「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

“大人” か “子供” か (1) -- 脱法行為の介護会社 (16)

2011年07月23日 21時42分15秒 | 介護帳
 
(前の記事からの続き)

 職場の仲間の人の中には、 上に反抗する僕を  “子供” だと言う人もいました。

(繰り返しますが、 お互い仲はいいのです。)

 上には好きに言わせておいて、

 こちらが “大人” になって、 黙っているほうがいいのだと。

 もっと 結果や利益を考えるのが “大人”、

 それを考えず 上を批判してしまうのは  “子供” という考えです。

 でも この “大人” という言葉には、

 ずるい, 回避, 長いものに巻かれる, 事なかれ主義, などの意味があります。

 我が身かわいさであり、 恐らく価値基準の中心が 

 「自分の損得」 なのではないでしょうか。

 けれど人間というのは、 自分の損得だけで 動くものではありません。

 人のためや社会のため、 正義や理想, 信念など、

 もっと大きなもの、 崇高なものためにも動きます。

 その結果 自分が不利益を被っても 構わないという時があります。

 僕も今回、 有給を出さないのは脱法行為だと 訴えたことによって、

 僕自身の有給は 確保することができました。

 上記の人は、 それでよかったのに、

 余計なことを言って クビを切られてしまうのは もったいない,

 無駄なことはしないのが  “大人” だと言います。

 しかし、 何も訴えないパートの人の 有給が支払われるのか、

 僕は放っておくことなど できるわけがありません。

 ここでやめてしまうのは、 自分さえよければ 他の人はどうなっても構わないという、

 エゴイズムにほかなりません。

 他の人の有給について 質問したことによって、

 その場で 雇い止めを通告されるなどとは 思ってもいませんでしたが、

 聞かないわけには とてもいきませんでした。

 「今から施設長に謝って 働かせてもらっては?」

 と言ってくれる スタッフもいましたが、 僕に謝る理由など 何ひとつありません。

 僕は 正しいことを言っているだけであり、

 100%間違ったことをしているだけなのは 向こうなのです。

 僕は自分のしたことに 後悔など微塵もありませんでした。

(次の記事に続く)
 
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