「男たちの大和」の試写会を観てきました。
当時の科学と軍事力の粋を集めて建造された超弩級の軍艦でありながら、ほとんど戦果を上げることなく、海のもくずと化した大和。
しかしそこから松本零士の「宇宙戦艦ヤマト」も生まれたように、何故か我々のロマンをかき立てます。
ちょうど先日、NHKの「そのとき歴史は動いた」で、浮沈艦大和が何故沈没したのかという番組をやっていました。
当時はすでに戦闘機を中心とした空中戦の時代に移っており、大和は敵戦闘機の集中砲火を浴びて、あえなく撃沈したのでした。
高速で空を飛び交う戦闘機に囲まれては、小島のような大和は格好の餌食。
左舷だけに集中的に魚雷を撃ち込まれ、浸水して傾いた巨大な船体を修復することができませんでした。
もはや時代遅れのでくのぼうという印象でした。
映画によると、戦況悪化してきたなか、大和は戦意を鼓舞するための特攻隊作戦のさきがけとして、沖縄へ向かいます。
援護する味方戦闘機を一機も連れず、燃料も片道だけという、正に死ぬための出陣です。
全員二度と故郷の土を踏むことはないという覚悟でした。
敵機を前に機銃兵は防弾壁もなく、銃弾の嵐のなかで丸裸同然、次々と血しぶきを上げて倒れていきます。
映画の戦闘シーンを観ると、いつも戦争の無残さ、空しさを感じます。
沈没のシーンは「タイタニック」には大分及ばないものの、迫るものはありました。
3000人以上の命が海の底深くに沈み、味方の駆逐艦に救助されたのは270名ほどでした。
この映画では戦闘シーンよりも、個々の登場人物たちの家族や恋人との愛情と別れを中心に描きます。
戦争の犠牲は常に弱い人たちということです。
クレジットタイトルのあとに、「彼らが守ろうとした日本に、私たちはいま生きている」という内容の、ちょっと取ってつけたようなテロップが出るのですが、それは確かにそうなので、心に銘じたいことだと思います。
(続く)