもう一度直実節を思い出して
欲しい。
「ここ武蔵野の大里は関東一の旗頭・・・」
ここに住むわしらの先祖にはこ
れほどまでに悲しくもあり、しかし
名だたる武将のふるさととして
輝かしく成り立ってきたのじゃ。
そんな鎌倉の時代の亡者達に
恥じないよう、我々もしっかりと今の時代を
生きていかなければいかんのう。
「坂東武者のこころねは 我らが胸に今もなお 生きてぞ通う・・・」
なのじゃな。
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お寒い内容「行田鉄剣マラソン」を走ってきました。(ー_ー)!!

2010-04-05 19:26:42 | 日記・エッセイ・コラム

2010_04040012_2 天気予報のうそつき~!

寒くって仕方なかったよう~!

気温13℃ぐらいまで上がり

晴れの天気だと言っていたのに

結局殆ど晴れ間は無く

曇ったままのこの日、

いやいやながら(笑)

「行田市鉄剣マラソン」を走ってきました。

いつも言っているのですが、私は寒さに弱く、それだけでテンション思いっきり

下げ下げ状態で早朝に自宅を出発したのです。

いつもならこの大会が開催される時期には桜は満開、いや時には桜吹雪の中を

走るような大会であり、寒くって仕方ないなんて事は今まで経験した事が

無かったかもしれません。

それでも、スタートのちょっと前にちょっとだけ顔を出した太陽は

やはり暖かく、このまま晴れてしまえば相当気温も上がるだろと

半袖をチョイスしてしまった私がバカだったのかもしれませんね。

しかも、この日に限らず相当の時間を要し、しっかりアップをしなければ

まともに走れぬ事を分かっているくせに、なんやかんやと準備に手間取り

殆どアップをすることも無く、更にはトイレを済ませるにも時間がかかり

結局アップに失敗。

全く心肺に気合を入れられぬままのスタートとなったのです。

2010_04040003 そうなれば、最初の5kmぐらいは

キロ6分から5分30秒ぐらいが

関の山。

呼吸の苦しさで走れぬなんて

なんとももどかしく。。。

でも、走れないものは走れない。

どんどん先を行くランナーの列を

いつものように眺めているしか無いのです。

悔しくっても、情けなくっても

それが今の実力なんだからと・・・。

しかし、この日はちょっと違いました。

ねぎさん、Rinkoさんとしばらくご一緒していただきました。

特に、ねぎさんとは約4kmほど並走し、ああしよう、こうしようなどと

全く説得力のないマラソン談義などに花を咲かせてしまいました。

そうこうしている間に心肺のほうも程よく“切れ”てきて、呼吸も

安定してきたのです。

2010_04030006 こういう感覚は時々

熊谷スポーツ文化公園で

モル会長とのお話ランでの

感覚に良く似ており、

話す事で最初は呼吸が

普通以上に苦しく

それでいても、

いつの間にか最初よりずっと楽になってくる。

話す事で、肺や気管がリラックスしてくると言った感じかな。

いつもなら5kmはゆうにかかるその距離も、この日はそんな効果か

4kmを迎えたころにはすっかり良くなっていました。

そんな感触を得て、申し訳なく思いながらねぎさんと別れ、

スピードを上げていったのです。

しかし今までまったりと走っていたので、そう簡単にはスピードも

思ったようには上がりません。

5kmのラップも取り損ねており、全くペースもつかめないまま

6km地点で30分はゆうに過ぎていたと思います。

しかし前を走るランナーと私との間隔が次々と狭まりそして交わして行く。

確かにスピードが上がっている事は間違いないようです。

その先の大まかな1kmのラップはざっと4分20~30秒ぐらいの

感じで走りぬけ10kmを迎えました。

ここまでが49分ぐらい。かっ~、おっそ~い!

単純にこれを2倍すると98分プラス約1kmの時間。

要するに1時間40分を切る事はできないとの結論。

衝撃を受けたこのラップに刺激され、ここからいまだかつて無い

スピードでの追い上げが始まったのです。

4分15秒、4分10秒と次々とヤバイラップを重ねていきます。

2010_04040067 で、10~20kmが42分ぐらい。

さすがにラストの2~3kmは

向かい風もあり

だいぶたれてきたけど

納得の10kmでしたね。

しぶとく古墳公園辺りから

ついてきたおっさんも最期には

息絶えたようで(笑)

消え去ったし、

気持ちよくゴールする事ができました。

2010_04040001_3

2010_04040002_2 ゴールタイム

1時間36分56秒

タイム的には

ダメダメの

結果でしたが

10km地点過ぎ

からゴールまでの

11kmは過去最高の出来だったんじゃないかと思えました。

そうそう、一緒にスタートし先を行ったハンドルママさんに

10km地点ぐらいだったでしょうか、やっと追いついたのですが、

何気にこの日の目標にもしていたんですよ、実は。

ねぎさんとのお話で、かなりの強敵だけど是非追いつきたいよね、って

話していたんです。ごめんなさいね。

本当はそこで少しお話などもしたかったのですが忙しかったので・・・(笑)。

だけどそれが私のスピードアップにもつながった訳で、

ホント今日はみなさんに感謝でしたよ。

それにしても、後半の走りが前半から続けられれば、夢の90分切りも

2010_04030014 あるかもしれない、今日の走り。

しかし、前半が超ゆっくりだったからこそ

後半走れたのは間違いはなく、

それ程は甘くないですよね。

それでもこれからの課題として、

とっても良い経験が

つめたような気がします。

内容的にはこの日の

天気のようにお寒い内容でも、

一筋の光、くもの糸がみえたような気がします。

くもの糸よ、夢がかなうまで何とか切れないでおくれ~(笑)

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