行政書士中村和夫の独り言

外国人雇用・採用コンサルティング、渉外戸籍、入管手続等を専門とする26年目の国際派行政書士が好き勝手につぶやいています!

45年前の少年サンデー編集部

2009-03-19 10:20:03 | あの頃の東京って?

 漫画週刊誌の少年サンデー、少年マガジンが創刊して50年だそうです。

 ところで、私が小学生4年生頃、というとおよそ45年前の事になるでしょうか、同級生に漫画好きな奴がいました。ケント紙という真っ白い高級紙に、鉛筆で下書きした後に、黒インクで仕上げてゆく事を当時はじめて知ったのでした。

 そんな同級生に、

 「こんど、少年サンデー作っている会社へ行ってみたら?」と、

 私はその漫画マニアの同級生に言ったのでした。9歳10歳の私などには、到底考えつくアイデアではないから、母からの入れ知恵だったと記憶しています。

 その同級生とは、特に親しい訳でもなかったので、漫画好きでもない私も一緒に行くはめになってしまったのです。勿論、アポ無しです。当時、まだ電話で事前にアポイントを取るなどという習慣はなかったと思います。というより、電話機が家に入ったのが丁度その頃でしたので、電話の無い家もまだまだあった時代でした。

 中央線の荻窪駅(杉並区)から同級生と電車に乗って、御茶ノ水駅で下車し、神保町方面に向かって、人に聞きながら可成り歩いた記憶があります。

 ここかな?そういってビルの中に入って、受付のお姉さんに、

 「少年サンデーを作っているところへ行きたいですけど・・・」

 「お約束は、しているの僕たち?」と、受付のお姉さん。

 「いいえ・・・、でも僕たち漫画が好きで・・・」

 「あの~、僕の書いた漫画見て貰いたいんですけど・・・」

 と、漫画好きの同級生は、持参していたケント紙に描いた自作漫画を受付のお姉さんに見せると、

 「あっ、ちょっと待ってね!」と言って、内線電話で何か連絡し始めたのでした。

 そうすると、オジさん(もしかしたら、お兄さんかも?)がやって来て、

 「よく来たね!君達小学生何年生かな?」言いながら、エレベーターで何階かの広~い編集部に案内されたのでした。

 午前中のオフィスは閑散として、誰も座っていないデスクが沢山あった記憶があります。しかし、今の編集部のように、机の上が山積みになっていたとか、人がバタバタと駆け回っていた記憶はありません。おそらく、丁度仕事が一段落したばかりだったのかもしれませんが、子供の私達には、のんびりとしたオフィスで、とても広~く感じたのでした。

 その案内してくれたオジさんは副編集長と書いてあったデスクの前にある大きなソファに私達を座らせてくれたのでした。

 どうも、副編集長さんは、私達の事を少年漫画家だと思い込んだ(確かに、同級生は漫画家志望だったと思います。)ようでした。

 「お茶じゃなくて、ジュースがいいよね!」

 そういって、ファンタオレンジを出してくれたのを覚えています。

 同級生は、自分の書いた漫画を見て貰って、色々とコメントを貰っていましたが、碌に漫画を書いたことも無い私にはちんぷんかんぷんでした。

 そして、驚いたことに、

 「君達に、水木しげる先生が書かれた”ゲゲゲの鬼太郎”の原画を見せてあげよう!どうだい、この細かい線一つ一つ、先生自身が書いているんだよ。」

 「そうだ君達、折角来たのだから、そこに創刊号からのサンデーがあるから見て行きなさい!」

 そういって、長島茂雄が表紙の創刊号など数冊を「スゲ~、スゲ~」と連発しながら見せて頂き編集部をあとにしたのでした。

 帰り道、私は創刊号を見た事や、水木しげるの超精密な原画に興奮していたのですが、同級生は何となく元気がありませんでした。ちなみにその同級生、それからさっぱり漫画を書かなくなったと記憶しています。おそらく、彼は生まれて初めて、社会の厳しさを、この時始めて体験したのかもしれません。”世の中、凄い人がいる”という事実を知らされて。

 こんな私達のような見ず知らずの子供を相手にしてくれるような、ノンビリとした会社がまだまだ沢山あった暖かみのある社会に住んでいた昭和30年代の少年時代の頃を、ふと思い出させてくれた少年漫画週刊誌創刊50周年でした。

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コメント (3)
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