「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

死刑回避の事情 (1) -- 光市母子殺害事件、 最高裁判決 (3)

2012年02月21日 19時50分31秒 | 光市母子殺害事件
 
 最高裁判決で反対意見を述べた 宮川光治裁判官は、 次のように言っています。

 「精神的成熟度が、 少なくとも18歳を相当程度 下回っていることが、

 証拠上認められるような場合は、

 『死刑の選択を 回避するに足りる、 特に酌量すべき事情』 が

 存在するとみることが相当である」

 「被告は12歳当時、 母親の自殺や 父親の暴力で、

 精神レベルが止まっているというのは 説得力がある」

 「 『少年司法運営に関する 国連最低基準規則 (北京ルールズ) 』 は、

 『死刑は、 少年が行なった どのような犯罪に対しても、 科してはならない』

 としている」

 「行為規範ができていない 少年の行為については、

 刑法的に非難することは 相当でなく、

 刑罰による改善効果も 威嚇 (犯罪防止) 効果も 期待できない」

「被告の人格形成や 精神の発達に、 何がどのように影響したのかや、

 犯行時の精神的成熟度について、 審理を尽くすべきだ。

 二審判決 (差し戻し審) は破棄しなければ、 著しく正義に反する」

 一方、 金築裁判長は、

 「精神状態が 18歳を下回っているかどうか、 客観的な基準や 調査方法はない」

 と述べましたが、 少年の未熟さを どのように判断するか、

 最高裁でも 意見が別れたことを物語っています。

 司法福祉論の野田正人教授は、 今回の判決について 下記のように述べます。

 「精神的な成熟が 遅れていたことに対して、 丁寧に吟味されていないなのが残念だ。

 虐待による人格形成への影響を、

 もっと 刑事裁判や少年審判の中で、 正当に評価していくべきだ。」

(次の記事に続く)

〔参考: 朝日新聞〕
 

神が与えた被害者 -- 光市母子殺害事件、 最高裁判決 (2)

2012年02月21日 00時16分38秒 | 光市母子殺害事件
 
(前の記事からの続き)

 第一審で無期懲役判決が出たとき、 本村さんは

 「被告を早く 社会に出してほしい。 私がこの手で殺す」

 と 公の記者会見で述べ、 人々に衝撃を与えました。

 参加していた記者たちは、 自分の家族に思いを馳せ、

 ぼろぼろ涙を流しながら メモを取っていたといいます。

 そして、 本村さんは自殺を考えたそうです。

 被害者が二人で 死刑にならないとしたら、 自分が3人目の犠牲者になれば、

 結果の重大性が 裁判官に伝わるのではないか、 そういう遺書を書いたというのです。

 (遺書を見た会社の人に、 本村さんは止められました。)

 悲憤と涙に打ち震えながら 訴えた本村さんの言葉は、 非常に強く胸を打つものです。

 「被害者だって 回復しなければいけないんです、 被害から。

 人を恨む、 憎む、 そういう気持ちを乗り越えて、 再び優しさを取り戻すためには、

 死ぬほどの努力をしなければならないんです」

 怒りに身を任せてしまうだけでなく、 その先にある 優しさのことまでを見据えた、

 深い人間性と、 その苦しみには、 計り知れないものを感じます。

 当時の小渕総理は、

 「無辜 (むこ=無実) の被害者への 法律的な救済がこのままでいいのか。

 本村さんの気持ちに 政治家として応えなければならない」 と 語りました。

 被害者の立場を見直し、 改善させてきた動きは、

 本村さんの存在なしには あり得ませんでした。

 法律の専門家でさえ、 自分自身が被害者遺族の立場になると、

 ガタガタになって まともな話ができなくなってしまうといいます。

 しかし、 素人でありながら本村さんは、 極めて冷静で論理的に、

 そして 深遠な人間的感情をたたえ、

 人の心に響く 言葉を発して、 司法を動かしてきました。

 犯罪被害者支援の黎明期にあって、 甚大な功績を担った 本村さんに対し、

 ある人が言った言葉を、 僕は忘れることができません。

 「神が与えた被害者。」

(次の記事に続く)

〔参考:フジテレビ「知りたがり!」〕