「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

“大人” か “子供” か (2) -- 脱法行為の介護会社 (17)

2011年07月24日 21時03分33秒 | 介護帳
 
(前の記事からの続き)

 多くの人は、 悪いことは許したくないけれど、

 危ない橋を渡ってまで 訴えることはできないという、

 無念さや忸怩たる思いを 抱いているかもしれません。

 例えば、 最近話題になっている 古賀茂明氏 〔*注〕 のように、

 自分が地位を失ってでも 信念や正義を 通す人に対しては、

 賞賛・ 喝采するのが 世の中の大半の人々の 価値観です。

〔*注 : 古賀茂明 …… 経済産業省エリート官僚でありながら、

 天下り規制などの 制度改革を推進し、

 省庁や官僚の猛反対を招いて 退職を迫られる。

 しかし メディアを使って 政権や官僚を強く批判、

 著書 「日本中枢の崩壊」 は 大ベストセラーとなっている。〕

 自分の信条に従って、 自分の意思で、 自分の言動を選択し、

 そしてその結果は 自分の責任で引き受ける、

 それが 一人前の自分を持った、 真の 「大人」 でしょう。

 古賀氏のような 立派な 「大人」 によって、

 世の中は 変わっていくのではないでしょうか。

 そのような人物は、 社会や歴史の中で きら星のごとく存在しています。

 労働組合にしても、 労働運動をする人たちは 自分の目の前の 損得だけでなく、

 社会的な目を持って、 他の労働者たちのことも考え、 勇気ある行動をしています。

 周りの人からは、 無益なことはやめたほうがいいと 言われながら、

 頑張ってやってきた人も いるに違いありません。

 結果的に 権益を勝ち取ることもあれば、 敗北することもあるでしょう。

 けれど、 もし世の中に 労働運動をする人が 一人もいなかったとしたら、

 労働組合というものが 存在しなかったとしたら、

 社会の労働者は 一体どうなっているでしょう?

 経営者の独善が横行し、

 労働者は奴隷のように 搾取されているのではないでしょうか。

 多くの犠牲も払って 闘ってきた人たちのお陰で、

 現在の労働者の 権利や環境が獲得されてきました。

 闘わない多くの人たちは、 その恩恵にあずかっているのです。

 もちろん 自分の周りの 小さな幸せを求めて、

 それを守っていくというのも とても素晴らしい人生です。

 そういう多くの人たちの 営みによって、 社会は成り立っているのです。

(続く)
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする