告白するまでもないかも知れないが、私は日本国憲法に込められた非戦の誓いを尊びたいと思う、護憲派の、ヘタレながらやや左派。戦争はもう嫌だという、戦中派の母の思いを感じて、戦争を起こさないためには自分の信条を弾圧の心配なく語れる社会が大事だとも思い、26年間、思想信条の自由を重視する人権運動に関わっている。
……それが、徳川幕府の末期、倒幕派・討幕派を威圧した新選組に関心を持つようになって、早くも4年以上になる。彼らの行動に共鳴したわけではない、現代に引き替えてしまえば、彼らは時の政府を維持するために武力で人々を威圧したparamilitary(準軍事組織)でもあった。ごく25年ほど前に、南米のチリやアルゼンチンで、民主主義や人権を求めて活動した人々を拉致し、殺害した正体不明の武装した人々と、根っこはあまり変わらない。
それなのに、どうしてこんなに彼らに関心を抱くのかと考えてみて、少し思い当たることがある。
新選組の皆は、靖国神社には祀られていない。もっと甚だしいのは会津藩の人々で、彼らのうち禁門の変で長州と戦って死んだ人々は時の帝を守ったから英霊として祀られているが、鳥羽伏見の戦い以降の戦死者も靖国神社に祀られていない。
さらに言えば、戊辰戦争の時に会津藩を攻め立てた人々のうち、西郷隆盛はじめ、西南戦争で時の新政府に逆らった者たちも、靖国神社に祀られていない。
祀られているのは、時の天皇のために命を落とした人々のみ。
会津藩が幕府と朝廷の双方のために尽くしたということも忘れさられて、鳥羽伏見の戦い以降に朝敵・賊軍と位置づけられた彼らの魂は、靖国神社にはない。
私が好きな土方歳三も、時の政府から見たら当然かも知れないが、反政府に抗戦したという理由で祀られていない。
その辺りが、私が靖国神社に抱く、喉に刺さった小骨のような感覚だ。うまく理屈で語れないのだけど、時の権力に従わなかったという理由で、帝にまつろわぬ者どもとして、切り捨てられてしまった霊たちが存在する。
そうした霊たちをも等しく祀る墓所であったら、私も靖国神社に参ったかも知れない。でも、時の政府の都合で合祀するか否かを定められてしまった人々の霊がある限り、なかなか素直にお参りする気になれない。
……こんなことを60年以上前に口にしたら、私は非国民と言われるんだろうね。そういうレッテルを貼られて弾圧されるような時代が、二度と起きて欲しくない。だから、私は、日本国憲法を守りたい。
……それが、徳川幕府の末期、倒幕派・討幕派を威圧した新選組に関心を持つようになって、早くも4年以上になる。彼らの行動に共鳴したわけではない、現代に引き替えてしまえば、彼らは時の政府を維持するために武力で人々を威圧したparamilitary(準軍事組織)でもあった。ごく25年ほど前に、南米のチリやアルゼンチンで、民主主義や人権を求めて活動した人々を拉致し、殺害した正体不明の武装した人々と、根っこはあまり変わらない。
それなのに、どうしてこんなに彼らに関心を抱くのかと考えてみて、少し思い当たることがある。
新選組の皆は、靖国神社には祀られていない。もっと甚だしいのは会津藩の人々で、彼らのうち禁門の変で長州と戦って死んだ人々は時の帝を守ったから英霊として祀られているが、鳥羽伏見の戦い以降の戦死者も靖国神社に祀られていない。
さらに言えば、戊辰戦争の時に会津藩を攻め立てた人々のうち、西郷隆盛はじめ、西南戦争で時の新政府に逆らった者たちも、靖国神社に祀られていない。
祀られているのは、時の天皇のために命を落とした人々のみ。
会津藩が幕府と朝廷の双方のために尽くしたということも忘れさられて、鳥羽伏見の戦い以降に朝敵・賊軍と位置づけられた彼らの魂は、靖国神社にはない。
私が好きな土方歳三も、時の政府から見たら当然かも知れないが、反政府に抗戦したという理由で祀られていない。
その辺りが、私が靖国神社に抱く、喉に刺さった小骨のような感覚だ。うまく理屈で語れないのだけど、時の権力に従わなかったという理由で、帝にまつろわぬ者どもとして、切り捨てられてしまった霊たちが存在する。
そうした霊たちをも等しく祀る墓所であったら、私も靖国神社に参ったかも知れない。でも、時の政府の都合で合祀するか否かを定められてしまった人々の霊がある限り、なかなか素直にお参りする気になれない。
……こんなことを60年以上前に口にしたら、私は非国民と言われるんだろうね。そういうレッテルを貼られて弾圧されるような時代が、二度と起きて欲しくない。だから、私は、日本国憲法を守りたい。