昨日の高知新聞朝刊一面に 高知出身の直木賞作家 宮尾登美子さん死去
の記事が 大きく載りました。
写真は1997年 高知新聞のインタビュー時のものと書かれ 宮尾さんは
当時70歳ですが 板についた和服姿は 女優さんのようにきれいです。
記事によると4年前に 高知市に購入したマンションで1年半ほど暮らし
避暑に出かけた軽井沢の別荘でケガをして 東京の自宅で暮らす中で
昨年夏 また骨折をし 次女さんと 療養生活をしていたとなっています。
傷ついてこそ文学 原点に故郷の『家業』とあり 若き頃は劣等感に
さいなまれた 芸妓娼妓紹介業の家業や 女衒の父の姿があります。
自伝は 本当は書きとうない 勇気がいる だが 自ら傷つかずに
書くのは 文学ではない
恥じていた自伝を 綾子という主人公に載せ 作家宮尾登美子が生まれました。
岸田の親分は わしは食えない者のため この商売をしゆうと よく言っていた」
かつて花街のそばに住み 宮尾さん父娘のことも さがっていた紹介業の
看板をも 覚えていると語る 90代女性の談話も載っておりました。
新聞三面のこの写真は 56歳当時の宮尾さんが 好きであった 故郷高知の
露天市で 買い物をする姿です。
暮れに立つ 得月楼(陽暉楼)の門松を見て 宮尾さんは元気にお暮らしかと
毎年思いましたが これからは 店頭の門松を見るたびに 寂しくなります。
年明けすぐショックな出来事でした。
もともと作品の少ない作家さんでしたが、期待することすらかなわない現実に当惑しています。
こちらの新聞の写真を撮って、ブログに載せたので、アドレスおいていきます。
でしたね。最初の夫と別れ次の人と再婚して上京しますが
借金をして逃げるように行ったようですね。そこらへんの
ことは詳しく書かれてないですが 関係者の方々がまだ
県内にはおられ書きにくかったでしょうね。でもそれらを
これから書こうとしていたみたいです。残念ですね。
土佐の素晴らしい作家さんでした。。。
山崎 豊子さん・高倉 健さん・凛と一本筋の通った素晴らしい才能をお持ちの方々が 次々と亡くなり 昭和生まれの私は 淋しくなります。
ご冥福をお祈りします。
16年経つそうで ずいぶん昔になりましたが 剣山の山中で
生活する少女が大人になって行く話でした。あの黄色い
花を見たいけれど もうよう登りません。苦難を乗り越え
成長していく女性は宮尾さんのテーマのようなもので
きっとご自分の半生を主人公に載せたのでしょうね。
宮尾さんは苦界に身を沈めても 凛として生きていく女性を
書いたら右に出るものがない作家でした。
そちらでも日本の作品を置いてあるレンタルビデオ屋さんが
あると思います。たくさんありますのでぜひご覧になってね。
土佐弁がたくさん出できますので。懐かしいですよ。
私と同世代の社長の母が 宮尾さんと仲良しで交流が
あったと語っていました。 寒椿 映画は南野陽子さんが
主演でしたね。 確か最後の方に南野さんが刀を手に
受けるシーンがあったと思いますが残酷で覚えています。
引き上げ 姑と共に農業をしていましたが身体が弱く
続きませんでした。元々繊細な身体をしていたでしょうね。 そうですね キミコさんがそばに居れば骨折後の
ケアも十分できたでしょうね。88歳で老衰とは思えませんもの。
いくらカルシウムを取っても 運動をしないと骨密度は
上がりませんもの。のん子さんは毎日歩かれますので
骨密度は高いと思います。 小説家は平々凡々の生活を
送るといい小説は書けないでしょうね。
ばかりでしたね。 高齢になって骨折すると回復が遅く
おそらく宮尾さんも昨年夏の骨折から寝たきりになったのでは
ないかと思われます。檀フミさんは 蔵に出ていましたね。
いただいた着物は宮尾さんの形見になりましたね。
女性の一生を実に繊細で感動的に描いて下さいますよね。
私が初めて出会った宮尾登美子さんの本は『天涯の花』と言う作品でした。
物すがく感動して、それ以来ずっと四国に行きたい。
キケマンと言うその花を観てみたいって憧れています。
高齢者の骨折は 一番避けたいものと言いますね。
ご冥福をお祈りします
一弦の琴や寒椿は本も読みました
先生なられたころのことは松たか子さんのドラマでも見ました
女性の一生を書いてこられた方ですね
着物姿が板についていますね
そうか蔵も宮尾さんの作なんですね
松たか子さんがとてもよかったです
訃報にくりまんじゅうさんの門松の記事を思い出しました
作品は一度も拝見したことがありません
あまり興味のない分野なので^^;
「徹子の部屋」で出演されていた時に見せて頂いてました
とても感じの良い方で凛とした厳しさがあってオーラを感じましたね
宮尾さんの年代は一番お気の毒ですね
ちゃんとトレーニングすれば骨折に至らなかったんですけどね
そういう知識がない世代ですから(/n\)。。
寝たきりになったらまずそのままですわ^^;
せめて最後まではトイレには自力で行きたい私です
m (゜- ゜ ) カミサマHELP!
いろいろご苦労された方の方が良い小説が書けるような気もします。
でも88歳で老衰とはね?
寝た切りになられたからでしょうね。
骨折、要注意ですね。
今年の骨密度検査、まだしてませんでした(^^ゞ
骨折、治癒する頃には筋肉も衰え、回復には若者の非にならない努力が必要でしょう
宮尾作品は読んだ事がありませんが、自立した強い女性
そしてお洒落心を忘れない素敵な方と言う印象でした。
今日、TVドラマで蔵に出演なさった壇フミさんが
宮尾さんから贈られたお着物を紹介されていました。
山の中の少女の話でしたね。黄色いキレンゲショウマ
という花もこのとき知りました。山ガールのひまわりさんは
実物を見に登られたんですね。昨年夏骨折して入院されて
いたと思いますが それにしても88歳の老衰とは?
と思いました。 元々体はあまり強くなかったらしいです。
思います。 映画はずいぶん前になりますが
夏目雅子さんの 「おまんらぁ なめたらいかんぜよ!」が
有名になりましたね。女衒の父親役は仲代さんもよかった
けれど私は何と言っても 緒形拳さんが1番好きでした。
宮尾さんが昨年夏骨折し 次女さんと東京で療養生活に
入っている中で 宮尾さんに認知が入ったとします。
あんな賢い人でも動かなければ頭は進みます。頭と体に
衰えが見られ それでも大作家宮尾登美子にボケが来た
とは公表できません。以前にも書きましたが友の母上が
わずかひと月の入院で認知が入り退院後も1人では
住めなくなりました。新聞には次女談で亡くなった日に
高知から潮江カブが届いたのに食べることが叶わず
逝ったと載っていました。
宮尾さんのご実家の家業も当時は合法であり なんら
後ろめたいこともないですが若い娘時代は恥ずかしかったと思います。
知られたくない出自を書き宮尾文学が生まれました。
離婚 再婚 上京後のことがほとんど知られていません。
その時代のことを これから書くつもりだったようです。
高齢になると 骨折して動けない日が続くと他の箇所も
弱るということでしょうか。 高知出身の山本一力さんの
インタビューも観ました。宮尾さんから あんたは舎弟
と言ってもらい嬉しかったと語っていました。
読んだのはずいぶん昔になります。ドラマでは烈を
松たか子さんが好演しましたね。あの頃の松さんは
匂うように美しかったです。私もまた読み直したいです。
プール仲間の あなたもよく知る同級生の彼女から今日
聞きました。彼女の母上が宮尾さんと女学校で同窓生で
宮尾さんは何度か同窓会へも出席されたそうです。
天涯の花 寒椿の2冊です
天涯の花を読んで キレンゲショウマが見たくて剣山に登りました
チラホラ咲いていたような記憶があります
骨折で療養中 老衰で亡くなるって事があるのですね
ご冥福をお祈りしております
どこへ生まれるか だれが親なのかは運命ですね。
宮尾さんは実家の家業にコンプレックスを持っており
早く家を出たいと10代で最初の結婚をしたようですね。
寂しくなりました。
その数日後に亡くなったとは…残念です
宮尾登美子さんの本 田舎に沢山あります
今度持って来て読み返したいと思います
このニュースに触れた時、「ああ、こんなことだったのか」と、思いました
やはり、転倒、骨折って、高齢者には、良くないのですね
88歳で老衰 ??
信じられませんでした
そんな事が、あったのですね
文筆業、という人たちの凄さというものを感じますね。
私はとてものことに自分のありのままをさらけ出すことはできません。地獄まで秘密を持って行くでしょう。
そう言えば小学生のころ、住んでいた地区からほど近いところに赤線地区がありました。半ば公認だったようです。
やはり入院は 身体そのものもそうですが
心にも来るものがあるのでしょうね
宮尾登美子さん=着物姿というイメージ
それも 凛としたものがいつも有ったように思います
作品の中の女性も ご自分も「姉御」と言いたくなる 豪傑なところがありましたね
そんな方が亡くなられ 寂しくなりましたね
沢山の素晴らしい作品を多数残されましたね。
私は宮尾さんの小説が大好きです。
もう1度読み返して感銘に浸りたいと思って居ます。
蔵から読み始めます。
雪深い景色が、目の前によみがえって来ました。
どうしておられるかと、ずっとご心配されてましたね。
それがこんな形で知ることになるなんて・・
さぞやショックだったことと、ご推察いたします。
宮尾登美子さんの若い頃の劣等感は、良く判る様な気がします。
生まれ出た家も稼業も自分では変えることの出来ない宿命ですし、
それをのりきってこその素晴らしい文学なのだと思います。
ご冥福をお祈り致します。