福島原発事故のため、 移動を余儀なくされた 特養の入所者が、
環境の激変に耐えられず、 3ヶ月で 826人のうち77人が、
次々と命を落としていきました。
施設関係者は 無念の思いを募らせています。
「要介護度の高い お年寄りが多く、 移動は危険。 私たちは町に残る」
原発から10キロ圏内にある 特養では、 事故発生の3月11日、
県の避難要請を 拒み続けました。
翌12日、 国の避難指示による バス3台で、
入所者70人を 移動させることになりました。
約1時間後、 隣町に着き、 車内で1時間ほど待たされた後、 村内の集会場へ。
畳に 座布団と毛布を敷きつめて 寝ましたが、
寝返りを打つと 隣の人とぶつかる狭さです。
体調の悪い 95才の女性のために、 物置部屋を個室にし、
看護婦が交替で看病しましたが、
女性は衰弱し、 14日昼過ぎに 息を引き取りました。
翌日深夜には、 98才の女性も亡くなりました。
施設長は、
「移動方法や避難先を もっと配慮してくれていたら。
悔やんでも悔やみきれない」 と 無念さをにじませました。
南相馬市の3つの特養では、 計229人が 3月19日に避難し始めました。
バスで横浜の施設まで 12時間近くかけて移動する途中、
80代の男性が心肺停止状態に。
AEDで命を取り留めたものの、 搬送先の病院で 翌日他界しました。
3施設の入所者は、 その後も 2次, 3次避難しましたが、
計23人が死亡しています。
その他の施設でも、 食事介助が必要な人が、 避難先で 食事を口から取れなくなり、
亡くなってしまいました。
少しでも環境が変わると、 高齢者にはストレスになるのです。
職員も被災して 充分な対応ができないケースもあり、
一番弱い人に しわ寄せがきています。
〔 読売新聞より 〕