(前の記事からの続き)
この裁判を追い続け、 大月被告とも面会を重ねた ジャーナリスト門田氏によると、
今の被告は 反省をしているといいます。
最初の死刑判決が出たとき、 被告は
「胸のつかえが降りました……。
自分は無期懲役では 軽いと思ってました」 と 言ったそうです。
そして、
「殺めた命に対して、 死をもって償うのは 当たり前のこと」 と、
正に 本村さんが言っていたのと 全く同じ言葉を 口にしたのです。
教誨師 (きょうかいし) に出会って、
命の尊さを教えられたことも 大きいということです。
「自分は死んで償うべきか、 けれどもそれだけでいいのか。
自分は 本村さんに裁いてほしかった」 とも、
穏やかな目で、 優しく語り、 被告は変わってきたといっています。
遺族を甚だしく愚弄した 大月被告の手紙は、 人々の猛烈な反感を招き、
法廷での反省は 形だけだと非難されました。
けれどもその後 被告は、
「遺族をたびたび傷つけたことは 深く反省しないといけない」 と 話しています。
差し戻し後の08年、 26歳になった大月被告は、
事件当時と現在の認識を 次のように述べました。
「当時は自分中心で、 相手がどう感じるのか 度外視していた。
自分に向き合い、 弱さに気付いた」
差し戻し後の控訴審で 遺族の意見陳述については、
「胸に迫るものがあった」 と 語っています。
1回目の死刑判決後、 新聞記者に寄せた手紙があります。
「つらくないわけではない。
しかし、 ぼくよりつらい御立場 (遺族) が おられる以上、
ますます つつしみながらかんじゅし、 学ばせていただきたいとする気持ちも、
またまぎれもない事実です」
大月被告は、 09年には 次のように話しています。
「支えてくれたひとから いただいたものを胸に、
なぜ悪くなったのかを 見つめて改善する、 大きな人間になりたい。
判決が 自分に有利でも不利でも。
死刑でも、 そうでなくても」
2年ほど前から 支援者に頼んで、
母子の月命日に 犯行現場に花を 捧げてもらっているといいます。
(次の記事に続く)
〔参考: フジテレビ「知りたがり!」, 朝日新聞〕