10月21日(火)、22日(水)は中学の同期生会だった。いつもは関東在住者だけで集まっているのだが、今回は全国大会と銘打って、私の田舎や、関西に在住する同期生にも声をかけたのです。結果、米子(鳥取県)から8名、兵庫からも1名が参加、総勢27名が集合したという、最近では珍しく賑やかな同期生会となった。我々の時代は、昭和23年の学制改革で、中学(旧制中学)5年で卒業してもいいし、新制の高校3年に進んで、新制高校で卒業してもいいという、過渡期だった。戦争が激しくなるにつれ、都会(東京、大阪)方面から疎開してくる人達が増え生徒数はどんどん増えていったのだ。だから、入学当時は一学年にせいぜい200人弱の生徒数だったのが、卒業の頃には、300人近くにも脹れあがっていたと思われる。しかも、戦時中は、援農作業で農村へも行ったし、そのあと軍需工場その他へ勤労動員となり、ろくに勉強も出来ないような、ほんと辛い時代だった。そんなこともあってか、我々の同期生は結束が固かったと思われる。
21日(火)は、原宿の水交会で昼食会。この昼食会ではいろいろハプニングがあった。昔の写真をみんなでスライドで見るべく準備していたのだが、持参したノートパソコンが起動しないのには、正直参った。やっと起動したと思ったら、次に、会場で借用したプロジェクターの電源が入らなくなるというアクシデント発生。これには正直がっかりした。それでも、プロジェクターは隣の結婚式場から拝借して、やっと写真を見ることが出来て安堵の胸をなでおろす始末。他にもハプニングあり、この種行事はなかなか予定通りには進まないものです。
翌、22日(水)は希望者で都内観光。はとバスの出発が早いので(出発時間7時40分)、ホテルに宿泊している8人を迎えに行った。早めに行ったので出発場所まで悠々間に合う筈だった。ところが、山手線のホームへ到着して電車を待っていたところ、一人の男が「入れ歯をホテルへ忘れて来たので、取りに戻る」と言う。ホテルは駅から近いのだが、それでも戻ってくるまでの時間の長かったこと。東京駅丸の内南口のバス乗り場にはぎりぎり出発時間に間に合った。
折角、スカイツリーに昇ったものの、雨が降っていたため、下界は全く見えず、がっかり。遠路東京まで来てくれた学友には、なにか申し訳ない気分だった。最後は、浜松町まで送って「さよなら」。いっぺんに疲れが出た二日間だった。それでも、「同期生会では世話になった」とか、「東京へ行ってよかった」という便りが来るにつれ、同期生会を開催してよかった、と自己満足しているところです。
(仲見世通りから見たスカイツリー。下の部分が辛うじて見える)
(雨でかすんだゲートブリッジ。風雨が強くなり、展望台から眺めるしかなかった)
(下見に行ったときに撮影しておいた、浅草公会堂前の有名人の「手型」)
そのお世話をされたのですから大変でしたね。
ドッとお疲れを感じられたのも無理ありません。
でも同時に心地よい達成感も感じられたことでしょうね。
参加の皆様も、楽しかった思い出と茂彦さんへの感謝を胸に、
それぞれの帰路につかれたこと間違いなしです。
それにしても、ハプニングにははらはらされましたね(^^;)
お天気以外はご予定通りクリアでほんと良かったです。
私は同期会等に縁がありませんが、茂彦さんのような方が
幹事をしてくださる会なら参加してみたいです。
コメント有難うございました。
27名というと、やはり結構な数字です。
予め、何人かには、手伝ってくれるよう頼んでいたのですが、
当てになりませんでした。真剣に手伝ってくれた人もいましたが・・・。
ハプニングもありましたし、なにしろ高齢者ばかりですので、
動きが悪いので、その点も気を使いましたね。
とにもかくにも、無事終了して、本当によかったです。