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くりまんじゅうの日記

世間より少し いやだいぶん遅れている
老シーラカンスです。

フマキラーのスプレー。

2020-02-08 | 日記

コロナウイルスが増々の広がりを見せ 日に日に患者数が増えて
武漢で入院中の邦人男性死亡 とニュースが流れました。

ダイヤモンド・プリンセスの乗客からも 次々と患者が出ており
船内の自室に閉じ込められた乗客は もう何日も 不安な日々を
送っています。

母の施設からtelがあり しばらく面会はご遠慮くださいと言われ
こちらはコロナウイスではなく インフルエンザを怖れてのこと。

30枚ほど縫った布マスクは 友人知人が喜んでくれるので つい
得意になり配りまくり 手元に残るは あまりに出来が悪いため
自分で使おうと 嫁ぎそびれた3-4枚のみです。

 
  

洗って ひなたに干し使っていましたが これいいよと勧められ
フマキラーの「ウイルスイオンでブロック」の名前の抗菌スプレー
になるかな?  を買ってみました。

目・鼻・口へのウイルスの侵入を防ぐ と書いてありマスクの表に
シューとしていましたが 裏の 鼻や口が直接当たる部分にせねば
効果がないようです。

効くかどうかまだ分かりませんが やらんよりマシだろうと外出前
には マスクの裏側に吹きつけ出かけます 無臭です。

ゴキブリが出たとき フマキラーのシューを吹きつけ退治しており
フマキラーの名を聞くだけで 害虫退治のイメージです。

ものすごい効き目を発揮し ウイルスも死ぬが人間にも影響ありと
まさか そんなことはなかろうねと ちょっと考えたりして・・。
 

 

コメント (21)
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スリランカ紀行5 あれやこれや。

2020-02-04 | 旅行

ビンナワラの象の孤児院へいきました。親にはぐれた子象や けがや病気のため
野生で生きられない象を集めた施設で 水浴びさせる川に連れていくところです。
アジア象はアフリカ象に比べると 耳が小さいそうです。
 
 

あら~ 飼育員のお兄さん 象に信頼されているんですねぇ。
    

スリランカでなくセイロンと聞けば 何といってもセイロン紅茶で 名前を
聞くだけで かぐわしい香りと 美しい色が頭に浮かびます。

セイロンティーを作る工場へ寄りました。昔ながらの製法で茶葉を蒸しており
機械もおくどさんも なかなかの年代物でした。たきぎはゴムの木です。
 
 
 

工場の壁に貼ってありました。   整理・整頓・清掃・清潔・躾の
トヨタの5Sです。まるっとした字は シンハラ文字です。
 

面白いものがもう1つありました。曜日も数字も 縦に並んだカレンダー。
ですが 下にちょろとのぞくは 日頃見慣れたもののようで・・。
 

バスから学校が見えました。小中高まで13年かかり 同じ校舎で学んでいる
そうで 朝7時から授業が始まり お昼には下校です。 年中夏時間みたいです。
 

混んだ道をバスの運ちゃんは    スイスイと巧みな運転で進みます。
 

これは1,000ルピー(日本円で600円)です。この国の男性が1日働いて得る賃金が
500ルピー(300円) と知ってから 昼と夕食時に飲んだ ジンジャービール1本に
300~350ルピー支払うたびに 罪悪感がありました。
 

バスの窓から。 ロシアの建物かに見えるイスラムのモスク。このすぐ
近くに    昨年4月 同時爆破テロで破壊された教会を建設中でした。
 

観光地には 銃を携えた陸軍が詰めていました。                   (写真拝借)
 

日本の支援で建てたコロンボの劇場。街中は日本の車がたくさん走っていました。
 

日中は暑いですが 枝をひろげた大木の下は 涼しい風が吹いていました。
   
   

連泊したシギリヤ  ビレッジは 広い敷地に一戸ずつ 山小屋風な建物が散らばり
朝・夕食レストランまで あひるが遊ぶ緑の中を 200㍍ほど歩くことになります。
ここで1週間ほど    滞在したいと思いました。
 
   
 
 

スリランカ最後の夜は 世界的建築家 ジェフリー・パワ  が手がけたリゾートホテル
ヘリタンス  アフンガッラ に泊りました。庭のプールがそのまま海に続いて見えました。
 
   

スリランカの世界遺産を巡る旅は この国の歴史を事前にもっと勉強して行ったら
見るもの感じるものが    さらに深く頭に入ったことでしょう。

高温多湿のスリランカで 1000年以上前の遺跡や仏像が これほども見事に残って
いることがどうしても不思議で 言葉を選びつつ ガイド氏に聞いてみました。

雨ざらし陽ざらしの遺跡や仏像等は ユネスコが管理し 修復してくれるとのこと。
よかったと思いました。お手軽にセメントを流したり シギリヤレディにちょいと
色を足したりは 絶対にいけません。

どの寺院でも信仰の厚い人たちが この暑さの中 座禅を組み何時間も ぴくりとも
動かず祈りをささげており そんな姿に 心打たれた旅になりました。

だらだらと長い旅行記に 最後までおつきあいいただき ありがとうございました。

 

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スリランカ紀行4 ゴール旧市街ほか。

2020-02-02 | 旅行

今日は街全部が世界遺産の ゴール旧市街観光です。歩いて回れるほど小さい
ゴール旧市街は 16~17世紀ごろ作られた要塞の中にありました。
 
  

ゴールの象徴といわれる 小高い丘の上に立つ時計塔は 100年以上経った今も
正確にときを刻んでいます。

2004年スマトラ沖地震による津波で 市街地は波にのまれましたが この要塞が
旧市街と住人を守りました。この国の津波による犠牲者は3万5千人 日本人観光客
からも犠牲者が出ました。
 

スリランカは400年の間に ポルトガル⇒オランダ⇒英国 と3つの国に支配されて
きました。 これらの像は つらい植民地時代を現したものでしょうか。
 
 

オールドゲートには 「オランダ東インド会社」の略称 VOCの紋章がありました。
 
 

仏教国スリランカですが ここゴール旧市街は 大航海時代のおもかげが残る
コロニアルな雰囲気です。 18世紀に建てられたオール・セインツ教会。
 

ゴール旧市街の最南端 灯台まで来ました。灯台の下は海水浴場です。
 

灯台近くで見た夕陽を背にした白い建物は 旧市街人口の半数を占めるまでに
増えた ムスリムのためのメーラ・モスク。
 

「オールド・ダッチホスピタル」は名前の通り オランダ統治下時代の病院です。
今は レストラン(日本料理店あり)  やカフェ 宝石店等が入っているそうです。
 

撮った写真を見つつblogを綴ってきましたが  ありゃいかん 抜かっちょるわ
と今になって気がつきました。遺跡と寺院の中で 自分でも これ好きやわ~と
気に入った仏像は ポロンナルワ巨大遺跡群の ガル・ヴィハーラ3石仏です。

1枚の岩から彫りだした3石仏が 左から 座像・立像・涅槃像と並び 穏やかに
ほほえむ姿が 大きすぎて1枚の画に入りません。

黒い縞模様がはしる一枚岩を 3石仏とも 目の部分に縞が入らぬよう彫り上げる
には綿密な計算と 石工の熟練の腕があってこそやね と感心しました。
 
 
 

そしてもう一つ巨大遺跡は ランカティラカの巨大寺院です。高さ17.5㍍・幅18㍍
奥行52㍍の大きさです。
 
 

奥には見上げる高さに 頭部と腕の欠けた仏像がそびえていました。
 
       

初日の 遺跡群をめぐる前に ガイド氏より注意がありました。
仏像に背やお尻を向け 写真を撮らぬように とのことでした。
もちろん 全員が守っていました。

私たちツアーがここ ランカティラカの寺院に着いたとき 白人の若い
カップルが仏像を背に 並んで スマホの自撮り棒で撮っていました。

それを見たガイド氏が Φ△☓□◇÷§¶Σ ぎゃお ぎゃお~~! と英語か
シンハラ語か不明ですが 大声で吠え 白人カップルは逃げました。

今までニコニコ 穏やかなガイド氏の豹変は 仏陀を敬う 厚い信仰心
を垣間見たひとときでした。

 
  
 

果実は数種類見かけました。椰子の実は分かりますが あと2つは聞いたとき
メモっておくべきでした。 すっかり頭から抜けています あ~ぁ・・。
 

 

 

コメント (10)
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