2月6日トルコ南東部で大地震があり 報道されるたびにトルコ・シリア
の被災者が増え 今朝の発表では 両国で7,000人以上が亡くなりました。
救助隊の人たちは がれきの下の人を助けるため 寝ずの作業をされて
いるでしょう。 どうぞ一人でも多く助かりますように。
昨日朝 ヨーロッパの温泉をたずねる『秘湯ジャーニー』という番組で
トルコの世界遺産 パムッカレの紹介がありました。
2012年3月にトルコを観光し パムッカレへも行きました。土足は禁止
ですので はだしで歩く35℃の温泉は 足湯のようにいい気持ちでした。
石灰の棚の大きいものは 人の背よりはるかに高いです。
ここパムッカレで いちばん心に残ったことは かしこい犬でした。
パムッカレの隣りには これも世界遺産のヒエラポリスの遺跡があり
ここでも温泉が流れていました。
トルコは以前からたびたび地震が起きており 20数年前にも大地震が
あって 多くの人が亡くなりました。
地震が起き 救助されるまでの時間で 生死が分かれると聞いています。
がれきの下の人間を 賢いワンちゃんが きっと見つけることでしょう。
行きたいと計画し
料金ま払っていたのに行けなかった国でした
その後内戦で治安も悪くなり・・・
紹介して下さった「パレッカレ」テレビで観たことは有りましたが
素晴しい国ですね
絨毯も素晴らしい
トルコも日本と同じく よく地震の起きる国です。
二、三年前にも イズミルで大きな地震があり たくさんの方が被災されました。
記されているように二十数年前にも大地震がありました。
このたびの地震はイズミルの時よりはるかに大きく、
二十数年前の大地震(死者2万人)を思わせる大きな地震のようです。
くりさんがトルコを旅されたのは2012年3月の由。
実は私はその二か月後にトルコを訪れました。
イスタンブールに直航の後、
イズミル~ベルガモ~パムッカレ~コンヤ~カッバドキヤ~イスタンブールの10日間。
腎がんの手術から10か月、それを乗り越えたご褒美の旅でした。
パムッカレの写真を見ながら とても懐かしく思いましたが、
この大地震で既に8千人を超える方がお亡くなりの由。
阪神淡路大地震では6千人を超える方がなくなられましたが、
それよりも多い死者の数に ほんとうに心がいたみます。
トルコと黒海を挟むウクライナでも もう一つの悲劇が現在進行形ですが
ともに安寧と平和が戻り復旧が進みますよう心より願っています。
良くしてくれると思います。私の行った10年前は平和でしたが今は少し
状況が違ってきたと思います。個人の単独旅でなくツアーなら危ないところへも
行きませんので コロナが終息したらぜひお出かけください。絨毯を2枚買って
船便で送ってもらいました 旅に出たら頭がのぼせて正常な判断ができない。
デさま2012年5月にトルコへ行かれましたか。大きな手術後のご褒美旅ですね。
私たちは成田から直行便でイスタンブールへ飛び たしか着いたその足で
また国内便にてイズミールへ飛んで 暗くなってホテルへ着きました。
翌朝朝食までにホテルの周りを散歩したら 軍港みたいなのがあって 黒い立派な
船が停泊していました。ホテルへ帰って聞くと あれは海軍の練習船ですとのこと。
デさまのコースとの違いはベルガモへ寄りませんでした。8日間の日程でしたから。
お互いにいい時代に行きました。今はコロナの他にもウクライナでの戦争もあり
まだ安心して旅ができませんね。
今度の震災でシリアから まだ犠牲者が出そうです。シリアの人は内戦があって
今でもテント暮らしの人が多くいる中で またも地震に見舞われるとは 気の毒です。
日本からも救助隊が出たようですね。
阪神淡路震災のときも優秀な警察犬が がれきの下から生存者を見つける活躍を
しました。トルコの優秀な国家公務犬もきっと活躍するはず。まずは時間が勝負です。
しかも目の付け所が面白い‼️
公務員のわんこ、いい案ですね。
景観を損なう立て看板じゃなくて、頭のいいわんこ。
いいアイディア〜
それにしてもトルコとシリア、ほんと心配。
戦争してる場合じゃないっすよね
10年前トルコ観光したとき あちこち名所旧跡にはトルコの小学生が遠足?
にきており私達を見ると走ってきて 握手とハイタッチです。一見同じですが
見てわかるのか韓国や中国人観光客とは握手しません。シリアの人達はずうっと
つらいことばかり続いているのに それにまた地震の被害で本当に気の毒です。
がれきの中から、生まれたばかりの赤ちゃんが
救助されて良かったとおもいきや、赤ちゃんの母親と家族が皆亡くなられたとのこと、赤ちゃんのこれからを思うと胸がつぶれそうです。
何か手助けできることがあるのだろうか、このわたしに。
くりまんじゅうさんは、トルコにいかれたことがあるのですね。思いはひとしおでしょう。
こちウワさま 2013年に欧州各国を観光されたのにトルコへは行きませんでしたか。
10年前バスの中で添乗員が語りました。明治時代に串本沖で起きたエルトゥールル号の
遭難事件で 日本人が生き残りの船員の世話をし トルコまで送り届けた
という有名な話を 恥ずかしながら私は知りませんでした。
このことはトルコ小学生の教科書に載っているそうですね。
フセインが 24時間以内に出て行かねば攻撃すると宣言したとき小泉首相から
頼まれ 日本人のために飛行機を2機出してもらい全員無事に国外脱出できた。
そのとき 昔のご恩を返しただけとトルコはかっこいいことを言いました。
当時のトルコ首相も 今も同じ人なんですね これが不思議。
日本人に助けられたと教えられる子どもと 日本軍にひどい目にあったと
憎しみを教えられる子どもとでは 大きく違って育ちますね。
退職した年にカナダを旅し 同じ添乗員に誘われて翌年トルコを旅しました。
ボスポラス海峡の大橋は 日本企業が架けたと海峡を航行中アナウンスがありました。
アジア側から橋を渡り 職場はヨーロッパという人がたくさんいるのも
トルコですと言ってました。地震の手助けもできませんので義援金を少し入れます。