しげるの自遊学

自由に遊び、自由に学んで生涯現役。
ソプラノの森岡紘子さんを一人のファン
として応援しています。

百歳万歳まであと一年

2005-09-26 21:07:17 | Weblog
 田舎に住む母は、9月23日秋分の日に満99歳になりました。耳は遠くなりましたが、頭の方はまだしっかりしているようです。ただ、一年半ほど前にころんでから、大分衰えが進行しました。健康の基本は歩くことだということがよく分かります。

 転ぶ前は、自分のことはすべて自分でやっていました。転んで歩けなくなってから、急に衰え始めました。歩くことと、頭がこんなにも連動しているということをあらためて思い知らされた感がします。

 いわゆる「白寿の祝い」は、お祝い事は早い方がいいということで、二年ほど前に前祝いしました。その時はお祝いのお礼だと云って、5~6曲ほど歌を歌い参加者を大いに驚かせたものです。「籠の鳥」はいまでも時たま歌うらしい。 今の体調だと、百歳までは大丈夫だと信じています。テレビに出る百歳万歳の方々のようにはいきませんが、来年の9月には「百歳万歳」を唱和してお祝いしたいと思います。今年のお誕生日のお祝いには花を贈りました。電話に出て「有難う」という声が心なしか弱々しく聞こえ、一寸気がかりではありました。

 11月頃には一度帰省して顔を見たいと思っています。いつもお世話をしてくれている弟夫婦に感謝。

ミニ・コンサート

2005-09-24 20:42:34 | Weblog
 台風の接近であいにくの雨となりましたが、予想を上回る来場がありました。当初回覧を回したときは30人たらずの申込で、これでは折角演奏していただく方に申し訳ないと思いました。一所懸命PRしたおかげで、今日は50人弱の方に集まっていただくことが出来ました。町内でコンサートを開くなど、多分珍しいことだと思います。

 クラシック名曲集(カノン、トロイメライ、ユーモレスクほか)、ポールモリアの調べ(恋は水色、涙のトッカータ、ばら色のメニュエット)、懐かしの映画音楽(テリーのテーマ、エストレリータ、私の心はヴァイオリン)そして最後は日本のうた(花、浜辺の歌、花嫁人形)でしめくくり。アンコール曲は「G線上のアリア」と「二つのギター=ロシヤ民謡」)でした。以上の曲をヴァイオリンとピアノの演奏で十二分に楽しむことが出来ました。(ビデオに収録したので、編集してDVDに焼く予定で、これも楽しみ)

 1時間半ほどの時間でしたが、来場者の皆さんは大満足だったようです。ヴァイオリンを演奏してくださった方も、いままで町内の行事には全然顔を出さなかった方ですが、これを機会に今後は顔を出されることでしょう。最後は演奏者と伴奏者に花束を贈呈して終わりです。(花束を勝手に描いてみました)


「地上の星」に感動

2005-09-22 21:55:25 | Weblog
 最近どうも涙もろくていけません。二・三日前のテレビ放送で、いろいろな楽器に卓越した技術をもった沖縄の高校生の話を紹介していました。彼の夢は中国の「女子十二楽坊」と一緒に演奏することにあったようです。テレビ会社は彼の夢を実現すべく、北京に十二楽坊を尋ねるところから始まりました。そして、北京で十二楽坊に会い、彼らの日本公演で競演する約束を取り付けたのでした。そして遂に彼の夢は実現したのですね。

 その時、日本公演で演奏した曲の一つが「地上の星」という曲で、その素晴らしい演奏に、ついつい涙が出てしまいました。彼の両親が涙を流すのを見て、もらい泣きです。(男が泣くなんてみっともない)高校生の彼は、笛(なんという笛か分からない)を吹いていましたね。私は音楽は好きなのですが、不覚にも中国の「女子十二楽坊」のこと知りませんでした。翌日、会社へ行ってテレビ放送の演奏会に感動した話をしていたら、またまた、「女子十二楽坊」のこと知らなかったの、と笑われてしまいました。

 で、早速、「地上の星」のCDと女子十二楽坊のDVDも買うことにしてしまいました。人生、感激できることがあったら、笑われてもいい、何度でも感激したい、そう思いました。

地上の星/ヘッドライト・テールライト
中島みゆき, 瀬尾一三
ヤマハミュージックコミュニケーションズ

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うっかり八兵衛がやって来た

2005-09-22 08:52:04 | Weblog
 テレビで放映している時代劇「水戸黄門」、勧善懲悪で安心して見れるので、結構楽しんでいます。あのドラマに現れる「うっかり八兵衛」がわが家にも現れるようになりました。

 妻が例によってちぎれ絵の勉強に出かけました。居間でパソコンの前に座っていると、どうも台所の方から臭いが流れて来るのです。行ってみると、台所の温度も大分上がっているようです。見れば、ガスレンジに火がついたままで、お湯が煮えたぎっているではありませんか。「何じゃ、これは!」と思わず絶句。昨夜の天麩羅鍋に水を入れて煮沸したままで出かけたのですね。危ない、危ない、実は私も出かけようと思っていたので、早めに発見してやれやれです。

 別の日一人でいるとき、昼食は簡単にインスタント・ラーメンですまそうと、お湯を沸かしていました。そのあと、ほかのことをやっているうちに、すっかり忘れてしまったのです。しばらくして、思い出して急いで台所へ行ってみると、なんとお鍋の水はすでになく、からの鍋が真っ赤。いゃー驚きました。

 水戸黄門のうっかり八兵衛は笑って過ごせますが、我が家の「うっかり」は笑えません。そうかと云って、妻に文句を云うわけにもいきません。こんなことでは、先が思いやられるなー、気をつけなければです。今後は「駅のプラットホーム」の駅員さんを真似て、「指差し確認」でもやりますか。「火の元OK」「鍵OK]「消灯もOK]。

敬老会へ行ってきました

2005-09-19 16:07:50 | Weblog
 遂に、敬老会にご招待される身分になったようです。一寸複雑な心境です。自分ではまだそんなに年寄りだとは思っていないものですから。会場で世話をする人に顔見知りがいます。「えっ、そんな年?」などと怪訝な顔をする人もいました。

 でも、結局2時間半、楽しんで帰りました。中学の吹奏楽部の演奏、なかなか見事でした。幼稚園の児童たちの踊りと演奏、これも楽しかったです。数年前、自治会の役員をしているとき、お世話をする係をやったことがあります。その時は名前も知らない女性歌手が演歌を歌ったのですが、それより、今日の出し物の方がよほど良かった。

 来年のことを云うと鬼が笑うかもしれませんが、もし来年も招待されるとしたら、素直に参加して、年相応に楽しむことにしましょうか。


 

 

町内でミニ・コンサート

2005-09-18 20:34:35 | Weblog
 今度の土曜日、町内でヴァイオリンのミニ・コンサートが開かれることになりました。町内にヴァイオリンの先生がいらっしゃるので、コンサートを打診したら快諾を得たのです。町内で音楽会が開けるなんて、ほんといいことです。学校で教えていた方ですが、もう定年を迎えられたのですね。勿論、今もいろいろ活動されているようです。

 幹事さんがプログラムを作られたのですが、一寸物足りない感じがしたので、でしゃばりかなと思ったのですが、私が作り直しました。会場は自治会館です。最低でも40人くらいは集まって欲しいものですね。(自治会館は45人くらいで満席か)。 外(道路)の掲示板二ヶ所にもポスターを貼りました。

 クラシックの名曲、ポールモーリアの調べ、懐かしの映画音楽、そして日本の歌など盛りだくさんです。楽しみです!

ようやく秋の気配が

2005-09-17 15:54:06 | デジカメ写真・絵画


 暑かった夏も終わり、ようやく秋の気配が感じられるようになりました。
それにしても、今年の夏は特別に暑いように思いましたが、気のせいでしょうか?
これから10月、11月と忙しくなりそうです。敬老会、体育祭、文化祭などなど。特に文化祭の準備は大変です。昨年同様パソコン・サークルで一部屋独占してパソコン・コーナーを出すと決めましたので・・・


   

カタカナ語の洪水

2005-09-16 13:55:27 | Weblog
 アメリカ南部ではハリケーンの猛威でまだ水が完全に引かないようですし、日本でも台風に伴う豪雨で各地に洪水の被害が出ました。これも地球温暖化のツケではないかとも云われていますね。

 天災は別としても、カタカナ語の洪水についてはどう考えたらいいのでしょう。私の母は秋分の日に99歳になります。2~3年くらい前までは、まだまだ学習意欲が旺盛でした。テレビ見たり、新聞読んだりすると、分からない言葉が多くて困ると嘆いていました。ノートにメモしておいて、折にふれて、その意味を聞いたりしていました。超高齢の母ならずとも、カタカナ語に困惑する人は結構多いのではないかと思います。

 先般の選挙では、政党のマニフェストがどうだとか、云っていました。適当な日本語があるはずだと思うのですが、何故わざわざカタカナ語を使うのでしょうね。外来語で云えば、なにか有り難味があるとでも思ってのことでしょうか?

 パソコン関連で使う用語は、ある意味仕方ないかもしれません。日本語に訳すのが難しい言葉も確かに多いとは思います。IT講習会で、カタカナ用語を連発して受講者を混乱させていた先生もいました。それにしても、初心者に説明するのに、いきなりカタカナ語を、説明もなくポンポン使うのは如何なものか?私のサークルでも、「英語は昔から苦手です」、パソコンの勉強をする前に、まず英語の勉強した方がよさそうですね、などと云っている人もいました。

 日本語のカタカナはやはり便利なのですね。発音は別として、外来語にどんどん当てはめることが簡単に出来ます。漢字だけしか使わない中国語では、外来語を漢字で表現するの大変なようです。日本人は、カタカナ、ひらがななどのお陰で、外来の文化、外国の文化を吸収しやすいのだと思います。

 しかし、このようなカタカナ語の洪水、このままでいいものなのか?私にはよく分かりません。

 

たった一人の30年戦争

2005-09-13 16:05:50 | Weblog
 小野田寛郎少尉(ルバング島”最後の帰還兵”)について書かれたブログを見ました。そんなわけで関係の本を読みたいと思い、いつものようにインターネットで本を注文しました。今回は何故か本が来るのにえらく時間がかかりました。(小野田少尉は30年間ルバング島の山奥から出てこなかった、その故事を尊重して本の発送をわざと遅らしたのかな、などと勝手にあらぬ想像をしていました。これ冗談)

 本を読んだ感想とか、読後感を書こうと思ったのですが、正直な話なかなか書くことが出来ません。読めば読むほど驚くべきことばかりで、言葉が出ないのです。

 考えてみれば、今普通の人は大体20歳前後で社会に出て仕事につきます。そして30年とか35年間とか働いて、一旦現役を退き、定年を迎えることになります。(勿論、いろいろなケースがあるし、一概にはいえませんが・・・)

 小野田少尉は20歳過ぎに戦争に招集され、フィリッピンのルバング島へ送られ、日本の敗戦で戦争が終わっているにもかかわらず、なんと30年間も島の山奥へ立てこもって戦争を続けたということですね。普通の人が仕事につき、リタイァするまでの長い長い長い期間を、彼は一人で(当初は一人ではなかった)山奥へ立てこもって戦争を続けたわけですね。戦争は終わっている、早く出てこいという呼びかけにも応じなかった。彼は、敗戦も知っていた、そしてそのあとの日本の目覚しい経済成長も知っていた。皇太子(現、天皇)のご成婚や、新幹線の開通なども知っていた。彼の兄が目と鼻の先で呼びかける声もわかっていた。彼の母の直筆の手紙も見ている。にもかかわらず、それを信じることが出来なかったとあります。
何故、何故、何故。読めば読むほど驚くべき事実に驚愕しました。

 戦後30年で帰還し、そのあとブラジルへ渡り牧場を経営したとあります。牧場は成田空港より少し広く、牛は1800頭と書いてありました。なんともすごい人生ですね。人生はドラマだといいますが、こんなドラマがあったとは・・・

たった一人の30年戦争

東京新聞出版局

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