ネタは降る星の如く

とりとめもなく、2匹の愛猫(黒・勘九郎と黒白・七之助)やレシピなど日々の暮らしのあれこれを呟くブログ

アユカル先生、逝く

2008-02-08 18:56:33 | 日常
 今日、ロヨラハウスから電話で訃報の連絡をいただいた。昨日亡くなったそうだ。

E・アユカル氏死去 上智大名誉教授
 エンリケ・ルイス・アユカル氏(上智大名誉教授、イスパニア語)7日午後4時、肺炎のため東京都練馬区上石神井4の32の11の療養施設「ロヨラハウス」で死去、90歳。スペイン出身。葬儀・告別式は9日午後1時半から東京都千代田区麹町6の5の1、聖イグナチオ教会主聖堂で。喪主はロヨラハウス館長の理辺良保行(りべら・ほあん)氏。


 ここ何年かはおそらく読み書きはなさってなかったと思うが、年賀状の遣り取りだけは続けさせていただいた。

 今はどうか知らないが、私たちの世代にも「鬼のイスパ(イスパニア語学科=スペイン語学科)、地獄のロシア(ロシア語学科)」という表現が先輩たちから伝わっていて、私たちの世代ではさすがに「授業開始と同時に部屋に鍵がかけられた」とかいう風習はなくなってはいたが、確か語学の基礎クラスの授業時間は週4日あってみっちり鍛えられるのがイスパニア語学科の伝統だった。そのシンボルがアユカル先生だった。

 私たちは「アユカル・メソッド」と呼んでいたのだが、こんな感じ。たとえば「私は音楽が好きです」という構文「Me gusta la musica (musicaのuの上にアクセントマークが付く)」という文章を覚えるために、20人余りの生徒たちが順番に当てられて、この文章を組み替えていく。たとえば「音楽」が「スポーツ」になったり、疑問文になったり、否定文になったり、「私は~」が「マリア(女の名) は~」になったり、「好きです」という現在形から「好きでした」という過去形になったり。文法を理解していく毎にバリエーションは増えていくが、とにかく、3秒以内に答えられないと、次の人に当てられる言い換え訓練の繰り返し。答えられないからといって罰則があるわけではないが、クラスメートたちに答えられなかったから飛ばされるのを目撃されることが結構プレッシャーで、アユカル先生の授業はみな緊張感をもって受けていた。

 で、そのメソッドの効果だが、卒業してもう25年ほどになるのに、私は日常会話程度なら今でもスペイン語を話せる。その間に何回かスペイン語圏を旅行したことはあるが、継続して学習していたわけではない。だから、かなりの語彙が記憶から抜け落ちてしまっているのだが、英語でいうなら仮定法過去に当たる、婉曲な依頼や現実にないことを願う表現もしっかり覚えているし、たとえば「スペイン語を喋るのは難しい」という表現でも「自分にとっては上り坂」という慣用表現「se me hace cuesta abajo hablar el espanol (espanolのnの上に~マークが付く)」はたたき込まれているので忘れようがない。

 自分はこの会話訓練は英語にも使えると思う。日本人向けの英語トレーニングでは余り重視されていないようだが、基本の文型を覚えたら、とにかく喋る。同じことを繰り返すのではなく、主語や目的語を変えたりして、頭の中で翻訳するより早く、意味を理解してその言語で口が回るようにする。これがとても大事。

 中国から文化を輸入する時に書き文字中心で意味の解釈を議論してきた長い歴史が影響しているのか、中学高校の英語の先生が実用的な英会話でなく英文学の専攻だったりすることが影響しているのか、異なる言語の学習というのは、コンピュータでいうCPUの訓練なのかメモリの訓練なのかハードディスクの訓練なのかという方法論があまり実用的ではない。日本の中学高校の英語教育は、私の感覚ではハードディスクに英語のディレクトリをつくっていくようなものに感じる……それも、わざわざ、日本語のディレクトリから転送プログラムを介して飛んでいく感じ(汗)。

 だから、大学入試の時に自分なりにCPUやメモリを刺激する英語学習法を身につけた直後に、アユカル先生からアユカル・メソッドでスペイン語を教えられた時には、すごい衝撃だった。構文を変化させて口に出すだけだから、何か知的な能力を疑われているのかと違和感を感じた時期もあったけど、2年間の基礎教育が終わってみると、いちいち日本語をスペイン語に訳す手間なしにスペイン語が喋れる生徒たちができているのだから、その効果はめざましい。

 在日何十年という先生だけど、日本語はずっとたどたどしいままだった。ただ、独特のユーモア感覚があって、たどたどしい日本語をうまく使いながら、緊張感あるクラスの中で一度や二度は笑わせてくれた。

 スペイン語ができるからといって私のキャリアで収入が上がったわけでは、ない。でも、中南米の歴史や文化を知ることで、アムネスティ・インターナショナルという人権団体との関わりができた。スペイン内戦や中南米の革命と軍政と民主化という歴史を知ることで、いろいろなイデオロギーといろいろな民族の相克が表面化する現代史の複雑さを知った。スペイン語で歌われるフラメンコやアルゼンチンタンゴを始めとする歌や踊りの世界を知ることで、日本の文化とは違う男女のコミュニケーションのあり方と普遍性を持つ恋の葛藤を知ることができた。日本語以外に英語しか学んでなかったら得られなかったであろうことが、沢山あった……その世界を開いてくれたのはアユカル先生のおかげ。

 ありがとうございました、アユカル先生。イエズス会の方である以上はカトリックの世界で穏やかに昇天されたであろうことは疑いもありませんが、どうぞ、安らかに。

☆★☆★

 そして、つくづく思うのは、イエズス会という組織の凄さだ。

 日本人でも老後はスペインとかタイとかインドネシアで過ごすという人生設計を実行されている方もいると思うが、経済的な問題や医学上の問題に加えて老化するとコミュニケーションに不安があったり望郷の念が生まれてきたりいろいろあると思う。経済的に安い外国で過ごしたいと思っても、言葉が通じないということで結局は日本に戻ってこざるを得なかったりする。

 でもイエズス会は、使命のある場所に療養地を作って、そこで看取るんだなぁと。逆にいえば、出身地に帰さないという言い方になるのかも知れない。それって、布教の精神にもとづくものなのだろうか……この教えを広めるためには異国で果てることも辞さないという強い思いを組織化すると、こういう形に収まるのか。

 イエズス会を理解するにはもちろんプロテスタントの歴史も踏まえなければいけないのだが、とりあえず松岡正剛の近現代史を読みながら、アユカル先生の冥福を祈らせていただきたい。


『17歳のための世界と日本の見方―セイゴオ先生の人間文化講義』

2008-02-08 14:00:59 | 読書
『17歳のための世界と日本の見方―セイゴオ先生の人間文化講義』松岡正剛(春秋社)

 大学でスペイン語を専攻した時、スペイン美術史専門の神吉教授(故人)がヨーロッパ美術史を講義してくれて、ヨーロッパの歴史と建築・美術がどのように結びついているのかに興味を持った。

 大学院では国際的なマネジメントの考え方の土台になる比較文化論を少しかじったこともあり、多元的な、あるいは多層的な文化の見方には興味があった。

 というわけで、この本を手に取るのは必然だった。人間が二足歩行するようになって、他の動物と違って発情期がわかりにくくなってからコミュニケーションの手段である言葉を持ち、文化を築くようになる。そこから宗教が生まれ、哲学が生まれ、文学や音楽、建築や美術、芸術などが生まれていく。異なる宗教同士が対立し、戦争が起こり、交通や経済の発達とともに文化の衝突が起き、新しい解釈が生まれて新たなものが生まれる。こういう歴史の中で、東西の世界観や文化観がどう違うのか、それはどこから生まれてきたのか、ということをどこかで整理したかったのだが……この本がやってくれた。

 『木を見る西洋人 森を東洋人 思考の違いはいかにして生まれるか』を読んだ時に感じたことでもあるのだが、西洋的アプローチは違いの要素というのを要素に細分化していく(これが彼らの分析的アプローチなのだ)。これこれこのように違う、と、要素を挙げて示していく。でも、東洋的な文化に育った自分には何かアプローチが違うと思った。

 松岡正剛の本は、その違和感に対する日本的な答えだろう。特定の宗教が生まれてきた歴史的な背景、その宗教が生まれたことによる影響といった、一言で言えば「背景」を示すことによって、その文化の個性を明確にする。まさしく「森を見る」感じ。要素に細分化するのではなく「枝振りを見せる」感じ。

 そして、宗教と哲学、宗教や哲学と建築や美術とのつながり、科学と哲学、科学と美術など切れ目のない関わりを見せてくれる。この辺りが、自分にとってフィットする。

 また、同じ時間軸をもって東西を比較する中で意外な類似点を見せたりする。たとえば織田信長の時代、イタリアではルネサンスでありこれも戦国時代、イギリスはエリザベス女王でスペインと対立していたとか。この時代の日本の代表的な茶人の千利休はルネサンス的、その弟子である古田織部はバロック的とか。

 でも一番強烈なメッセージは「文化とは"たらこ"スパゲティ」(笑)。非常に日本的な文化の捉え方で、それがよい。

 次は続編の『誰も知らない 世界と日本のまちがい 自由と国家と資本主義』にて、近代ヨーロッパから生まれた国民国家と個人の自由や権利についての考え方、資本主義についても読んでしまおう。