楽しみにしていた故宮博物院に着きました。北京の紫禁城の中にも故宮博物院が
ありますが 台湾の故宮博物院の所蔵品が グレードが高いといわれます。
戦火から守るため 早い時期から上海の英仏租界らに移し避難させていた紫禁城
の宝は 中国を追われ 日本軍が去った台湾へと逃げた国民党の蒋介石のもとへ
運ばれました。それらを展示したものが 台湾の故宮博物院になります。
皇帝の至宝を中心に それも選りすぐりの一級品 70万点を所蔵する故宮博物院を
全部見学するは数年かかるそうで 限られた時間内では 結局はミーハー婆好みの
ものばかりになりました。 すみません
フラッシュは禁止されていますが 博物院内どの作品も撮影はOKでした。
故宮博物院
1.
故宮博物院でいちばん有名な『翠玉白菜』は今回 嘉義故宮博物院へ
貸し出しており留守でした。
このみごとな翡翠の白菜は 光緒帝(在位期間1875-1908)の妃 温靖の
輿入れの持参品といわれています。
高さ18.7㎝ 👈 そんなにあるの? 25年前見たときは もっと小さく
感じたけれど・・。
2.
『肉形石』 清時代(1644-1911) 高さ6.6㎝
3. 4.
コンピュータもカメラもない時代に どうやってこれが彫られたのか。
私には神業としか思えぬ作品があります。神業①は『象牙多層球』です。
12-3世紀の作品といわれ 23層もの層が重なっており それぞれの層が
回転する。 清代の職人親子3代が100年に渡り仕上げたといわれる作品で
直径117㍉の球体。 その隣は『彫象牙九層塔』高さ60㎝
5. 6.
神業②右 『黄玉髄三連章』1個の黄玉髄(イエローカルセドニー)から
鎖も含め全て彫り出された作品。 2つは方形で1つは楕円になっている。
7. 8.
↑上記写真の左 『紅白玉髄筆洗』 これも1個の天然石(サンゴでは?)
から彫り出したもの。
尺寸 全高10.2公分 最寛8.9公分 👈 だそうですが私には??です。
9.
『毛公鼎』この字を見たとき はっとしました。
昔 同級生の兄さんの名前が 鼎かなえ だったことを思い出しました。
その当時は 息子になんと難しい名前を付ける親かね と不思議でした。
故宮博物院の 5大宝物の一つに数えられる毛公鼎です。
10. 11.
『翡翠屏風』48枚の翡翠を削ったもので サイズ 4424×6664px
日中戦争時に昭和天皇に寄贈され 一時は日本が所有していた時代も
あったが 第二次世界大戦後 返還された。
12.
今回の故宮博物院行きで うわっ実物が見られると旅行申込時は喜んだのに
ああそれなのに・・ 数々の宝物を見ているうちに すっかり忘れていました。
それは600年まえ 中国景徳鎮の 皇帝の窯で作られた 『明成化闘彩鶏紅杯』
通称チキンカップを この目で見てくることを忘れ帰ってきました バカよね
10年前の2014年 サザビーズオークションで 香港の実業家劉氏が 38億円で
競り落としたチキンカップを追うNHKの番組が 数ヵ月前にありました。
チキンカップを所有することは 中国人にとって最高のステータスになるとか。
13. NHKさま 拝借します
いま現在 本物とされるチキンカップは 世界で20個しか確認されておらず
その中の6個を ここ台湾故宮博物院が所蔵しており 常時展示している。
14.
↑にも書いた 蒋介石が台湾へ逃げたあと 上海の租界らに避難させていた
北京故宮博物院のお宝は 奪われぬよう用心を重ね ベトナムらを経由して
2972個の木箱は台湾へと 大切に運ばれたそうです。
15. 16.
今回の現地ガイド 葉(よう)女史の弁によると
『皇帝の貴重なお宝が あのまま北京に置かれていたら 文化大革命時
壊され盗まれたりで 散り散りになったでしょう。 これら貴重な宝物が
私たちの国に運ばれて良かった 何年後も世界中の人に見てもらえる』
と言いつつ 『大陸からの侵攻を私たちは怖れている』 とも語りました。
案の定この旅が終わってすぐに 台湾をぐるりと取り囲み 中国本土の
軍事演習がありました。
もう一度故宮博物院へ行きたい終日見たい は私の叶わぬ夢になります。
毎度の悪いクセ あれもこれも盛り過ぎて 牛のよだれになりました。
最後まで読んでいただき ありがとうございました。
でも、なかなか見る機会がありませんね。
今回、見逃したのは残念でしたね(~_~;)
私は、そのチキンカップの一つを見たことがあります。
阪神淡路大震災の年ですから、かなり前の話になりますが、、、。
場所は忘れましたが、東京都内の美術館で見ました。
スイスのバウアーコレクションが日本にやってきた時に見たものです。
その後、バウアーコレクションは大阪の美術館に巡回しましたが、その際、そのチキンカップが被災し、疵になったことを覚えています。
そしてブログ復帰、嬉しいです。
呼吸博物院は、本当にすごいですよね。
でもガイドの女性がおっしゃる通り、北京に置いていたら今頃どうなっていたか
小さくて持ち出しやすいものが多いだけに、考えるだけでも怖いです。
北京出張時に故宮博物院にも行きましたが、確かに台湾の方が見る価値がありました。
あっちは大味というか、持ち出せないような大きなものが多いというか(苦笑)。
そういえばくりまんじゅうさまがいらした直後に、演習がありましたね。
戦争をするとか侵略することに対するハードルが低くなってる気がします。
人間って過去から学ばないのね〜とがっかりする日々です。
お体いたわってくださいね
翡翠の白菜を実際に観た時、私はこんなに小さいの!?と思いました。
18.7㎝を小さいと見るか大きいと見るか…
その時の自分の状況にもよるのかしらね?
有名なチキンカップがこんなに小さいとは知りませんでした。
私も見逃がしていたようです。
この大きさでは見逃しちゃいますよねえ。
『翠玉白菜』『象牙多層球』など数点、大昔の友人のブログで拝見しておりますが、他の宝の数々堪能しました。
『翡翠屏風』素晴らしいですね。
>これら貴重な宝物が私たちの国に運ばれて良かった 何年後も世界中の人に見てもらえる』
本当にそう思いますね。
他国のことをとやかく言いたくはないのですが、中国は覇権国ですから、
過去や他国を潰しては自分たちの国を作っていくような・・・
どうか、このまま台湾が守られていきますようにと願うのです。
>もう一度故宮博物院へ行きたい終日見たい
今は病み上がりですから、お気持ちが沈んでおられるかもですが、台湾は近いですから、お身体整えられれば、また行けますよ!!
貴重なお写真の数々感謝♡
転ばないように リハビリしてくださいね。
台湾の故宮博物館 写真ではこれらを見たことがありますが やはり
実際に目で見るって 感動が違いますよね。
行けてよかったですね。
唐・清代の中国の陶磁器ら一流品を集め ジュネーブに東洋美術館を作った
と説明がありました。
その中から貴重なチキンカップを日本で開催中 1995年1月に起きた
阪神淡路大震災時に疵がついた ということですね。
東京での開催が先だったでしょうから 疵のない完品をKさまはご覧になれました。
29年前にそんなことがあったのですね。貴重なチキンカップを海外の美術館に
貸出しするには ものすごい額の保険料を掛けていたでしょうけれど
地震は自然災害なので ちゃんと保険が下りたかと
すぐに貧乏人はお金を考えます 恥ずかしい。
ご自分の目で 本物のチキンカップをご覧になれて良かったですね。
蒋介石はよくぞ 皇帝の宝の中でも選りすぐりの一級品ばかりを持ち出しました。
そうでなかったらもう 壊されたり盗まれたりで世界中に散り散りになっていたでしょう。
まさかないよね と思っていたロシアのウクライナ侵攻があったし
台湾をぐるり囲んだ中国本土による軍事演習は 葉女史が怖れるように
侵攻するぞ という習近平のいやがらせがやがて実現されるかもしれません。
そうなったらもう私たちも 気軽に台湾へは行けません。
親日国台湾・平和な国台湾の今のままでいてほしいです。
翡翠の白菜は私も25年前 故宮博物院で見ましたが えっ こんなに小さいの
と思う小ささでした。自分の感覚としては全長10㎝もなかったような・・・。
教科書にも載っていた翡翠白菜は 自分の中ではもっと大きいと勝手に
予想していたからでしょうか?
チキンカップは 高さ3.8㎝・径8.3㎝の酒杯ですから小さいものです。
それに38億円ねぇ・・。劉氏はこれでお茶を飲みました。
本物のチキンカップは 19個あるいは20個あると言われており
大英博物館・北京故宮博物院・台湾故宮博物院・NYメトロポリタン美術館が
所蔵していると言われていますが 専門家が言うには北京のは誰も見たことがなく
多分ウソだろうとのこと。ほかには個人が3個を所有しているとのことでした。
作品を守るためでしょうか故宮博物院内はどこも薄暗く フラッシュ禁止で
写真を撮ってもイマイチきれいに撮れませんでしたが この『翡翠屏風』は
裏から光を当てて 彫刻された翡翠が美しく輝いていました。
これが一時とはいえ日本で保管されていたのですね 敗戦とともに返して
良かったです。こうして世界中の人に見てもらえますから。
故宮博物院は見どころいっぱい 終日ここに留まり見ていたいです。
大阪からは 札幌へ飛ぶほどの時間で行けますから ぜひご覧になってください。