褒めまくる映画伝道師のブログ

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映画 家族の肖像(1974) ヴィスコンティ監督の引きこもり映画

2018年08月22日 | 映画(か行)
 今や日本人の引きこもりは子供だけではなく大人にも多くみられる。その数は70万人と言われているが、もはや引きこもり大国ニッポンと言われるまでの数字の上昇だ。引きこもりの理由は色々あるだろうが、会社に行く気力がない、何もかもが面倒くさい、嫌いな人と出会うのが耐えられない・・・等あるだろうが、今回紹介する映画家族の肖像バート・ランカスター演じる老教授もこの映画を見ている限りだが、一歩も外に出歩かない引きこもりに見える。しかも、行動範囲が狭い。豪華なアパートに住んでいるが、自分の部屋とその上階をせいぜい行ったり来たり。この老教授の場合は人と会うのがどうやら苦痛。後は静かに本を読み、音楽を聴くことを楽しみ、多くの集められた絵画に囲まれて暮らすことに心の安らぎを感じている。ただ今の日本人の引きこもりと違って、どうやらカネは相当たくさん持っているようだ。
 さて、こんな老教授を主人公にした映画なのだが、果たして本当に面白いのか、そもそも観る価値はあるのか?なんて心配してしまいそうだが、静かに過ごしたい老教授にとっては有難迷惑な無礼者が押し寄せてきてからが面白い。

 それでは、描かれている舞台設計は非常に狭い空間だが、実は当時のイタリア社会を反映している奥深いストーリーの紹介を。
 ローマの中心地の豪邸に住んでいる老教授(バート・ランカスター)は絵画のコレクターを集めて、部屋中に絵画を飾っていた。絵画の中に囲まれて本を読んだり、音楽を聴いて静かに暮らすことに安らぎを覚えていた。しかし、ある日のこと教授と画商が値段の相談をしているところを利用して、大富豪夫人のビアンカ(シルヴァーノ・マンガーノ)が巧みに近寄ってきた。彼女の狙いは老教授の住んでいる上階の部屋を借りること。しかもビアンカの娘リエッタ(クラウディア・マルサーニ)、その彼氏のステファノ(ステファノ・パトリッツィ)、そしてビアンカの愛人であるコンラッド(ヘルムート・バーガー)が次々と現れてくる。
 教授はみずからの生活を壊されることを心配して上階を貸すことに反対していたのだが、あまりにもしつこく頼んでくるビアンカに根負けした教授は部屋を貸すことにする。ところがその日、上階を借りて住んでいたコンラッドは部屋を改造してしまい、下の階にいる教授の部屋は水浸しになる。あまりにも粗暴なコンラッドに手を焼いていた教授だったが、コンラッドが意外にも芸術全般に詳しいことを知り、次第に親近感が湧くようになってきた。
 ある日の夜、上階に住んでいたコンラッドの部屋で騒々しい音が聞こえる。教授が上階へ上がってみると、コンラッドが血まみれで倒れていたのだが・・・

 それにしても老人が住んでいるところに何とも我儘な奴らが侵入してきて、これは相当困った。勝手に部屋を改造するし、約束の晩餐には来ないし、若者三人が音楽をかけながらスッポンポンで踊っていたり、何かと教授を悩ませる。老教授からは考えられないジェネーレーションギャップのせいだと言いたいところだが、さすがの俺もこんな奴らが居候してきたら腹が立つ。
 それでも老教授は家族が出来なかったことへの後悔から、押し掛け四人組を夕食に呼ぶ。ところが老教授のおもてなしをこの四人組がぶち壊し。可愛い女性エリエッタはそれほど害があるように思わなかったが、残りの三人はイデオロギーの違いから言い争いから殴り合いに発展。まさに当時のイタリア社会は共産党主義的な政党が台頭してきたが、左翼が力を持てば右翼も伸びてくる。このようなイデオロギーの対立は世界中で見られるが、この夕食のシーンにルキノ・ヴィスコンティ監督の想いが出ている。ちなみにヴィスコンティ監督はヴィスコンティ家の貴族の末裔でありがら、彼は共産党主義。そのような知識があれば、より一層この映画を興味深く観ることができるだろう。
 ルキノ・ヴィスコンティ監督の名前は聞いたことがあるけれど彼の作品を観たことが無い人、家族というものをもう一度考え直したい人、この映画の制作時は共産主義が盛り上がったのになぜ今はすっかり下火になってしまったのかを知りたい人、自分が引きこもりであると自覚している人・・・等に今回は家族の肖像をお勧めしておこう


家族の肖像 デジタル完全修復版 [DVD]
バート・ランカスター,シルヴァーナ・マンガーノ,ヘルムート・バーガー
KADOKAWA / 角川書店


 当初はネオリアリズモの代表的監督として労働者を描いたこともあったが、貴族の末裔ということだけあって次第にカネが掛かっているような豪華な映画に変遷していく。貴族の滅んでいく様子を描いた映画が多い。けっこう日本でも人気のある監督だが、個人的には嫌いな作品も多い。お勧めは寛容さに心が救われる若者のすべて、女の執念の凄さを思い知ることができる夏の嵐が良いです。




 
 

 
 


 




 


 

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2 コメント

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助かりまくり! (猫背)
2008-03-28 22:43:32
旅行に行った時についでにヤって¥7OOOOもらったww
旅費が浮くどころか遊びまくったよヽ( ・∀・)ノ
http://houkei.yycola.net/gyaku/bdskkoBY.html
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「家族の肖像」について (風早真希)
2025-01-13 16:36:32
ヨーロッパの欧州映画の三大名匠と言えば、イングマル・ベルイマン、フェデリコ・フェリーニ、ルキノ・ヴィスコンティですね。

ベルイマンは、神を失った現代人の不安を描き続けました。
フェリーニは、庶民的で、平明で、泣かせも巧く、一見、難解そうに見えるテーマでも、その職人としての腕と誰もが圧倒される見世物性で描きました。
ヴィスコンティは、滅びゆくイタリア貴族階級の没落を描きました。

この三大名匠の内の一人、ルキノ・ヴィスコンティ監督の「山猫」「ベニスに死す」と並ぶ代表作の「家族の肖像」について、コメントしたいと思います。

この映画「家族の肖像」は、イタリア映画界の巨匠ルキノ・ヴィスコンティ監督の自らの死を近くに見据えた、晩年の代表作だと思います。

イタリア・ネオリアリズムの開拓者であると共に、既に過去のものとなったヨーロッパ文明というものを愛惜する耽美主義者でもあり、ヴェリズモ(真実主義)とデカダンス(頽廃主義)の両極を備えていた、イタリア映画界の巨匠ルキノ・ヴィスコンティ監督が、自らの死を近くに見据えた晩年の代表作「家族の肖像」。

この極めて舞台劇的な作品を1974年に完成した後、ルキノ・ヴィスコンティ監督は、彼の遺作となった「イノセント」を最後に、1976年3月、心臓病が再発して、69歳でこの世を去りました。

この作品の演出は、車椅子の上で行われたものであり、映画のタイトル・バックとラストに出てくる心電図のテープは、彼自身の"死の予感"を示すものであり、"死の足音"であったのかも知れません。

この映画「家族の肖像」についてのヴィスコンティ監督自身の言葉は、この作品が、彼の遺言だと言われているだけに、非常に重要な意味を持っていると思います。

「私の世代の知識人である主人公は、時代と調和して生きることを知らぬまま、今日の世代と激しく衝突して、その結果、瀕死の余生を迎えるに至ります。
年をとった人間が、若者に対して、自分の子供のようなつもりで触れ合いを持とうとしたところで、それだけで理解し合えるわけがないし、うまくいくわけもない。
この主人公は、人間嫌いで、他者からもたらされる騒ぎを嫌い、全き沈黙に生きることを望んでいるエゴイストで、マニアックな蒐集家です。
人間と人間が抱えている問題こそ、人間が生む作品などより大事なのに、それを認めることを拒否している点では、罪ある人間です。
私自身の世代の知識人の社会への関わり方とその責任、その意志、そしてその敗北という結果----つまり、文化というものの寓意をこの作品で問うてみたかった」と語っています。

貴族の解体を描いた「山猫」や、老醜をさらしての少年愛を描いた「ベニスに死す」などの彼の作品には、社会的・家族的・知的な安定と静寂が、一転して矛盾に満ちた破局へと至る場面を描いたものが多く、その最後の瞬間において、「結局、人は自分と対決することになります。そして、それは直面する状況を何ひとつ変えられる望みのないほど、徹底して孤独なのです」と語る、ヴィスコンティ監督の人生観を知ることなしに、この映画を深く理解することは難しいのではないかと思います。

この映画の主人公は、ただ"教授"と呼ばれますが、「進歩の代償は破壊だ」や「科学技術が奴隷制度を産む」という彼が語るセリフから察して、第二次世界大戦中、アメリカで原子力開発に当たっていた科学者らしいということがわかります。

この"教授"を演じる名優バート・ランカスターは、「山猫」ではサリーナ公爵の役でしたが、1860年前後のイタリア統一時代の、旧勢力の没落を予見しながらも、家父長的な矜持を守った公爵と、この「家族の肖像」での"教授"とには、何か相通じるものがあるような気がします。

この映画の英語名での原題の「Conversation Piece」とは、18世紀に英国でよく描かれたという、上流階級の団欒をその画題にした一連の肖像画とのことですが、その描く「家族の肖像」は、気品に満ち溢れていますが、そのため、却ってその裏には、実生活での激しい憎悪と頽廃とが隠されているようにも思われます。

この肖像作品の蒐集に専念することによって、"教授"が浸っていた、古き良き時代への"懐旧と静寂"は、現代の世相の縮図とも言える、不思議な四人の家族が、間借人として闖入したことで破られることになります。

各人それぞれに、異様で、また孤独な五人が、一見すると家族の団欒のように食卓を囲む場面は、現代的な"家族の肖像"ですが、"新旧の時代の対立と混乱"をはらむ、その肖像には、最終的には破局しかないのです。

そして、富豪な夫人(シルヴァーナ・マンガーノ)のペットともいうべき美青年(ヘルムート・バーガー)への教授の想いに、「ベニスに死す」での美少年タジオへの少年愛を連想させるものを感じました。
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