しげるの自遊学

自由に遊び、自由に学んで生涯現役。
ソプラノの森岡紘子さんを一人のファン
として応援しています。

兄弟は仲良く

2005-06-29 20:05:13 | Weblog
昨日、久しぶりに弟がやって来ました。例によってパソコン持参で、パソコンを一緒に勉強しました。そのあとは、これも例によって囲碁の対戦です。結局一勝一敗で引き分け、出来ればもう一局くらいはやりたかったのですが、時間切れ。これでやめてよかったかもしれません。

それにしても、若貴兄弟はどうしたのでしょうね。幼い頃は仲が良かったと思うのですが、最近は最悪の状態ですね。あまりにも早く頂点に登りつめ、あまりにも恵まれすぎたのが、いけなかったのではないかと思います。相撲人生というのは、本当に太く短い人生です。これから、長い長い人生が待っているというのに、先が思いやられます。

兄弟(姉妹でも)は親子についで血が濃いわけですから、本来一番仲がいい間柄であるのが自然だと思うのですが、どうなのでしょう。古い話では源頼朝と義経、この関係は悲惨ですね。えらくなりすぎ、有名になりすぎるとあまりいいことがないということなのでしょうか?若貴兄弟の現役時代は本当に素晴らしいものでした。私達の夢を壊さないためにも、ご両人の自覚を促したいものです。マスコミにもあまり騒ぎたてないで欲しいと願うのは私だけでしょうか?



問題な日本語(続き)

2005-06-25 13:51:39 | Weblog
梅雨に入ったというのに、さっぱり雨が降らず、猛暑の日が続いています。明日は町内のゴルフ・コンペがありますが、気分が重く、参加しなければよかったなどと後悔しています。梅雨の時期にはやはりそれなりの天候を期待しますが、神さんはそんなに甘くはないようです。雨が恋しい!

テレビを見ていると、タレントや司会者で「私的には・・・」という言い方を連発する人がいます。この表現、聞いていてあまりいい感じがしないのは私だけでしょうか?そこで、買ってきた本「問題な日本語」をめくってみました。

「わたし的」を言いかえれば「私としては」となりますが、この表現は「他の人はともかく、自分はこう考える」という気持ちを表します。他の人の別の意見があることを認めた上で自分の意見を述べるという述べ方ですから、一見思慮深い述べ方のように思われますが、その陰にはストレートに自分の意見を言おうとしない「逃げ」の姿勢が感じられます。
「的」が流行る背景には、ものごとをはっきり言わないであいまいにぼかす最近の風潮が影響を及ぼしているものと思われる。「わたし的には」「気持ち的には」などで、「的」を使わないで表現するとなると「私としては」「気持ちの上では」など、さまざまな表現を使い分けなければなりません。しかし「的」を使うことによっていとも間単にその煩雑さを回避できるのです。話し手にとっては楽な表現ですが、聞き手には正しく伝わらない表現であることを自覚して、教育やマスコミの現場では安易な「的」表現を使わない・使わせないことを目指したいものです。
(以上「問題な日本語」から引用)

この本のいいところは「この用法は間違っている」と指摘するだけでなく、どうしてそういう表現が生まれてくるのか、誤用であったとしても、その誤用が生まれてくるいわば「誤用の論理」を究明しているところですね。一般の人に影響が大きいマスコミの現場ではもう少しこのあたりのことを考えてもらいたいものです。


問題な日本語

2005-06-24 09:08:45 | Weblog
中国人の友人で、日本語の達人がいます。彼女に最初に会ったとき、あまりにも日本語が上手なので、びっくりしたものです。日本に長年住んでいるかと思いきや、日本に来たばかりでした。彼女は中国の大学で日本語を勉強したわけで、日本に来てから学んだわけでもなし、日本に長年住んで、その結果日本語が上手になったわけでもないのです。発音、言葉つかいともに完璧です。

彼女の話ですが、最初日本語の勉強を始めたとき、易しい言葉だと、特に発音は易しいと思ったそうです。たしかに日本語はあまり口をあかないで発音するので、欧米人や、中国人にとっては発音が易しいと感じるのでしょうね。その彼女が云います。日本語は勉強すればするほど、難しくなりますと。

敬語、美化語、謙譲語、尊敬語などなど、日本語は難しい言葉ですね。それにカタカナ、ひらがな、漢字それに最近は外来語がやたらに多くて、こんな難しい言葉を操る日本人というのは、もしかして本当にすごい民族かもしれません。私は思うのですが、日本語というのは一言で云えば、話す相手の立場を考えて話す、そんな言葉ではないか。日本人はいつも相手のことを考えながら話しているのではないか、そのように思います。相手の立場を考えるから、尊敬語を使ったり、その時その時の状況にあわせて言葉を選んでいるのだと思っています。日本人というのは、無意識のうちに常に相手を意識して言葉を選んでいる、私はそのように思うのです。

日本語がそれだけ難しいがゆえに、最近「誤って使われる日本語」が気になるのかもしれません。昨日たまたま本屋の店先で「問題な日本語」をいう本を見かけ、早速買ってきました。テレビを見ていると、タレント、有名人などが使う言葉に、ものすごく違和感を感じることが多いです。正しい日本語なのかどうか疑問に思うことがしばしばあります。「流行語大賞」などという賞もあるくらいですから、わざと自分で勝手に作った言葉を使っているのかもしれませんが、それにしてもどう考えても可笑しいという言葉があります。この本で、そんな疑問に答えが得られそうです。

最近、ものすごく気になっている言葉に「耳障りがいい」があります。これを音楽の先生が使うので余計気になるのです。そのほかにも気になる言葉がたくさんあります。もしかして、この本でそのような疑問が解けるのではないかと期待しています。

見知らぬ人でなく

2005-06-21 17:05:41 | Weblog
昨日は私が受け持つパソコンサークルの勉強会があり、出かけました。バス停で、先着の見知らぬお婆さんから話かけられました。「暑いですね」「いゃーほんと暑いですね」と私。まあ、見知らぬ人でもそこまではいいでしょう。次に「どちらへお出かけ」ときました。余計なお世話と思ったのですが、「公民館へ」と答える私。「どちらの公民館へ」と次の矢です。なんでそこまで追求するのでしょうね。それから、先方はなおも話を続けるのです。親戚の者が定年退職後、公民館で働いているとか云々。世の中、話好きな人がいるものですね。もううんざりして、しばらくその場を離れて、バス停横の本屋へ入って本を探すふりして一時退避。

バスに乗ってからは少し席を離れて座りました。知らない人だと思うのですが、もしかして知っている人?自問自答するのですが、やはり知らない人だということで自分なりの結論を出しました。最近は町内を歩いていても顔を知らない方からも時々挨拶されます。私も少し顔が売れた?これは冗談です。というわけで、妙な気分でした。

全然関係のない話ですが昔見た洋画の題名を思い出しました。Not as a Stranger (見知らぬ人でなく)。
で、例によってインターネットで調べてみました。スタンリー・クレイマーの初監督作品で、主演はロバート・ミッチャム、フランク・シナトラ、オリビア・デ・ハビランド。ブロンドのオリビア素敵だったですね。この映画たしかに昔見たことがあります。



父の日とは?

2005-06-19 14:19:52 | Weblog
忘れていましたが、今日は「父の日」だったのですね。10時頃宅急便が来たので急いで玄関に出ました。ハンコ、ハンコ。ハンコが見当たらなくて、あたふた。

娘と長男の両方から父の日のプレゼントが来ました。次男からは、ここ二三年来ないですね。
早速あけてみると長男からは和菓子、娘からはクッキーでした。プレゼントもらって文句を云うのもどうかとは思うのですが、正直お菓子でなくほかのものがよかった。なにしろ、最近太ってきてお腹も出てきましたので、なるべくお菓子を控え、間食をしないよう気をつけている身としては、嬉しいものの一寸複雑な心境です。娘のメッセージ・カード<いつも いつも大変お世話になりありがとうございます。これからも元気でいて下さい> はて、何かお世話したかなと考えても、思い当たりません。妻は孫の面倒を見るため、時々娘のところへ行きます。多分、そのことなのだな、と勝手に納得です。

プレゼントもらって、「父の日」のいわれも知らないのはなにか申し訳ない気がします。それで、インターネットで調べてみました。

「母の日」がアメリカ合衆国で始まった1908年の翌年、母の日ができたことを知ったワシントン州に住む「ジョン・ブルース・ドット夫人」が、翌1909年、「母の日」があって「父の日」がないのはおかしい、父の日もつくって下さいと「牧師協会」へ嘆願したのがきっかけ、とか。まあ、そんなことが書いてありました。日本では1966年ネクタイ業界が提唱して広まったとか。
それにしても随分と昔からあったのですね。
それ以降は、多分お中元、お歳暮、バレンタインディなどと同じ、業界の売らんかな商法の一つですね。ともあれ、こんな日があって、父のこと、母のことを思い出すのもいいことかもしれません。

ブラックベリー

2005-06-17 18:35:18 | Weblog
今年も我が家の庭にブラックベリーの花が咲き、実がつき始めています。狭い庭のフェンスにからみついて茂っているベリーの木ですから、そんなに大した収穫はありません。それでも昨年は12キロくらい獲れたとか。妻は獲った実で、せっせとジャムを作り、近所にも差し上げていました。結構好評で、心待ちにしている方もあったようです。しかし、今年は昨年ほどの収穫は見込めないそうです。

ブラックベリーの実は文字通りブラックになります。しかし、ジャムにすると、真っ赤なジャムが出来ます。不思議なものですね。ヨーグルトにかけるとおいしくいただけます。私も静かにこのジャムを心待ちにしています。庭の手入れに全く参加してない身分としては、静かにしているのが一番無難です。

ばらの花のつもり

2005-06-15 18:14:54 | Weblog
梅雨入りしたようです。一週間前に魚の骨がささった唇もすっかり良くなりました。明日は会社へ出る予定です。雨も降っているし、今日は一日絵を描いてのんびりしました。まあ、こんな日もあってもよいかなと思っています。水彩というソフト、機能がいっぱいでこれをマスターするのは容易ではない感じです。あせらず、急がず、ボツボツ勉強します。(雑誌、PCビギナーズの記事の説明に従って描いてみました)     


変な夢

2005-06-13 07:51:22 | Weblog
昨夜、といっても午前3時頃、変な夢を見て目が覚めました。夫婦喧嘩をしたようです。どこかの会社の一室で回りに何人か人がいました。これはまずいと思って喧嘩はすぐやめにしました。

ひところ熟年離婚というのが増えて来ているということを聞きました。ただ、最近は減少傾向にあるとか。男性が定年になり、朝から晩まで家にいる状態になります。その結果、夫婦は四六時中顔を突き合わすことになり、それまで経験したことのない、あらたな局面を迎えるのですね。
お互いの自由が束縛されるように感じるのでしょう。若い時ならいざ知らず、慣れない新しい生活環境に戸惑い、それが煩わしさや苦痛に発展するのでしょう。そして、それに耐えられなくなり、離婚ですか?難しい問題ですね。

幸か不幸か、我が家にはそんな状況はないようです。私も、週一回の会社勤め、月二回のパソコンサークルでの先生(実際は先生というほどのものでなく、一緒に勉強している)、それから別のパソコンサークルの勉強会が月一回くらい。そのほかにも、更に別のサークルの講習会のお手伝い。まだありました、近所のパソコン教室のお手伝い、英会話教室のお手伝い、二ケ月に一回くらいのゴルフ、などなど。(そして、このブログ書くのも楽しみの一つです。ブログなんて個人の日記じゃないかという方もありますが・・・)
妻のほうはもっと忙しいのです。ちぎり絵、民謡、カラオケ、ピアノ、ゲームの会(マージャン)、歌う会、それに週二回の自彊術、全くよくやるよ、です。
まあ、そんなわけですから、おかげさまで、家で顔を突き合わす機会も少なく、助かっています。
やれやれ。

変な夢、夫婦喧嘩、なんでこんな夢見たのでしょうね。「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」とか、犬は何でも食べるくせに、夫婦喧嘩だけは食べないそうです。

蛮人のはなし

2005-06-12 18:50:52 | Weblog
「ビルマの竪琴」を読んでいる時、最初は深刻な戦記物と思っていました。ところが読んでいる途中で気がついたのですが、なにか語り口が柔らかいのです。それでも読み終えるまでは、これが童話だとは思っていませんでした。

あとがきを読む段になって、ようやく分かったような有様です。でもそれでよかったのです。主人公の「水島上等兵」が敗戦も知らず抵抗を続ける日本の部隊に「降伏」を勧告するためでかけるくだりがあります。結果的にはその部隊は降伏するのですが、水島上等兵は帰還の途中で怪我をして蛮族に救われます。そして彼ら蛮族の手厚い看護で元気を取り戻します。怪我も治ってもとの部隊へ戻ろうとするのですが、帰してくれません。腕や足の太さを測ったりされて、もっと食べろ、もっと食べろです。それから、ようやく自分が食われる運命にあることに気がつく。そのような話なので本当は怖い、怖い話です。ですが、読んでいてなんともユーモラスな感じもあり、思わず笑ってしまいました。そういえば、小学生の頃、台湾の奥地には首切り族ともいうような野蛮人が昔いたとも聞きました。そんな話は多分実際にあったのでしょうね。

読んだあとも、何時までもいろいろ考えさせられる小説、いや童話でした。