「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

大月被告の反省 (1) -- 光市母子殺害事件、 最高裁判決 (5)

2012年02月23日 18時27分03秒 | 光市母子殺害事件
 
(前の記事からの続き)

 この裁判を追い続け、 大月被告とも面会を重ねた ジャーナリスト門田氏によると、

 今の被告は 反省をしているといいます。

 最初の死刑判決が出たとき、 被告は

 「胸のつかえが降りました……。

 自分は無期懲役では 軽いと思ってました」 と 言ったそうです。

 そして、

 「殺めた命に対して、 死をもって償うのは 当たり前のこと」 と、

 正に 本村さんが言っていたのと 全く同じ言葉を 口にしたのです。

 教誨師 (きょうかいし) に出会って、

 命の尊さを教えられたことも 大きいということです。

 「自分は死んで償うべきか、 けれどもそれだけでいいのか。

 自分は 本村さんに裁いてほしかった」 とも、

 穏やかな目で、 優しく語り、 被告は変わってきたといっています。

 遺族を甚だしく愚弄した 大月被告の手紙は、 人々の猛烈な反感を招き、

 法廷での反省は 形だけだと非難されました。

 けれどもその後 被告は、

 「遺族をたびたび傷つけたことは 深く反省しないといけない」 と 話しています。

 差し戻し後の08年、 26歳になった大月被告は、

 事件当時と現在の認識を 次のように述べました。

 「当時は自分中心で、 相手がどう感じるのか 度外視していた。

 自分に向き合い、 弱さに気付いた」

 差し戻し後の控訴審で 遺族の意見陳述については、

 「胸に迫るものがあった」 と 語っています。

 1回目の死刑判決後、 新聞記者に寄せた手紙があります。

 「つらくないわけではない。

 しかし、 ぼくよりつらい御立場 (遺族) が おられる以上、

 ますます つつしみながらかんじゅし、 学ばせていただきたいとする気持ちも、

 またまぎれもない事実です」

 大月被告は、 09年には 次のように話しています。

 「支えてくれたひとから いただいたものを胸に、

 なぜ悪くなったのかを 見つめて改善する、 大きな人間になりたい。

 判決が 自分に有利でも不利でも。

 死刑でも、 そうでなくても」

 2年ほど前から 支援者に頼んで、

 母子の月命日に 犯行現場に花を 捧げてもらっているといいます。

(次の記事に続く)

〔参考: フジテレビ「知りたがり!」, 朝日新聞〕
 
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