一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

二度目の「想定外」を避けるために

2011-04-04 | 東日本大震災

ビジネスでも危機対応でも事業計画(想定シナリオ)とモニタリング・評価、どの時点で計画を変更するか(バックアッププランに移るか)の基準を常に共有することが大事です。

しかし報道は今起きていることについて「政府や東電に失策はないか」「東電・政府は情報の隠蔽をしていないか」といい、政府や東電は「現時点では」「全力で」という中で、中長期の見通しとその前提条件についての共通理解がないと、再び「想定外」を経験することになるのではないかという危惧を抱きます。


たとえば被災地の救援。
自衛隊は全兵力の半数近くを投入しています。戦争では兵站や要員の休息・補充を考えると通常兵力の1/3を戦地に送り込むのが「総動員」のレベルらしいので現在は総動員以上の状態のようですが、これをいつまで続ける予定なのでしょうか。
(もちろん今回の出動は敵が攻撃してくるわけではないので状況が違うのかもしれませんが、既に自衛隊員にも亡くなる方が出ているということは、やはりかなりの負荷をかけているように思います。)

あと○週間で避難所への物資補給ルートの確保のめどが立つとか、瓦礫撤去を民間業者ができる状態になるというような定量的・定性的な目標があり、常時達成状況をモニタリングしながら計画を見直していく、というような作戦があればいいのですが、期間の目処がなくフル稼働し続けるなかで、ある日突然自衛隊が疲弊して機能しなくなったらどうするのでしょうか。
最初から乏しい戦力を精神力で補うという作戦がだめだったことは先の戦争で経験済みのはずです。

それから、建設が始まっている仮設住宅ですが、入居期限が2年というような話をテレビで言っていました。
「先が見えないのでとりあえず」の措置であれば、期限だけ明確に切るのは被災者に精神的な負荷を与えているように思います。少なくとも2年後に戻れない状況だったらどうするつもりか、についての対応策ぐらいは用意しておくべきではないでしょうか。

先が見えないからといって場当たりに手を打つのでは、旧日本軍の悪弊であった「戦力の逐次投入」ならぬ対策の逐次投入になってしまいずっと後手に回りかねないと思います。


より大事なのが原発事故の評価。

漏水対策や放射線量に注意が集まっていますが、対策や基準値の当否を云々するだけでなく、「ではどのような放射線量がどこで測定されたら避難等をすべきなのか」を政府が明確にすることが大事だと思います。
それがあれば、(現実のものにはなってほしくはないですが)万が一原発事故対策が大失敗し首都圏に大量の放射線物質が飛来することになった場合に、首都圏から住民を退避させるためにはどれくらいの期間と必要な輸送インフラから逆算し、退避の準備を開始する放射線物質の飛散の基準を作れるはずです。

そうすれば、企業や個人も国の基準を参考にしながら自らのコンティンジェンシー・プランを作れるはずです。
避難先や避難手段を確保した上でぎりぎりまで粘る、という戦略もあるでしょうし、一定の安全率を見た数値を超えた時点で避難手段を確保し避難開始するという戦略もあるでしょう。それはそれぞれの個人や企業の事情によって違うはずです。

今回外資系企業では本社機能を関西に移したり社員を本国に帰国させる動きもありましたが、距離の離れた外国では十分な物的人的支援もできない反面拠点の規模があまり大きくなく身軽なので、そういう中間指標を作るよりはとっとと避難したほうが合理的と考えた彼らの行動も理解できます。


原発事故が収束するのを待っていては経済がジリ貧になってしまうという状況だからこそ、いざというときの逃げ道を確保することで、復興に全力を尽くすことができると思うのですが。

コメント
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