(前の記事からの続き)
脳死判定後に、 患者が 両手を体の前で 大きく交差するように 動かしたり、
背中が反ったりする 「ラザロ徴候」 というものがあります。
全く自発的で 激しい動きもあり、 一般人が見ると
およそ “死んでいる” とは思えません。
僕も 初めてその映像を見たとき、 とても信じられませんでした。
ラザロ徴候は 脳が関与しない 脊髄反射だとも言われますが、
それだけでは 説明しきれないものがあるのです。
脳死判定がなされても、
脳幹が生きている 可能性が否定できない という例もあります。
しかも こういう現象があるという 情報は、 一般人を戸惑わせるとして、
80年代以降、 専門家の間で 隠されていたのです。
僕も最近まで 知りませんでした。
一部の専門家が 正しい情報を 一般に公開しないのは、
許されないことではないでしょうか。
また 脳死治療や人工呼吸器の 進歩に伴い、現在では 小児以外でも、
脳死判定後 年単位で生き続けた症例が いくつも出てきています。
脳死になれば 身体の統合作用が失われるという 仮説は、
通用しなくなってしまったのです。
このように、 脳死には 分かっていないことが まだ沢山あります。
それを考えても、 脳死を人の死と 規定してしまうのは危険でしょう。
脳死判定も、 どこまでいっても 完全無欠という基準はありません。
現在の判定基準も、
不可逆性 (脳細胞の死 = 脳血流の停止) を 見極めるのには
不充分であると、 立花隆の立場からは 批判されます。
医師の脳死判定が 不適切な場合もあるでしょう。
脳死が厳密に解明されず 議論が深められなかったり、
重大な情報が 隠されたり、
脳死・移植の 基本も知らない 議員によって人の 生死が左右されたり。
脳死で人は死んだと 一方的に決めてしまった 今回の法改正で、
現場はどうなるのか 非常に危惧されるものがあります。